第8話 そういう事になってんですかー。
……何をしに来たのかな、と。
どうせろくなことではあるまい、と思いつつ、愛想笑いを浮かべて注文をとりに近づく。
コレクトは一瞬だけ私の顔を見て、顔を顰めた。
「いらっしゃい。お客さん、ご注文は?」
「ああ、客ではない。こんな汚い店で食事が取れるか」
「あ、はい。『客ではない』ですね。では、お帰りください」
しっしっと野良犬を追い払うように手を振る。
お客様は神様です、なんて言葉はミエリクトリにはないし、客ではないとコレクト自身が言っている。
ということは、客として遇する必要もない。
「貴様っ! それが客に対する態度かっ!?」
「え? 客じゃないって、お貴族様が御自分でおっしゃられましたよね?」
お貴族様、という単語をわざと大声で言う。
すると食堂の談笑がピタリと止み、周囲の客がこちらへと注意を向けてきたのが判った。
現在のこの食堂は、私の撒いた噂によって貴族や王族に対する不信感を募らせている者が多い。
憩いの場である食堂で騒ぎを起こす貴族など、彼らにとっては野良犬以下の存在だろう。
「……あー、近頃このあたりで出回っている噂について調べにきた。速やかに調査への協力を――」
「今日のお勧めは魚のスープです。昨日の残りなので、イイ出汁が出てますよ」
「残飯ではないか!」
「一晩じっくりと寝かせたいい出汁が出てる、って言うんですよ」
「残飯などどうでもいい。私は噂の出所を――」
「お客さんとなら、たまに談笑ぐらいしますけどね」
「……肉のスープを一杯」
「はい、魚のスープを一、二、三……六人分ですね!」
ありがとうございます、と笑顔で手を差し出すと、渋面を浮かべたコレクトが人数分の代金を置く。
私に顔と名前が一致するのはコレクト一人だったが、コレクトの護衛か同僚か、全部で六人の明らかに周囲から浮いた貴族とわかり易すぎる青年たちがいた。
「それで、噂についてだが――」
「噂ってどれですか? 聖女が不細工で外に出せない顔をしているのか、第一王子が聖女の暗殺を謀っただとか、聖女の遺体が神殿に運ばれただとか、いろいろ聞きますけど」
ここで重要なのは『聞きます』と、さも他人から聞いた話のように語ることだ。
これらの噂はほとんど私が撒いているので、『聞きます』というのは正しくない。
とはいえ、たまに撒いた噂に尾ひれがついてすごい内容になっているのを聞いたりもするので、『聞きます』もまったくの嘘ではないのだ。
噂の調査に来たというのだから、その噂をすべて聞かせてみる。
さて、コレクトはどんな反応を見せるだろうか。
「酷い噂だな。聞くに堪えんデタラメばかりではないか」
よく聞け、と姿勢を正し、コレクトは声を張り上げる。
噂の調査に来たといっていたが、別の目的もあったらしい。
というよりも、こちらが本命だろう。
人の注目を引いて、新しい噂を撒きにきたのだ。
「聖女様は歴代同様、清らかで麗しい女性だ。もちろん今も王城で過ごされており……これはまだ内密なのだが、アレオス第一王子と恋仲である」
……へー。そういう事になってんですかー。
内密の話だと言うのなら、何故街の大衆食堂で堂々と振れまわっているのだろうか。
あとで改良のし甲斐がありそうなので、コレクトには張り切って新しい噂をばら撒いてほしい。
……それにしても、聖女と恋仲って、ついに偽者でも立てるとこまで落ちたのかな?
いずれにせよ、神殿に持ち込めば面白いことになりそうな噂だ。
さて、どうやって神殿へコレクトの持ち込んだ噂を届けようか。
まさか私が直接届けに行くのもな、と考えていると、食堂へとアスランが顔を出した。
アスランがこの食堂へと顔を出すこと自体は不思議でもなんでもない。
この食堂について私に教えてくれたのがアスランなのだ。
元から
……不思議はない、はずなんだけどな?
はて? とアスランの視線を感じて首を傾げる。
食堂に顔を出したかと思うと、そのまま肉のスープを注文したアスランは、料理を運ぶと私とスープの皿とを見比べて首を傾げていた。
なんだか妙だとは思ったが、料理を出し終わって客の元に長居するのもおかしい。
そのままアスランの存在を思考の隅へ追いやり、他の接客を続けていると、チラチラとしたアスランの視線を感じるようになったのだ。
「えっと……なに? おかわり? 肉と魚とどっちにする?」
「いや、もう十分……いや、今度は魚にしよう。魚のスープを持って来てくれ」
「はいよ」
すぐに持ってくるよ、と一度台所に戻ると、すでに店主が魚のスープを器によそっていた。
あとはこれをアスランのテーブルへと運ぶだけなので、本当に『すぐ』だ。
代金と引き換えに魚のスープをテーブルに置くと、アスランは意を決したように口を開いた。
「おまえさん、いつからこの店で働いている?」
「へ? いつからって言うと……」
いつからだっけ? と台所の店主へと声をかける。
本当はそろそろ二ヶ月になると覚えているが、なんとなく第三者を会話に混ぜた。
「二ヶ月ぐらい前だな。故郷に帰る路銀が尽きた、ってんで急遽雇ったが……そういえば、そろそろ路銀も溜まったんじゃないか?」
「そうなんだけど、居心地がいいし、賄いも美味いから、ついそのまま働いている」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ。どうだ、このまま娘婿にならないか?」
「店長の娘はまだ三つじゃないか。あの子が年頃に育ったころにゃ、俺なんかオッサンだよ。オッサンが婿じゃ、嫌がるだろ」
「なぁに、おまえのことは娘も気に入ってるサ。毎日「にーたん、にーたん」あとをついて歩くぐらいに……やっぱり娘はやらーんっ!」
「どっちだよ!? また店長の親馬鹿が始まった!」
近頃は馴染みの流れとなっているやり取りに、常連客から笑い声が湧き上がる。
どうやら私を気に入ってくれたらしい店長はこのまま私を雇い続けてもいいのではないか、と話を切り出し、何故か娘の話に逸れていき、娘はまだやらんと怒り出すところまでがセットだ。
慣れすぎたやり取りのため、誰も本気にはしていない。
結局何が言いたかったのか、アスランはそれ以上何も聞かずに帰っていった。
ただ、私に対して何か思う事があるようで、食堂へはほぼ日参するようになった。
……そういえば、神殿では
王城からは聖女と王子が恋仲である、という宣伝がせっせとばら撒かれているが、神殿から聖女がいなくなったという話は聞かない。
噂として撒けるような内容ではないが、それでも何も聞こえてこないというのは不思議なものだ。
そして、それを不思議に思っていられたのは、アスランが食堂に顔を見せるようになって半月ほどまでだった。
昼過ぎになり、今日はアスランがまだ来ていないな、と思ったのは聖女の直感のようなものだったのだろう。
街のどこにでもある大衆食堂に、大神官フェリクスが現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます