第6話 貴方のそれは腹痛ですよね?

 エスカレートしていくアレオスの愚行に、国王ソレントは頭を使ったらしい。

 そろそろこの世界の歴史や常識も学び終わった頃だろう。

 いよいよ浄化の旅に出てはどうか、と勅命が下った。

 

 ……ってか、浄化の旅が目的だとか、初めて聞かされたんだけど? 絶対に今になって適当に作った理由だよね。

 

 アレオスと初日以降顔を見ていないコレなんとかという貴族青年は、聖女を花嫁にして家の跡継ぎの座につくようなことを言っていた。

 今回の聖女召喚による当初の目的は、いつも通りの人気取りだったはずだ。

 魔物が溢れて困っているから浄化をしてほしい、というのは勅命が下って初めて聞いた。

 

 ……花嫁予定の聖女が醜女これで、花婿候補はどちらも聖女を押し付け合い、処分に困って浄化の旅の名の下に放逐、ってところか。

 

 もしくは、王子アレオスと聖女の不仲説が城内だけに留めておけるレベルを越えてしまったのだろう。

 アレオスの愚行が収まらないのなら、と私を放逐することにしたのだ。

 このまま素直に浄化の旅とやらに出れば、ほどよい距離にアレオスの雇った暗殺者が潜んでいるのだろう。

 それでまた失敗したとしても、旅の空で魔物にでも殺されれば良いと思っているのだ。

 

 ……でなかったら、仮にも『聖女』の護衛だもん。お供が三人だけ、なんてことはないよね。

 

 聖女が旅立つのなら、と神殿から一人神官が同行することになった。

 普通、旅に同行するような神官といえば一番下っ端がくると思うのだが、何故か大神官の名を持つフェリクスが名乗りを上げたらしい。

 神職ゆえの責任感か、ご苦労なことである。

 

 浄化の旅は民の暮らしにも直結する一大事ということで、民間から雇われた傭兵も同行する。

 アスランと名乗った傭兵は、この世界に来て三人目の『醜女わたしの目を見て会話できる人間』だ。

 一人目は神官フェリクスで、二人目は国王ソレントである。

 国王ソレントはギリギリ顔を逸らしたそうにしているが、王としての矜持が醜女程度に負けて目を逸らすことを踏み止まらせたのだろう。

 

 ……で、コレなんとかさんは暗殺者、もしくは暗殺成功時の確認係かな?

 

 ただの貴族のお坊ちゃまかと思っていたコレクトは、一応騎士だったらしい。

 聖女の浄化の旅に同行する貴族代表だ、と私から目を逸らしながら宣言していた。

 

 ……アスランさんは意外に話しやすいかも。

 

 無意識に『さん』と付けて呼んでいるように、アスランは話しやすい青年だった。

 とはいえ、彼が特別話しやすい人物なのではなく、この世界に来てから出会った人物たちに問題がありすぎただけな気もする。

 人となりを手っ取り早く暴くため、故意に醜い顔を作って煽ったのは私だが、だからと言って醜女と罵り、侮ったのは彼らだ。

 本来、人の顔の造形がどうあれ、態度を変えるのは褒められたことではない。

 

 本来なら美しい聖なる乙女と、乙女を守護する美麗な青年たちの旅は、いわゆる逆ハーレム的な華あるものだっただろう。

 残念ながら、その美しい乙女であるはずの聖女が醜女であるため、乙女を守護する騎士たちのやる気もいまいち低く、しかし旅路としては普通のテンションで進めそうだ。

 聖女の隣を歩く権利を取り合って喧嘩をしたり、食事時に聖女の隣の席を取り合って喧嘩をしたり、といったような喧騒は起こりようがない。

 日々黙々と旅を続け、順調に旅程を進められそうだ。

 

 数日かけてアスランと交流を深めつつ、旅に必要な荷物を作る。

 このぶんなら明日にでも旅立てるかと、と呟いたのがフラグになってしまったのかもしれない。

 旅立ちなどさせるものか、と言わんばかりに久しぶりの暗殺者が現れた。

 

 ……こりないなー。

 

 またアレオスの手の者だろうか。

 物陰から飛び出してきた暗殺者に、私としては対応のしようがない。

 どうせ直前で女神ミエリクトリの加護が働き、暗殺者は見えない壁に吹き飛ばされるのだ。

 避けるのも、逃げるのも、すべて無駄にしかならない。

 

「……え?」


 逃げる必要はない。

 どうせ女神ミエリクトリに命を保障された私を傷つけられる人間などいないのだから。

 

 そう、侮っていた。

 傲慢にも思いあがっていた、と言った方が正しいかもしれない。

 

 たしかに、これまではそれが最良の対応だった。

 何もせずとも、何も起こらないのだから。

 

 けれど、今回は違った。

 外見で聖女を判断しないフェリクスと、浄化の旅の護衛として付けられたアスランが近くにいたのだ。

 

 フェリクスに腕を引かれ、胸の中へと抱き庇われる。

 咄嗟に自分の体を盾にして、アスランが私の前へと飛び出して来た。

 

 結果として、私の視界に鮮血の華が散る。

 

 宙を舞うアスランの血の奥で、コレクトが唇の端を吊り上げるのが見えた。

 どうやら今回の暗殺者は、アレオスではなくコレクトが雇ったらしい。

 

「女神ミエリクトリよ!」


 祈りを込めて、女神の名を呼ぶ。

 呼びかけに応えるように、すぐに光の鎖が現れて暗殺者の体を絡め取った。

 

 そろそろ我慢は止めてもいいだろう。

 容姿を変えて侮られるように仕向けたのは私だが、だからと言って命を狙われる正当な理由にはならない。

 実行犯が傷つくのは当然の報いだとしか思わないが、私を庇って誰かが傷つくのは『違う』。

 あっていいことではない。

 

「女神ミエリクトリよ、初めて乞い、願います。わたしを庇った勇者の傷を、刺客を放った者へ!」


 フェリクスの胸から抜け出して、傷口を押さえるアスランのわき腹を見る。

 小娘わたしを殺すために用意されていたのは、小さなナイフだ。

 傷口は小さいが、思いのほか深く突き刺さったようで、手で押さえていても血が溢れ出していた。

 その傷口に触れようと手を伸ばすと、流れ出ていたはずのアスランの血が光の粒となって消える。

 頭上からアスランの驚いた声が聞こえたかと思ったら、傷口は綺麗に塞がっていた。

 

 襲撃を受けたことが現実だと判るのは、ナイフで開いたアスランの服の穴がそのままだったからだ。

 傷を刺客を放った者へ、と咄嗟に願ったため、服の穴までは修復されなかったのだろう。

 

「ぐふっ」


 自分を庇ったアスランの窮地は脱した。

 そう安堵した脇から、今度は別の声が上がる。

 直前まで唇の端を吊り上げ、歪んだ笑みを浮かべていたコレクトが、わき腹を押さえて蹲っていた。

 どうやら女神ミエリクトリは、願った通りの仕事をしてくれたらしい。

 

「……これは、どういうことですかな? コレクト殿」


「どう、とは……?」


「聖女様は女神ミエリクトリへ、刺客本人ではなく、刺客を放った者へ傷を飛ばしてほしいと願っておられたはずなのですが?」


 何故貴方のわき腹に傷があるのでしょう、とフェリクスは蹲ったコレクトを見下ろす。

 アスランのわき腹から消えた傷は、刺客ではなく、刺客を放った者のわき腹へと移動しているはずである。

 となれば、わき腹に突然傷が現れた男など、女神ミエリクトリの太鼓判付きの襲撃事件を引き起こした主犯だ。

 

「これは、急に腹が痛んで……そう、腹痛だ。ただの腹痛だよ。あるだろう? 急な腹痛」


「なるほど、確かにありえないことではありませんね」


 ……本当に腹痛ならね。

 

 押さえられたコレクトの腹部の服が、中からあふれ出る血で赤く染まっていく。

 フェリクスの視界でも、赤い面積を広げる服が見えているはずなのだが、この見え透いた言い訳を聞き入れるつもりなのだろうか。

 だとしたら、少しフェリクスという男の評価を下方修正する必要がある。

 

「そうですか。腹痛ですか。でしたら……癒しの奇跡は必要ありませんね」


 ……あ、これ必要なのは下方修正じゃない。上方修正だ。

 

 この世界には人数は少ないのだが、癒しの奇跡と呼ばれるいわゆる回復魔法を使える人間がいる。

 そういった人間は主に神殿に入って神官職に就くのだが、フェリクスもその一人だったらしい。

 そして、フェリクスが言っているのはこういう事だ。

 

 本当に腹痛ならば、回復魔法の必要はない。

 そこに傷口などないのだから、と。

 

 フェリクスが求めているのは自供、あるいは自白だ。

 私へと暗殺者を送ったことを認めれば、今のところ傷口は塞いでやるぞ、という。

 フェリクスはけっこうイイ性格をしていたようだ。

 コレクトからの自供を引き出すために、私も話題を提供してみる。

 

「腹痛でしたら、しばらく待てば治まりますね。きっと今頃は、アレオス王子がわき腹から血を流しているのでしょう」


「アレオス王子が、ですか?」


 傷を塞いでくれ、とコレクトが自供を始めるのを待つ間の話題として、暗殺者を送ってきそうな別の人間の名を挙げる。

 アレオスにはすでに何度となく暗殺者を送られているのだが、フェリクスの耳には入っていなかったようだ。

 驚きにフェリクスの紫水晶のような瞳が見開かれたかと思うと、すぐにこれまでに見たこともなかった険しい形相に変わる。

 

「歴代の聖女はみな王城で過ごしていたから、と聖女様の身柄を預かり、神殿へはろくに聖女様がどう日常をお過ごしかも知らせなかった王家の人間が、聖女様に刺客を? 馬鹿な。何を考えてそのような暴挙を……」


「わたし、嘘は言っておりませんよ。誓ってもいいですが、わたしには女神ミエリクトリから授かったいくつかの力があります」


 その力を使って、プロの暗殺者から素人の私が拷問や尋問も行わずに自白や自供を引き出していた。

 最初に暗殺者を捕まえた時に、国王ソレントが私の発言を信じたのもこの力があったからだ。

 女神ミエリクトリから授かった力により、私には他者ひとが隠したがっている秘密も、引き出した情報の真偽も、簡単に判断することができる。

 

「聖女様の言葉を疑うわけではございませんが、ことがことですので、しばしお側を離れます。自分の目と耳で、神殿へは報告のあがっていない事実を確認してまいります」


「ええ、いってらっしゃい。あ、途中でアレオス王子がわき腹から血を流していたら、きっと反省しているだろうし、傷口を塞いであげてください」


「……聖女様はお優しい方ですね」


 それでは失礼します、と言って体の向きを変えるフェリクスを、コレクトが袖を掴んで引き止める。

 フェリクスはすでにコレクトのことなどどうでも良さそうだったが、コレクトにとっては死活問題だ。

 このまま血を流し続けていたら、いずれ死ぬ。

 

「フェリクス様、癒しの奇跡を……」


「貴方は先ほどただの腹痛だと御自分でおっしゃられていたではありませんか。私には急ぎ確かめねばならない用ができました」


 腹痛を癒している暇など無い、と言ってフェリクスは袖を掴んできたコレクトの腕を振り払う。

 ここまでくると自供を引き出すための駆け引きというよりは、本当に小者コレクトのことなどどうでもよく、聖女に以前から害をなしていた王子アレオスへの事実確認を行いたいのだろう。

 傷の消えたアスランに向き直り私の警護を任せると、フェリクスは早足に去っていった。

 

「……あの、聖女様」


 情けない声を出して、コレクトが私を振り返る。

 何が言いたいのかは判ったので、あえて確認はせずに答えてやった。

 

「癒しの奇跡ですか? もちろん、わたしも女神ミエリクトリより授かっていますよ」


「でしたら、是非私めに……」


「え? 貴方のそれは腹痛ですよね?」


 腹痛に奇跡による怪我の治療など必要はないだろう、とアスランと顔を見合わせる。

 アスランはナイフで刺された当人なので、コレクトに同情することもなかった。

 

「大丈夫ですよ。人間は血をどんぶり一杯も流せば死ぬそうですから」


 あら、間違えた、と伸び伸びとした自分の発言を否定する。

 言いたかったことは、これではない。

 ついでに言えば、どんぶりを例にあげたところでコレクトに通じるわけもない。

 

「急所でなくても、人間は意外と何処を刺しても死ぬそうです」


 怖いですね。

 でも、腹痛には関係のない話ですね、と続けると、コレクトは青白い顔をして気を失った。

 少し脅しすぎたらしい。

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