8/26

浅い眠りから目覚めると、僕は真っ先に時計を確認した。

時刻はまだ午前5時。

最後に時計を見たときには2時頃だったから、少しは眠れたみたいだ。

窓の外には、微かに太陽の光が滲んでいて二度寝するのが少し億劫に感じた。

とはいえ、布団から起き上がるほどの気力はないので、パッチリと冴えてしまった目をもう一度閉じて意識が遠くなるのを待った。


どうも僕はバカなんだと思う。

諦めようと決めたのに、ひなせさんの口からちゃんと答えを聞くまではやっぱり諦められない。

あれからひなせさんの返事を何通りも頭の中でシュミレーションした。しかもどちらかというと、成功したパターンの方が多い。

なんなら付き合ったらどこに行くか、何をしようかなんてところまで妄想が及んでいる。

我ながら女々しくて気持ち悪い。


昨日のひなせさんの態度からみて、成功する可能性が低い事なんて自分でも良くわかっているはずなのに。昨日散々そう結論付けたのに。

期待と不安と焦燥感がぐちゃぐちゃに入り混じって僕の心臓をドクドクと鳴らすせいで、余計に目が冴えてきた。

流石に殆ど寝ていない状態で学校に行く気にはなれないので、なにか別の事を考えることにした。

こういう時に眠ろうとか、寝なくちゃいけない、なんて考えるとかえって眠れない事を僕は良く知っている。

枕元に置いてある携帯に手を伸ばして、お気に入りの音楽を小さな音量で垂れ流した。

お気に入りと言ってもそんな特別なものじゃなくて、世間で話題の聞き覚えのある曲をプレイリストにまとめて、ランダムで流しているだけなんだけれど。これのおかげで音楽に疎い僕でも多少は友人の話についていけている。


しばらく流れてくる音楽に耳を傾けていると、何曲か聴き終えた頃には多少眠気を感じるようになって、鼓動も落ち着いてきた。

そういえば、昨日会った女の子が教えてくれた曲なんだったっけ。

思い出そうとして頭を働かせてみたけれど、今度は逆に意識がぼーっと遠のいていき、まぶたが重くなった。

眠りたい時には眠れないのに、ちょっと考え事をするとすぐこれだ。

人体っていうのは思った通りにはなってくれなくて不便だ。



結局再度目覚めた時には既に遅刻が確定していたので、ゆっくりと朝ごはんを食べてから家を出た。もう1限目の授業が始まっている頃だろう。

間に合わないのが分かっていて走る気にもならないので、2限目には間に合う程度の速度で学校へ向かった。

今日は見慣れたいつもの景色がやけに色付いて見えた。それでいて足が少しすくんだ。


結局、1限目の途中には学校に到着してしまった。授業中の教室に入っていくのは気が引けたので、遅刻届を職員室に提出した後、授業が終わるまでトイレの個室に隠れて時間を潰す事にした。

少し携帯をいじっていると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴って廊下から騒々しい声が聞こえてきた。

さて、そろそろ教室に行くか。

腰を上げて扉を開けようとすると、外から聞き馴染みのある声が聞こえてきた。僕の一応友人である濱谷の声だ。


「あいつ今日学校来ないんじゃね?」

「あーたしかに。来れないっしょ」

もう一人は、相川みたいだ。これも一応僕の友人だ。

どうやら僕の話をしているようだ。


「ひなせに告白するとかまじ無いわ」

「なー。高嶺の花ってやつだろ」


あれ?なんで知ってるんだろう。

当然僕は彼らにそのことを伝えてないし、ひなせさんが言いふらす筈がない。


「ひなせ昨日泣きながら電話かけてきてさー。まじビビったわ」

「あー、俺も俺も。相談したいって言われて、夜中まで電話してたわ」


そんなはず無い。ひなせさんはいつも早く寝るはずだ。昨日だって…そのはずだ。


「あいつじゃひなせは無理だよなー」

「はは、たしかに」

トイレの流水音が消えると彼らの声も遠くなっていった。

僕は訳が分からなくなって、便器にまた座り込んだ。

今すぐにでもあいつらに問い詰めたい気持ちだけれど、あれだけ毒を含んだ言い方をされると聞くに聞けない。だって、それで全部壊れてしまいそうな気がするから。知らないふりをして平穏に過ごせるならそれはそれでいい。なんとなくは分かってた事だしね。

そんなことよりも今はひなせさんだ。

ひなせさんは何で、あいつらに言ったんだろう。


僕はぐちゃぐちゃな心で必死に考えた。ただ、どれだけ考えてもネガティブな事しか思いつかない。

でも、それらは僕の好きなひなせさんのやる事じゃない。

ひなせさんはちょっと天然で、純粋で、可愛くって、誰よりも優しい。


もしかしたら、ひなせさんは勘違いをしたのかもしれない。僕の友人ならこの事は知ってるって、そう思ったのかもしれない。

そうだよな。ひなせさんは言いふらそうとした訳じゃ無いんだ。ただ、僕が彼らに教えて無かったのが悪いんだ。


こんな事を考えている間にも時計は進む。もうすぐ2限の授業が始まってしまう。

とにかく教室に行かなければならない。僕は立ち上がり洗面台の前で鏡を確認した。よし、ちゃんとなにも知らない顔を作れている。


教室に入り自分の席に座ると、隣の濱谷に話しかけられた。

「おう玲、来たんだ」

「おはよ」

「今日お前サボりだと思ったわー」

「はは、寝坊しちゃった」

いつも通りの何気ない態度

「珍しいじゃん。なんかあったん?」

「いや、別に何も無いよ」

いつも通りの何気ない会話

「ふーん、まぁどうでもいいけど」

「………だよね」

いつも通りの雑な返答


結局今日1日彼らが僕に何か言ってくる事も無ければ聞いてくる事も無かった。



ホームルームが終わってひなせさんが席を立つと、僕は彼女の後を追いかけた。

「ひなせさん!待って」

廊下に出て玄関に向かって歩いている彼女を少しだけ大きな声で呼んだ。

それでも聞こえていないようで、彼女は歩く足を止めなかった。僕はムキになって走って、彼女の肩を掴んで呼び止めた。

「ひなせさん。待ってよ」

「……どうしたの?玲くん」

ひなせさんは一瞬だけ面倒くさそうな顔をした。けれどそれもすぐに消えて、いつもの笑顔のひなせさんに戻った。

「どうしたのって…昨日の返事欲しいなって思って…」

「あー、ごめんね。そうだよね」

そう言うとひなせさんは俯きながら腕を組んで考えている素振りを見せた。僕はずっと悩んでいたのにひなせさんにとってはどうやらその程度の話みたいだ。

ひなせさんは「んー」と唸りながら俯いていると、通りすがりの男子生徒がひなせさんの肩に腕を乗せた。

「ひなせ、なにやってんの?」

名前は知らない。けど外見から察するに多分野球部の人なんだと思う。僕とは真逆のタイプの人だ。

その人は僕の事なんて見えてないみたいで、ひなせさんに馴れ馴れしく顔を近づけている。

「んー?今大事な話してるのー。だから後にして」

言葉とは真逆にひなせさんも楽しそうにその男子とジャレ合い始めた。僕が触れた事もないひなせさんの手をその男子はいともたやすく握っていた。ひなせさんは困った顔をしていたけれど、なんだか嬉しそうだった。

「あー、ごめんね玲くん。明日には返事するから!」

そういうとひなせさんはその男子生徒と一緒に僕の前から消えた。


ひなせさんにとって僕なんか自分が気持ち良くなる為の道具にすぎないんだろうね。



23時、僕は昨日と同じ公園に向かった。悩みがあるっていうのもあるけれど、ただなるみさんに会いたかった。

入り口まで着くとベンチに座っているなるみさんが見えた。

「あ、玲くん!来てくれたんですね!」

彼女は目が合うとベンチから立ち上がって僕に駆け寄ってきた。

「待たせてごめんなさい」

「いえいえ!私もさっき来たばっかです!」

「いえ…本当にごめんなさい…」

「…玲くん?」

なるみさんの顔を見たら途端に隠してきた物を全部聞いてもらいたくなった。なんとなく気が緩んでしまう。そんな雰囲気がなるみさんにはあった。気づけば目が熱くなって涙が滲んでいた。

「なるみさん……ぼく、どうすればいいですか?」

「…とりあえず座ろっか」

なるみさんはそう言うと僕の手を引いてベンチにくっついて座った。


「なにかあったんですか?」

なるみさんは僕の手を握ったまま真剣な眼差しで僕が話始めるのをじっと待っていた。


「…昨日好きな人に告白したんです」

「うん」

「…その人は全然僕の事なんて何とも思ってないって分かって、嫌だけど諦めなきゃいけないって思って、でもやっぱりまだ好きで…」

「うん」

「ちゃんと返事貰ってないからさ、期待しちゃって。答えなんてもう分かってるのにね」

「………」

「ほんと馬鹿だよね。ひなせさんからすれば僕なんかクラスメイトの1人にしかすぎないのにさ。勝手に好きになって、告白なんかして。気持ち悪いよね」


なるみさんが真剣に聞いてくれるから、つい誰にも言わないような事まで喋ってしまった。普段話さない事だからぐちゃぐちゃな言葉で我ながらみっともないな。


なるみさんは僕がひと思いに喋り終わったのを見ると、小さく深く息を吸って僕の手をぎゅっと握った。


「あのさ、玲くん」



「私じゃダメかな?」


「……え?」

「だからさ、私じゃその人の代わりになれないかな?」

僕が呆然としていると、なるみさんは雲がかかった空を見ながら独り言のように語りかけてきた。


「私さ、初めてだったんだ。男の子と一緒に星見たの」

「玲くんは私の話をちゃんと聞いてくれたしさ、私のこと気遣ってくれたりもしたでしょ。優しい人だなって思ってたんだ」

「だからさ、玲くんがよかったら私をその子の代わりにしてくれないかな?」

僕は言い訳ばっかりが頭に浮かんだ。


「で、でも…僕達昨日出会ったばっかりじゃないですか…そんなの良いんですか?」

「うん良いんだよ。だって…」

なるみさんは僕の方を見ながら、目を輝かせて嬉しそうに言った。

「運命みたいで素敵じゃない?」


そんな顔でそんなことを言われたら、言い訳の余地もない。そんな気がした。

「…本当に僕なんかでいいの?」

「うん。玲くんがいいの」

「え、でも……」

「でもじゃないよ!玲くんは私じゃダメなの?」

「いや、そう言う訳じゃないっていうか、なるみさんは僕なんかと釣り合わないっていうか…」

「そんなの関係ないじゃん!」

なるみさんは怒った顔をして、瞳が少し涙ぐんでいた。

「釣り合うとか釣り合わないとかそんなの誰が決めるの!私が玲くんと一緒にいたいんだよ!玲くんはどうなの?」

あぁ、そっか。僕のこういう態度が、こういう考え方が彼女を傷つけているんだよな。僕は自分のことばっかりだな。

もう、そういうのは辞めよう。


「………ごめんね。そうだよね。僕もなるみさんと一緒にいたい」

「だから、なるみさん。僕と付き合ってください」


なるみさんは、ぱぁっと笑顔になって言った。


「はい!喜んで!」


僕達の短い夏はここからはじまった。

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