第二木曜日の依頼人

Episode1

 明るかった空は群青色と茜色が混ざり合ったような色に変わり、運動場に設置さえれた照明塔に明かりが点く。灯りに照らされながら、野球部が声を張り上げながら練習を続けていた。


 生徒の下校時間をとうに過ぎている校舎の中は、数名の生徒が残っていた。廊下の電灯も消え、窓から微かに零れる照明塔の光だけが頼りだった。


 一棟三階の端にある生徒会室には、生徒会長と二人の副会長が先日行われた委員会報告の書類をまとめ終え、片付けをしていた。一足先に片づけを終えていた副会長の名波ななみ志穂しほはリュックを引っ掴み、「じゃ、また」と早口に言い、返事も聞かず生徒会室を出た。

 

 足が自然と速くなる。


 階段をすべるようにして降りていく。


 幸い、教師どころか生徒の誰ともすれ違わなかったので注意されたり、ぶつかったりという事故はなかった。


 目的の場所が見え、ようやく足を止める。


 心臓の鼓動が耳元で鳴っているような気がした。胸に手を当て、目を閉じ、深呼吸をする。少しでも緊張を和らげたかった。二、三回繰り返した後、ゆっくりと瞼を開け、目線を少し上げた。


 視線の先にある黄ばんだ小さい看板には、「図書室」と書かれていた。少し視線を下げれば、教室の前にある廊下よりも幅が広い、薄暗い渡り廊下が続いている。


 この奥に進めば、『なんでも屋』へ辿り着ける。


 今日の昼休み。志穂は『なんでも屋』への依頼書を本と一緒に返却箱へ入れていた。方法は合っている。だが、誰かに依頼書を入れるところを見られていないか、返却本を確認しに来た図書委員に中身を見られたらどうしようと気が気でなかった。


 五時間目の現文では、教師から指名されていたのに気づいたのは、名前を三回も呼ばれた時だった。


 『なんでも屋』への道が開けるのは、真剣な願いがある者。志穂には真剣な願いがある。故に、『なんでも屋』に辿り着ける。


 スカートのポケットにあるスマホを見れば、”十九時三分”と示されていた。電源を切り、再びポケットの中へと仕舞った。


 大きく深呼吸をし、覚悟を決める。音を立てないよう慎重に歩き出した。渡り廊下の入り口に足を踏み入れる。


「依頼人かい?」

「ヒッ」



 突如聞こえてきた声に、思わず悲鳴を上げた。まさか、自分以外の誰かがいるとは思っていなかった。


 辺りを見渡すが、姿が見えない。


 そこから瞬時に思い浮かべたのは、幽霊。


 志穂は幽霊の類を怖いと思わない。むしろ好きな方だ。けれど緊張と状況が重なって、手先が冷たく震えている。


 ごくり、と無理やりつばを飲み込んだ。


「相変わらず、人間は面白い反応してくれるなあ」


 ケケケ、と笑い声がした。さっき聞こえてきた声と同じだ。神経を尖らせていたからか、その声が足元から聞こえてきたのがわかった。


 視線をゆっくり下げ、目を丸くする。


 バスケットボールより一回り大きい、丸みを帯びた赤い物体。上面の中心には茶色のヘタが付いている。志穂を見上げ、巨大な口が歯を見せて笑っていた。


 その正体は、巨大なリンゴだ。巨大なリンゴに口が付いている。それを意味するのは、このリンゴが声の主だということ。


 あり得ない。


 非現実的な光景をありありと見せつけられ言葉を失った志穂に、リンゴは愉快に笑う。


「悲鳴を上げたと思えば、今度は声が出ねぇのか? 忙しいヤツだなあ」


 本当に喋っている。本当に笑っている。


 志穂は石のように固まり、そのままリンゴを凝視する。そして、首を傾げた。


 どこかで見た事があるような気がした。


 記憶を探る中で、パニックになっていた頭も冷静になっていく。そのおかげで、求めていた記憶を取り出すことができた。


 震える声で、恐る恐る尋ねる。


「ね、ねえ。もしかして……図書室の前に置かれてるリンゴ?」

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