序章

 都市伝説や階段がいつどこで生まれたのかは定かではない。

 

 誰に訊いたと問えば、友人から聞いたと答えられ、その友人に訊いたら知人から聞いたと返ってくる。その友人に訊いたとしても同じ言葉を返され、そして繰り返されるだけだろう。

 

 とある高校には、生徒達の間で囁かれる有名な話があった。


 朝読書の前、教室や廊下は生徒の声で賑わっている。それは受験を控える三年生の教室が並ぶ階も例外ではない。登校してきた三井みつい奈々ななは教室に入るなり、友人の席へ真っ直ぐ向かった。


「ねえねえ。六組の浅野あさのって人が『なんでも屋』に依頼したって」

「ふうん」


 彼女の友人—石川いしかわひびきは、奈々を一瞥してそう言うと欠伸をした。表情だけでなく体、雰囲気全体で「眠い」を表現しているが、奈々は特に気にせず話を続ける。


「別れた彼女とよりを戻したくて『なんでも屋』に頼んだらしいよ」

「あっそう」

「……興味ないでしょ」


 唇を尖らせる奈々に、「全くない」と響が一刀両断する。奈々は呆れたように肩を竦めた。二人は長い付き合いで、響の周りへの興味のなさは折り紙付きである。


 例えそれが、自分たちが通う学校に纏わる、有名な話だとしても。


 会談や都市伝説のようなオカルトの類に近いその話は、この高校に通う人間に知らないと答える者はいないと断言できるだろう。


 毎週木曜日の放課後、校舎と図書室の渡り廊下が『なんでも屋』へ繋がるという話だ。『なんでも屋』とは名の通り、”なんでも願いを叶えてくれる”。方法は返却箱に叶えて欲しい事と名前をかいた依頼書と本を一緒に入れるだけだ。


 『なんでも屋』に辿り着けるのは、真剣な願いがある者。おふざけ半分、興味本位で心にもない願いを依頼書に書いて返却箱に入れ、渡り廊下を歩いたとしても『なんでも屋』に辿り着くことはできない。その理由から、『なんでも屋』の店主は魔法が使えるのではないかと囁かれている。


 店主の存在は、依頼する人間が直接会っているにも関わらず、口を揃えて「知らない」と言う。依頼した事は覚えているのだが、その内容は自分自身で依頼したにも関わらず、曖昧だ。加えて店主の顔は霞がかっており、声さえはっきりと覚えていない。


 皺だらけの老婆かもしれない。


 誰もが惚れるような美貌を持った女性かもしれない。


 図書室の司書かもしれない。


 人間じゃないかもしれない。


 正体不明の『なんでも屋』について、生徒は飽きもせず話をし、妄想を膨らませる日々だった。


「それなんだけどさ。浅野、重いって理由で振られたらしいよ」


 奈々の話を聞いていたらしい。隣の席に座る女子が目を光らせて口を挟んだ。クラスのカースト制度の中では上位にいるグループの女子で、色恋沙汰の話はすぐ耳に入ってくるようだ。


 そうなの、と聞き返す奈々に頷く。


 続いて向かい合わせになっていたもう一人の女子が、スマホから目を離さないまま口を開いた。


「仮により戻ったとしてもすぐ別れそうだよね」

「じゃあ狙っちゃおうかなあ」

「え、なに。もしかして浅野の事好きだったの?」

「好きっていうか、気になってたっていうか。ほら、浅野って結構イケメンじゃん」


 そのまま話が恋バナへと早変わりしてしまった。


 奈々はそっと視線を逸らす。


「女子って凄いね」

「アンタも女子でしょ」


 すかさず響のツッコミが飛ぶ。かくいう響も、内心ではめんどうくさそうだと顔を顰めていた。


 時計の針が八時十五分を指し、朝読書の始まりを告げるチャイムが校舎に木霊する。出歩いていた生徒はせわしく自分の席に着いて本を開く。


 目の前から奈々が消えた響も、読みかけのページを開き、文章に視線を走らせた。


 今日は木曜日。


 『なんでも屋』への道が開かれる日。


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