第一章

第6話 呪いの子

―レウス王国 ラバナ村―



「おめでとうございます!元気な男の子ですよ!」


 産婆のひとりが、満面の笑みを浮かべながら夫婦に声を掛ける。

 柔らかい布にくるまれた赤ん坊をそっと差し出され、母親となった女性は目に薄っすらと涙を浮かべながら我が子をその腕に抱きかかえる。


「よく頑張ったなミリア!――見てごらん、このダークブロンドの髪の色に涼しげな目元……君にそっくりだ!」


「ふふ、でも目の色はあなたと同じ、キレイなみどり色だわ。鼻筋も通って……将来はあなたに負けないくらい“色男”になるんじゃないかしら。

 それに、わたし達の子供だから、この子も学者になりたいって言うかもしれないわね!」


「はっはっは、まだ生まれたばかりだっていうのに気が早いなあ。元気に育ってくれさえすれば、それで十分さ!――もちろん、俺達の仕事を継いでくれたらそれは嬉しい事だけどね」


 ふたりは笑いながら待望の第一子を授かった幸せをかみしめ、腕の中で元気な声をあげる我が子を慈愛に満ちた表情で見つめる。



 そんな幸福の絶頂にあるふたりの元に、先ほど声を掛けてきた女性とは別の、高齢のベテラン産婆が神妙な顔つきで歩み寄り、思いもよらぬ言葉を告げる。


「――このような事を申し上げるのはとても心苦しいのですが……その子は長くは生きられないでしょう」


 唐突に突き付けられた信じがたい言葉に、夫婦は目を丸くして互いの目を見つめる。

 言葉を失いながら動揺と疑念の入り混じった視線を産婆に向けると、産婆は目を逸らしてふたりの視線を切りながら重々しい口調で言葉を続けた。



「お子さんの右肩を御覧ください。不自然な程はっきりとした痣があるでしょう?――それは『呪い』を持っていることを示す不吉な証左なのです」



 その言葉を聞き、ミリアは慌てた様子で布をめくって我が子の右肩を確認する。

 するとそこには産婆の言う通り、二匹の蛇が絡み合っているような不気味な痣があるではないか。


「――ああ、何てこと! 嫌よ、そんなの信じられないわ!! 何で、何でこの子にこんなものが……!」


「ミリア、落ち着くんだ! まだそうと決まったわけじゃない。きっと何かの間違いに決まってる……! だってこの子はこんなに元気じゃないか!!」



「信じられぬのも無理はありません。ですが、“この私が”痣の形を見間違えるわけがないのです……!」


「どういうことですか!? 専門家でもない只の産婆であるあなたが、どうしてそう言い切れるんですか?」


 産婆がためらうように口をつぐんだことで暫しの沈黙が流れるが、やがて産婆は意を決したように口を開いた。


「私の妹が……これと同じ呪いを持って産まれてきたからです。ですから忘れることなどできるわけがありません。あの子がどんな目に遭い、どうやって死んでいったのか……まるで昨日の事のように覚えています」


 産婆はシワだらけの両手を祈るように胸の前で組み、頭を垂れて両手を眉間に近づける。あふれ出る記憶や感情を抑えようとしているのか、深呼吸をしながら押し黙ってしまった。



「も、もしそうだとして、一口に呪いといっても色々な種類があるはず……! これは一体何の呪いだと言うんですか!? 辛い記憶を思い出させることになってしまうと思いますが……どうか教えてください」


「――ええ、もちろん……お教えしますとも」


 組んでいた手をゆっくりと下ろし、夫婦を真っ直ぐ見つめながら産婆は話し始める。


「妹が抱えていたのは〈狂気の呪い〉と呼ばれる呪いでした。まるでいたぶるように徐々に徐々に進行する呪いで、進行に合わせて痣が体中に広がっていくのです。

――あれは妹が3歳の誕生日を迎えた翌日でした。“それ”は突然始まり、程なくして妹は“壊れて”しまったのです……」


 不穏な言葉が次々と並べられ、ついさっきまで幸せに包まれていたはずの温かい空気は重苦しいものに一変してしまう。いつの間にか泣き疲れて寝息を立てる我が子の穏やかな表情が、より一層ふたりの不安を掻き立てるのだった。



「その、“壊れる”というのはどういう事なの……?」


「心が蝕まれて正常な意識を保てなくなるのです。――わたしは後に様々な文献を読み漁り、この呪いは精神汚染や記憶障害、『スキル』の劣化などを引き起こす恐ろしいものなのだと知りました。後天的に呪いが発現することもあるようですが、概ね3年程度で心が壊れ始め、数か月苦しみぬいた末に死を迎えるという部分は呪いの発現時期に関わらず共通しているようです」


「ちょっと待って下さい!呪いというのは自身を蝕む代償として超常の力をもたらす悪魔の力のことですよね? 私の記憶が確かなら、その力を使いさえしなければ呪いは進行しないという話を聞いたことがあります。――呪い持ちは王都に入れてもらえなくなるかもしれないが、それでも命を失うことだけは避ける事ができるのでは!?」


「確かに呪いの中にはそうしたものがあるかもしれません……でも、この呪いはそんなに甘いものではないのです。本人の意思とは関係なく、ただひたすらに心を蝕み、確実に死に至ります。しかもそれでいて超常の力すら手に入れることができない――文献にはだと記されていました」


「そんな――」


 膝から崩れ落ちそうになる父の耳に、周囲の只ならぬ不穏な気配を感じ取ったのか、目覚めた我が子の鳴き声が突き刺さる。


「あなた、これを見て!」


 震える脚に力を込めなおし、すぐさま妻の視線の先へ意識を向ける。

 ――すると泣きわめく我が子の肩にある痣が、淡く赤い光を発しているではないか。

 まるで絡み合う蛇がうねるようにして、ほんの僅かに――だが確実にその面積を広げている。それは、無情にも産婆が言っていたことが本当だと示す証拠としてふたりに突きつけられることになってしまった。



「俺たちは……どうすれば――」


 愕然とした気持ちが込み上げ、再び虚脱感が体を支配しようとした瞬間、力強く手を握ってきたのは妻のミリアだった。

 驚いて妻の顔を見ると、その目には握る手と同じく力強い意思が宿っていた。


「ねえ見て。わたしの指を握る小さな手――こんなに小さいのに、とっても力強いのよ!」


 まだ目もしっかり見えていないであろう我が子が、ミリアの指を必死で掴んで痛みに耐えている。――大きな声を上げながら懸命に自分の存在を叫び続ける様子に、不思議と熱いものが込み上げてくる。



「間違いない……この子は、生きようとしているわ……! こんなに頑張っているのに、私たちが諦めてどうするの? トール、あなたがこの子の父親としてすべき事は、ただ嘆く事ではないはずよ!」


 まるで頬を張られたような、目が覚めるような衝撃が身体を駆け巡る。

 妻の叱咤激励によって覚悟を決めたトールは、我が子の頭を優しく撫でながら誓いの言葉を口にするのだった。


「誇り高きルーテウス家の人間が弱腰になっていては、先祖に顔向けできないな。――必ず、どんな手を使ってもこの呪いを押さえる方法を見つけてみせるぞ!」



 数奇な運命と呪いを持って生まれたひとりの赤ん坊――

 世界とっては一滴の雫が水面みなもに落ちた程度の出来事であったが、やがてその波紋が大きな時代のうねりとなっていく事をまだ誰一人として知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る