第4話 魔王の誕生④
「うっ、ぐ……ぅぅうおおおおお……!!」
リゼを抱き寄せ、喉から絞り出すような呻き声を上げるガランド。目から大粒の涙が溢れ、噛みしめた唇からは血が滴っている。
心の中で激しい感情が渦を巻き、抑えきれない想いが脳の電気信号となって身体を震わせ、全身をこわばらせる。
「これが……これだけが望みだったんだ……
リゼが戻らなかったら、俺はもう……この世界を
ガランドは嗚咽を漏らしながら天を仰ぐように顔をあげ、張り裂けんばかりの叫び声を上げる。
「誰でもいい!!! 神でも、悪魔でもいいから助けてくれ!!! 頼むから……頼むからリゼを奪わないでくれ……俺は、リゼと一緒に居たいだけなんだ!!」
[ならば、力を貸してやろうか――]
「――!?」
突如頭に響いた謎の声。
全身の毛が逆立ち、冷水が毛細血管の隅々まで駆け巡ったような鋭い悪寒が走る。
(い、いったい何だ……!? この感じは尋常じゃない――)
細胞の1つ1つが叫び声を上げているような、その場に居ても立ってもいられないような感覚――本能が今すぐ逃げろと警告を発するが、ガランドはグッと拳を握り締め、持ち前の強靭な精神力で辛うじて踏み止まるのだった。
――強く握ったその拳からはポタリポタリと血が滴り、地面に赤い斑点を描いていく。
(この声の主が何者かなんてどうでもいい。可能性があるなら何にだって
ガランドは意を決し、姿の見えない声の主に返事をする。
「俺は、この
――ずっと、ずっと一緒にいようと誓った大切な人なんだ!……力を貸してくれ!!」
ガランドの悲痛な声が虚空に吸い込まれていく。
しばらくの静寂の後、再びおぞましい声が脳内に響き渡った。
[いいだろう。その願い――確かに聞き入れたぞ]
その声が終わるや否や、ガランドの前に人一人がすっぽり入りそうな――大きな宝箱のようなものが突然現れる。
何が起きているか飲み込めないでいるガランドに、声の主は短く一言だけ告げた。
[お前の血、そして魔力をその箱に捧げよ]
目の前にある禍々しい装飾が施された重厚な箱は、周囲に立ち込めるそれとは比較にならない程の闇の魔力を湛えている。
大騎士としての矜持が、一人の人間としての良心がこの箱に手を出すべきではないと警鐘を鳴らすが、ぐったりと腕の中で横たわるリゼの姿がガランドを更なる狂気へと突き動かした。
ガランドはゴクリと唾を飲み込み、左腕にリゼを抱きかかえたままゆっくりと右手を箱に伸ばす。先ほどから意識を保つために握りしめていた拳を開き、血まみれの手のひらをぐっと押し付けたその時、頭の中に声が響いた。
[それは『災厄の箱』という古代の遺物だ。最も深淵なる闇の力の神髄が――『闇の源泉』が収められている]
「――災厄の……箱……? 神魔大戦時代の遺物、ということか。そんな物が実在するなんて……!」
ほんの一瞬ためらいを見せたものの、もはや目の前の箱の危険性など深く考えている余裕はなかった。血を吸ったことで脈打つように魔力の波動を発するようになった箱に、自らの魔力を流しこもうとしたその時――
や め て ガ ラ ン ド ! ! !
後頭部を叩かれたような衝撃と共に聞こえてきたのは、今となっては懐かしさすら覚えるような、聞き間違えるはずのないリゼの声だった。
「リゼ――!?」
慌てて辺りを見回すガランドだったが、目の前で不穏な雰囲気を放つ箱以外は周囲に変わった様子はない。荒くなった自らの呼吸音がうるさく頭の中にこだまし、ガランドは僅かに冷静さを取り戻した。
[どうした、今さら臆したのか]
「――少し、時間がほしい。考える時間が……」
[禁術には代償が伴うものだ……見る限り、もはやその女に残された時間は幾ばくもないようだが]
「代償――そんな……!」
[ククク……禁術の反動は見物だぞ。一度“それ”が始まれば、あっという間に肉は腐り皮膚は爛れ落ち、骨も残さず蕩けて消えてゆく。 残るのは鼻の曲がるような腐臭と、消えることのない後悔くらいだろう……]
「駄目だ……それだけは絶対に嫌だ……!」
[時間の凍結をしようが、光の魔力を注ぎ込もうが、それは止められぬ……肉体が無くなれば、箱の力を以てしても蘇生は不可能だ]
――ドクン
先程かろうじて踏み止まることができたガランドだったが、再び頭の中を焦燥感とリゼを失う恐怖が埋め尽くしていく。
(……まだ“代償”は始まっていないようだが、悠長に考えている時間はない……いや、そもそもこの声が言っていたことは事実なのか!? ――だめだ、そんな事わかるわけがないし、考えても意味がない。もう、俺に残された選択肢は他にないんだ……!)
体中から冷や汗がふき出し、心臓の鼓動が早くなっていくのを感じながら、覚悟を決めて今一度右手に力を込めるガランド。
残り少ない魔力を全て注ぎ込み終えた時、赤い光が箱の輪郭をなぞるようにスーッと走る。
ほんの一瞬の静寂の後――箱の口は鈍い音と共に勢いよく開いた。
「……ぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!!!!!!」
地の底から湧き上がるような絶叫を上げ、黒紫の煙を巻き上げながら出てきたのは――何千何万もの死霊のようなものだった。
デスマスクを思わせる不気味な顔が耳をつんざくような叫び声を上げながらガランド達の身体を通り抜け、地上へ向けて猛烈な勢いで突き進んで行く。
全身を駆け抜ける激痛と精神を穢されるようなおぞましさに、自分でも出したことのない叫び声を上げるガランド。
死霊とガランドの叫びが渾然一体となった歪な“メロディ”を聞き終えた声の主は、リゼを抱えながらぐったりとしているガランドに満足そうな声で語りかける。
[――中々いい“音色”だった。どうだ、今の気分は?]
激痛の余韻に息も絶え絶えになりながらも、ガランドはリゼを抱える腕に力を込め、気力を振り絞って虚空を睨みつける。意識が遠のきそうになりながら精一杯の虚勢を見せるが、次の瞬間、はっとしたように急いで視線をリザへと戻す。
――妻を抱きかかえる自身の手に、わずかな温もりを感じたからである。
「リゼ!? ――ああ、信じられない……俺だ!ガランドだ! 目を開けるんだリゼ!!」
声に反応してピクリと眉を動かし、ゆっくりと目を開けるリゼ――
その様子を見て歓喜に打ち震えるガランドとは対照的に、目を覚ましたリゼの表情は悲壮感に満ちていた。
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