第3話 魔王の誕生③

数日後――


「話には聞いていたが、恐ろしいほどの瘴気だ――! こうして身体を光の魔力で覆っていなければ、たちまち体の自由を奪われ死を迎えることになるだろうな……」


 村長のはからいで死の谷への門を無事くぐり抜けたガランドは、次第に濃くなる瘴気を掻き分けながら谷底を目指して三日三晩進み続け、やっとの事で“目的の場所”へと辿り着いていた。


 そこは、かの悪魔が絶命したとされる場所であり、割れた山脈が形作った深い谷の最深部に位置している。期待と不安の入り混じった足取りでその場所に踏み入った瞬間、ガランドは味わったことのない不思議な感覚に包まれた。


「何だここは――この場所だけ瘴気がない……!」


 先ほどまで歩いてきた無機質な固い岩肌と打って変わり、この空間だけ黒曜石のように澄んだ黒い鉱石に覆われていた。ガランドが松明代わりに用いている魔法の光を壁面に近づけると、照らされた鉱物は光を反射して艶やかな怪しい輝きを放つ。


「なるほど、どうやらこれは『魔石』の一種だな。長い期間を経て形成されたんだろう……大陸で唯一闇の魔力が現存する場所とはいえ、闇の魔石なんて世界中を探したってまずお目に掛かれない代物だ……!」


 高ぶる気持ちを抑えながら歩を進めるガランド。

 魔石に音を吸収する性質があるのか、耳障りだった足音の反響がほとんどなくなり、どこか静謐せいひつさすら感じるほどである。


 魔力が最も濃い場所を探すように周囲を歩き回り、しばらくしてピタリと足を止める。――ガランドの口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。



「ふっ、ふふふ……すごいぞ、“あの文献”に書かれていたのは本当だった! 瘴気とは全く違う、穢れのない闇の力……これを探していたんだ!!」



‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


――しばらくして、ガランドは地面に描き終えたばかりの魔法陣の傍らに立ち、胸元のペンダントを握りしめながらそっと魔力を込める。


 するとペンダントは青白い光を発し、同時に目の前に時空の穴が出現する。

 ガランドはその中に両手を差し入れ、ゆっくりと、慈しむような所作で時空の穴から一人の女性を取り出すのだった。


「待っていてくれリゼ……もう少しの辛抱だ」


 まるで眠っているかのように安らかな表情を浮かべた妻の身体を両腕で抱きかかえ、ガランドは一歩、二歩と魔法陣の中央に進み、静かにその体を横たえる。


「光の大騎士が『黒魔術』に手を染め、死者蘇生の禁を侵す――こんなこと、それこそ“前代未聞”だろうな……」


 自嘲めいたひとり言を呟くガランドだったが、妻の顔を見つめる内に沸々と感情が込み上げてきたのか、拳をギュッと握りながら声を絞り出す。


「たとえ誰に非難されようと、教会だけは許さない。どんな手を使ってでも、君を取り戻してみせる……待っていてくれ」


 言葉と同時に勢いよく立ち上がり、懐からビンを取り出して中に入った怪しげな触媒を魔法陣のあちこちに振りまいていった。たちまち触媒は周囲の魔力を取り込み始め、魔法陣は深い紫色の光を帯び始める。



「――あの日、君は何を見たんだい? 頑なに話そうとしなかったのは、私の立場を考えての事だったのかい? 今度こそ君を辛い目に合わせたりしない……必ず教会の真実を暴き出し、王国に巣食う悪を根絶してみせる!」



 覚悟を決めたガランドは片膝をつきながら右手を魔法陣に添え、体内で練り上げた光の魔力を一気に流し込んだ。



 すでに魔法陣は闇の魔力で満たされている。

 そこへ相反する力が流れ込んできたことによって激しい力のせめぎ合いが発生し、バチバチと放電現象のような赤黒い光が四方八方に走り抜ける。

 それでも怯むことなく魔力を流し込むガランド――やがて周囲の空間から大木が軋むような不穏な音が聞こえ始めるのだった。


「もう少し……もう少しで“門”が開く……! 骨が折れようが肉が裂けようが構うものか! 絶対にやり遂げて見せるぞ!!」


 荒れ狂う大河を思わせる巨大な力の流れを抑え込み、魔法陣が崩壊しないよう制御しようと必死に試みるが、ガランドは徐々にその圧倒的な力の奔流に飲み込まれていく。


「ぐっ!うぉぉおおおお!!! まだだっ、足りない……もっとだ!! この“混沌の先”からリゼを連れ戻すんだ……!! 全てを……何もかも出し切れ!

ふ り 絞 れ ぇ え え え!!!」





――!?


 目を血走らせ、額に血管を浮かべながら決死の形相で叫んだガランドの視界が一瞬暗転し、耳からふっと音が消える。


 次の瞬間――

 おぞましい赤黒い放電も、不気味な軋む音も消え去り、目の前には時間が止まったような灰色の世界が広がっていた。


 驚きで目を見開いたガランドだったが、ふと上から差し込む光に眩しさを感じ、ゆっくりと意識を上に向ける。

 そこには時空の裂け目のようなものが発生しており、隙間から眩い灰色の光が差し込んでいた。


 突然の事態に動揺する心を強引に鎮めつつ、よくよく周囲を観察すると、裂け目から一本の白い糸のようなものが垂れ下がっていることに気付く。

 その先は……魔法陣の中心で横たわるリゼの身体と繋がっているではないか。



[――間違いない! “向こう側”にあるリゼの魂と繋がっているんだ……!!]


 何故か指一本動かせない状態ではあったが、心の中で死者蘇生の秘術が成功したことを確信し、歓喜に打ち震えながら目の前の光景を見守るガランド。


 しばらくして、その思惑通り光の向こうから引き寄せられるように現れたのは、透き通るような半透明の女性の姿――見紛うはずもない妻のリゼであった。



(ああ……リゼ! よく戻ってきてくれた……! この瞬間をどれほど待ち焦がれただろう。 もう少しだ、このまま魂が肉体に還ればリゼは息を吹き返すはずだ……!)


 ゆっくりと肉体に引き寄せられていくリゼの魂――

 今まさに肉体と重なろうとした瞬間、ガランドの視界の端に信じたくない光景が映り込む。


 安定したと思っていた空間が……時が止まったように動きのなかった灰色の空間が、端の方からボロボロと剥がれ落ち、次々に光の粒子となって消えていくではないか。


(――待ってくれ!!! あと少しなんだ!! あと少しでリゼが戻って来るんだ……! 頼む頼む頼む、間に合ってくれ!!)



 あっという間に視界が光の粒子に包まれ、その直後に身体の自由が戻って来る。

 思うように力が入らず、震える手足を引きずりながらリゼの元へと近づき、そっと顔に手を触れるガランド。



――指先から伝わるヒヤリとした感触が、全てを物語っていた。

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