第2話 決死の逃走
――――
――
「――う、うう……ん……?」
意識が真っ暗な空間を漂っている最中――突然、頬に冷たい感触が走り、ゆっくりと目を開ける。
まぶたの向こうから白い光が差し込み、その眩しさに首をひねりながら悶えていると、徐々に体の感覚が戻ってくるのを感じる。
身体の感覚を確かめながら光の眩しさに目を慣らしていると、しばらくしてぼやけていた視界が開けてきたため、ゆっくりと体を起こして周囲を眺める――
「――ここは、どこ? グレースは……研究所は……?」
目の前には真っ白い雪で覆われた平原――奥の方には遠近感がおかしくなるようなスケールの山脈がそびえ立っていた。研究所はおろか、住み慣れたロンドンの街並みすら見当たらない――
「ううっ……寒い……」
ガタガタと震える体……霞が掛かったようにぼんやりする頭をフル回転させ、自分の置かれた状況を分析する。
私……飛ばされちゃったんだ……
暴走した時空の狭間に落ち、見知らぬ場所に飛ばされたってところかな――
それにあの大きな山脈……これまで仮想空間旅行で世界中を見てきたけど、あんな圧倒的なスケールの山……見たことないよ。
「こんなの……認めるしかないよね……ここは、地球じゃないんだ……」
人類初の人間の時空間転移を“成功”させたという科学者としての興奮と、未踏の地に一人放り出されたことに対する恐怖と絶望感が激しく脳内を交錯するものの、次第に興奮は鳴りを潜め、圧倒的な不安と次の行動を急かす得体のしれない焦燥感に包まれていくのだった。
「どうしよう……とにかくここに居たら凍死しちゃう……!何とかビバークできる場所を見つけないと」
優れた断熱性を持ったインナーを着ているとはいえ、このままでは徐々に体温を奪われてしまう。水も食料もない状況は、まさに絶体絶命のピンチだ。
私は覚悟を決め、ゆっくりと立ち上がり、山脈の手前にある森に沿って雪原を進むことにしたのだった。
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一時間ほど歩いて行くが、進めど進めど森と雪原だけが続いていく。
そもそも私は何を期待して歩いているの――?
ここが地球なら、集落でも見つけて事情を説明すれば助けてもらえるかもしれないけど、今は何一つそれらがある保証はない。
どんな生物が住んでいるのか、言葉は、文明はあるのか、それさえも分からない。
心細さと不透明な先行きに足取りが重くなった頃――
何やら森の方からガサガサという音が聞こえてくる。
その音に内臓がキュッと締め付けられたような感覚が走り、同時に激しい後悔が脳裏を駆け巡っていった。
――そうだ、どんな生物がいるか分からないって事は、いつ襲われるかも分からないって事だ……!
私のバカ……!ここはロンドンじゃない。今、私が立っているのは“野生”のど真ん中なのよ――!
バクバクと胸を叩く心臓の鼓動を感じながら、祈るように森の方へ視線を移すと――そこにはシベリアンハスキーを凶悪にしたような、鋭い牙を持つ“狼”が茂みのすき間から様子をうかがっていた。
「――っ!?」
どうする……!?
確か犬や狼は背中を見せて逃げる獲物を追いかける習性が――
そんなことを考えている脳みそを置き去りにして、身体はすでに森の方向へ走り出していた。
グゥワウッ!!!
走り出したその背中を追って、狼も獰猛な声を上げて走り出す。
障害物がない雪原に走っていたら一瞬で捕らえられていたかもしれない……茂みや枝が密集した場所を強引にくぐり抜けながら木々の間を駆け抜ける。
木々に当たって擦れた顔や首、手にはみるみる傷が刻まれていき、冷たい空気が大量に入り込むことで喉や気管が悲鳴を上げる――それでも背後から迫る命の危機に比べれば些末な事……涙が出ようが鼻水が垂れようがお構いなしでなりふり構わず足を動かした。
「いやだっ! いやだっ! 死にたくない……!! 誰か助けて――」
どれくらいの時間走っただろう――酸素が足りなくなり、全身に重りを括りつけられたように手足の動きが鈍ってきたその時、背中にドンッと重さがのしかかり、右肩に鋭い痛みが走る。
「やめてっ……! 痛い痛い痛い!!! うぅぅぅううああああ!!!!」
もはや何が何だか分からず、咄嗟に傍らの大きな木に体当たりをするようにして、のしかかる狼を叩きつける。
すると狼は怯んだ様子で噛みついた顎の力を緩めたため、ふらつく足に鞭を打って再び走り始めた。
辛うじて爪と牙から距離を置くことができたものの、狼はすぐさまこちらに駆け出し、再び襲い掛かってくる。
偶然石につまづき転倒したその頭上を、狼の巨体が通り過ぎていく――
狼は着地と同時にすぐさまこちらに振り向き、忌々しそうな表情を浮かべてから、今度はゆっくりと狙いを定めるように近づいてくる。
「もう、だめね……こんな形で死ぬなんて……悔しいよ――」
狼が脚に力を込めて地面を蹴った瞬間――
視界の端に銀色の光がきらめき、狼の頭を打ち抜いた。
ドサリと落ちた狼が息絶える様をぼーっと眺め、肩で息をしながらその矢が放たれたであろう方向へと視線を移す。
雪原の方から狩人のような恰好をした屈強な男が近づいてきて、私に何か言葉を掛けている。
――何て、言ってるのかな……?
その言葉の意味は分からなかったが、安堵の感情が湧き上がりそのまま意識を失うのであった。
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