MISSION 45. リーガルリリー


「滑走路上でトラブル発生。わたしたちはしばらく上空待機だ」

「え、事故? 大丈夫か?」


 次はおれの着陸という場面でリディア大佐から通信が入った。


「心配ない。離陸機と被ってしまったらしいが、まあこの辺は戦闘のない空域だ。管制業務も呑気なものなんだろう」


 流石に疲れているから早いとこログアウトしたかったが仕方ない。

 何らかの手違いだけならすぐ終わるだろうし。


「何もしないのもあれだな。哨戒行動でもしようか」

「マジかー、高校生で社畜レベルの残業とか辛み」

「退屈な上空待機よりましだろう?」

「否定はしないけど…………」


 正直、上空待機のほうがトラブル処理の後すぐ着陸できるのだが、朗らかな調子で言うリディア大佐の声に疲れが見えないので渋々同意する。


 再び洋上へと出ると、一番機になったリディア大佐の分割式装甲が解放されていた。


 しかも、どうやらHDMを装着していないようで、強烈な太陽光を反射させた白金色の雪原が眩しく見える。


 南洋の暖かい場所だと言うのに、まるで荒れ狂う吹雪が支配する雪原のように冷たく煌めいていた。

 

「ん? リン、速度も高度もめっちゃ落としてない?」

「ああ、大丈夫だ」


 と言われてもみるみるうちに海面が迫ってきており、失速警報音が鳴り出している。

 

「きみの機体を同期させる。操縦桿から手を離していいぞ」

「何か企んでる?」


 リディア大佐はおれの問いに答えない。

 そして操縦桿が勝手に動き出した。


 照りつける太陽で海面はきらきらと輝き、絶好の海水浴日和だろうか。

 夏空の澄み切った蒼穹と絹のように純白な雲が網膜に映る。


「せっかくの南洋だ。少しは息抜きしないと任務に支障が出るだろう?」


 そう言ったリディア大佐はキャノピーを開け、機外に身をさらけ出した。


「きみもどうだ? 気持ちいいぞ」

「いやいやいやいや何してんの、それ自殺行為」


 リディア大佐の余りの異常ぶりに眠気が吹き飛んだ。


 まるで翼の生えた天使のように身軽な動きで胴体部から主翼へと歩いている。

 流石のおれもキャノピーを開放して大声で危険を訴えた。


「ちょっとマジ危ないって! アバターでも海に落ちてサメに喰われたら痛いでしょ」

「大丈夫だ。振り落とされる心配はない」


 確かにおれの愛機とリディア大佐の機体は一糸乱れぬ見事な併走をしている。


 機首を上げた失速速度ギリギリの飛行だが、それを感じさせないほど安定させた飛行体勢を維持しているのは凄い。


「ほら、きみもHMDローシュを取りな。気持ちいいから」

 

 大佐はまったく悪意の欠片もない目で言うが、極秘偵察任務中に自身を危険な状態に置くとは、リアルな軍属にいる人間がやってはいけない行為だ。


 とはいえ極秘偵察の域を超えた戦闘を行っていたのだから、今更かもしれない。


「しかたねえな~。少しだけだぞ?」


 なので、屈託のない笑みで誘われてしまえば、小難しい理屈なんて丸めてぽいだ。


 どうせゲーム内だし、別にこういう行動に制限もかかっていないだろう。


『サメには気をつけてね』

「フラグ立てないでくれる?」


 通信機から見送るようなリリィの声を聞きながら搭乗座席のハーネスを外しHMDローシュをもぎ取って立ち上がる。


 ぶつかってくる暖かい空気の塊を大きく吸い込んだ。


 仮想世界だというのに、実に気持ちいい。

 爽快感が身体全体を駆け巡る。


 ここがバーチャルリアルな空間だと忘れさせるほどの臨場感だ。


 視界を転じればリディア大佐の僚機である無人機ドローンのプラーシャとレジヴィが寸分違わぬ速度で編隊行動を保っていた。


「あの2機に搭載されている疑似頭脳SDIリーガルリリィ人工頭脳の構造を模したものだ」

人工頭脳SBDとは違うの?」


 キャノピーの後ろに立つリディア大佐が手を差し出してくる。

 完全に機外へ出る形になるが、ここは付き合うしかない。


リーガルリリィ人工頭脳は特別だ。スタニスワラ博士が完成させた、本物の脳神経細胞とナノテクノロジーで構成された生体有機デバイスなんだ」

「出たー、倫理観を無視したSFでよくある設定…………」


 2機を見上げると、プラージャとレジヴィが急加速で海面へ突っ込み、すぐにアフターバーナー全開で盛大な水柱を発生させた。


 当然、大量の水飛沫に襲われる。


 そしてまた2機は同じ機動を繰り返す。

 南の頂から照りつける日差しと弾ける水分の塊が次々と身体に着弾した。


「あいつらになにさせてんの?」

「気持ちいいな」

「え、わざとだよね? これわざとだよね??」


 こちらの苦情を完全に無視した少女は両手を開き、全身に南洋の海水を浴びている。


 屈託のない笑みで素直に楽しんでいらっしゃるようだ。


リーガルリリィ人工頭脳が簡単にハッキングされるのは異常だ」

「あれか? 相手も人工頭脳SBDだからか?」

「きみは何でも知っているな」


 おれはこの会話こそに異常を感じた。

 リディア大佐と人工頭脳SBDのリリィとの間は、必ずしも情報共有が完璧に行われていないように思えた。


 もちろん、リリィは部隊内で気付いているのは極僅かと言っていたので、リディア大佐はその極僅かに入るだろうが。


 一抹の不安を抱えながらも、そのことに追求はせずに、おれたちは海に入らないを続けていた。

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