MISSION 35. 一触即発なんだ
朦朧とした意識の中で分かったことは、なぜか家のリビングで横たわっているということだけだった。
開け放たれた窓から風が運ばれて頬を撫でる。
真夏だというのに、その風は微かな潮の匂いと鋭い切れ味が感じられた。
少年は和やかな風を感じながら、再び目を閉じたのだった。
「おや、目覚めましたか? 気分はどうです?」
「………………………だれ?」
うっすら瞼を上げれば、そこには見慣れない黒髪の女性が覗き込んでいた。
寝惚け眼で見れば、長髪で切れ長の黒い瞳が安堵の色を浮かべている。
「私は
「邵景? えーと……、プレイヤー?」
「そうですね、歴代の【FAO】は履修済みです。吐き気とかはないですか?」
「あ、うん、多分。強いて言うなら顎に痛みが……」
おれはじんじんと痛む顎を擦る。
その感触からどうやら頭からぐるりと包帯を巻かれているようだった。
――――あれ? なんでこんなのが……?
次第に明瞭になってくる意識が、事の経緯を思い出せてきた。
そうだ! NPCにぶん殴られたんだ確か。
何か飯を食ってたらすべて吐き出していたであろう強烈な鳩尾からの脳を揺さぶるアッパーカットでノックダウンしたんだ。
「……気を失ってたってことか」
「はい。幸いにも私は68W所持者ですので介護していました」
優しく微笑みかけてくる
名前からして中華系だと思うが、68Wとは
なんかちぐはぐな印象を受けるが、ようやく頭の回転が正常モードに切り替わり始めてから気が付いた。
そもそもおれは横たわっているが、後頭部の柔らかい感触はなんだ?
「やっと目が覚めたか、デビルワン」
声の方向に目をやると、スウィートハニーが布の切れ目から顔を出している。
改めて辺りを見回せばここはテントの中のようであり、おれは先程から横たわっている状態かつ…………
「そろそろ起き上がってもらいたい。状況が緊迫しているのでな」
「起き上がれますか?」
眉間にしわを寄せるスウィートハニーから
「スイマセン!!」
急上昇する心拍数。
おれはがばっと起き上がって迅速に距離をとる。
なぜかって?
だっておれ、膝枕されていたんだよ?
人生で初めての膝枕に興奮するよりも羞恥心のほうが強いよ?
「早速で悪いのだが、外に出てほしい」
「はい! え? っていうか、おれがのされた間に何か起こったんですか?」
実はさっきから怒声や罵声が遠巻きに聞こえているが気になっていた。
甲高い声やらドスの効いた声やら、とにかく外野が騒がしい。
「アイラ中尉。先に今までのことを話したほうがいいのでは?」
「まって
「私の名前だ」
「あ、ユーザーネームか」
「ファーストネームだ。まあコールサインで呼んでもらっても構わないがね、恥ずかしくなければ」
ずっとコールサイン呼びだったから本人の名前を気にしてなかったが、ユーザーネームを本名にするってのはアイデンティティを大事にする海外の人特有なのだろうか。
ハニー呼びも考えれば恥ずかしいものだが、生憎と周りに知り合いがいない(そもそも友達いない)ので別にそこまで気にしないぜ。
「だがそうだな、きみがノックダウンした後のことを話そうか」
スウィートハニーはテント内に入ると腕組みをして事の顛末を説明してくれた。
端的に言えば、おれが膝を着いた瞬間、リディア大佐が疾風果敢に動き、あのNPC潜水艦艦長の王中佐を殴り倒したそうだ!
すげえな大佐。
「私達が駆けつけた頃には王中佐は一発で吹き飛ばされて貴方同様沈んでいました」
「まあ直属の部下をいきなりやられたら切れるだろう。階級も上だし、あれは完全に王中佐が悪いんだが……」
当然、王中佐の部下も激昂し、今にも銃口から火を噴きそうな勢いだったらしい。
「正直、私達は肝を冷やしましたよ」
「その感想は私もだ、
互いに顔を見合わせて苦笑する。
リディア大佐の怒りは凄まじいものだったらしい。
殺気立つ王中佐の部下達に対して、リディア大佐の背後に控えていた戦闘機3機の搭載航空機関砲GSh-30-1から放たれた30mm焼夷榴弾の威嚇射撃がその怒りを物語っていたという。
「あれが有人機ではないことは知っていましたけど……」
「完全無人自立制御とは聞いていたが、まさかあのような行動を取るとはね」
いやいや、リディア大佐はプラージャとレジヴィを遠隔操作できるのだ。
きっと自機も含めて自分の意志で故意にやったのだろう。
それにしても、おれがやられたから怒ったということかな?
なんか、悪い気はしない。
――――とはいえ、だ。
「……さすがに全面衝突はしてませんよね?」
戦闘機同士のドッグファイトが売りの【FAO】でFPSモードも楽しそうだけど、痛覚設定が顕著なのであまりやりたくなのが本音であろう。
この顎の痛みを考えれば当然の帰結でしょ。
「もちろん王中佐の部下達は無条件降伏をしたさ」
「あの威嚇射撃じゃあ戦意喪失は当たり前だよ」
潜水艦の乗組員の装備はおそらく56式自動歩槍という中国製だろう。
まあ有名なカラシニコフAK-47自動小銃のライセンス生産品だけど、口径7.62mmじゃあ30mm砲弾に敵うわけがない。
GSh-30-1弾丸破片の炸裂範囲は200m以内の航空機を損傷させるというチート威力なんだよね実は。
こんな絶大な威力はもはや戦車砲弾に等しい。
多分、人体に当たれば閲覧中尉グロ注意だろう。
ちなみにどうでもいいかもしれないが、56式自動歩槍は本家よりも世界中に広まっていて、ぶっちゃけゲリラやテロリストが持っているのは56式自動歩槍のほうだ。
もちろん各国の正規軍でも使用されており、理由はまあ「安い」からかもしれない。
ただし、本家よりも製品構造は良くないみたいだけどな!
どうでもいいけど。
「が、どうやら私の相棒は動じなかったようだね」
「相棒?」
そういえば後から着陸した戦闘機は2機だったから、その内のもう一人がその相棒という奴かな。
「あの射撃に動じず、堂々とデビルワンに猛抗議をしてね」
「その、相棒が?」
スウィートハニーは額に手を当てて困った顔をした。
なるほど、戦車砲弾にびびらずリディア大佐に抗議するだなんて、なかなかの剛胆な娘じゃないか。
「
「うちのアドラにも火が付いてな。デビルワンと一緒に
「ちょっと待って、なんとなく分かるけど、アドラって誰?」
「ああ、ビターのことだ」
「本名?」
「もちろんファーストネームだ」
ここにきて新しい名前のオンパレードだ。
イギリスにインドに中国という国際色豊かなバリエーションは覚えるのに苦労する。
「まずは戦闘機を完全停止しろ、いや謝罪が先だ、という双方の主張が平行線を辿っていて話がまったく進んでいないんだよ」
「我々も給油がないと先へ進めないというのに、二人が一向に退かなくてね」
その間にもテント内にいても聞こえる怒号は収まる気配がない。
これはつまりあれか?
おれが出てって仲裁しろってことなのか?
「……素朴な疑問ですけど、おれの言葉で一触即発のルーシ連邦軍インドミタブル軍大中華ソビエト共和国軍の三つ巴を停戦させることが出来るとでも思ってるんですか?」
リアルで言えばロシア軍インド軍人民解放軍という三大ランドパワーだ。
その超絶砲兵火力と怒濤の人海戦術は誰にも止められずあらゆる大陸を蹂躙し尽くしそうなパワーワードだろう。
「むしろ貴方以外に止められないのでは?」
「マ?」
「お前の力が必要だ」
「……マ?」
二人の真剣な眼差しは、本気でおれにしか止められないと語っている。
本当におれで止められるかは半信半疑なのだが、
――――やるしかなかった。
だって美人のお姉さんから期待されちゃやらないわけにはいかないじゃん?
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