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 結局、稚内における二人の朝食は、牛丼屋の朝食メニューということで手打ちとなった。もう面倒だからすき家でよくね……という裕紀の言葉に、半分夢の世界に足を突っ込んでいた哲也が「おう」とだけ相槌を打ったためだった。どの場所でも同じ味が楽しめるというのは便利である反面、どこか画一的な感覚がある。それでも腹が満たせれば、海鮮丼だろうが牛丼だろうが、男子大学生二人にとってはなんの問題もなかった。



 来るときは旭川経由で、北海道の真ん中をぐいぐい北上してきた。帰りも同じ道を通るのは面白くない……と提案したのは、牛丼と豚汁を腹に送り込んですっかり目覚めた哲也であり、今も率先してハンドルを握っている。代わりに助手席に身を収めた裕紀は、ほんの数時間で半日以上かけて訪れた街から、ポン酢で煮込んだ鶏肉のごとくサッパリ離れようとしている自分たちの行動の破天荒さに、口元をわずかに緩ませていた。



 稚内の市街地を抜け、ノシャップ岬の下の方をそっと撫でるように横切る。帰りは日本海側の海岸線を通って帰ることにしたのであった。小高い丘の上をめがけて車を走らせると、視界がぱっと開けた。日本海の青さが、一気に眼前に広がる。



「「海だぁ」」



 二人して、同じタイミングで叫んだ。いま、片方はハンドルを握り、もう片方はエナジードリンクの缶を握っている。北海道ローカルのテレビ番組でも同じような場面があった。それと同じように、海に向かって坂を下りながら、二人で大声で歌をうたった。

 なんでも楽しい。箸が転がっただけでも、なぜか何の関係もない自分の身体をなでてゆく全能感。大学生というのはそういう生き物であって、そのポテンシャルを最大限に解き放つ手伝いをしているのが、まさに自分が生まれ育ったこの北海道という広大な土地である……というその現実に、裕紀は静かに震えていた。



 電柱どころか、鼠色のアスファルト以外に人工物の見当たらない原野の中を、一直線に進む。晴れた日には、日本海の遠くに利尻りしり富士を眺めることができる道だが、今日は少しだけ雲がかぶっていた。


 時折アップダウンしつつ、けれどもほとんどカーブのない、一本道が続く。いかにも北海道らしい風景がフロントガラスの向こうに広がっていた。この場所は、瞬きひとつの間に季節が過ぎてゆく。暦もいつの間にか、水無月に足を突っ込んだところだった。春らしい陽気もそこそこに、少しずつ、暑い夏が近づいてきている。




***




 どれほど進んだ頃だろうか。



「俺ら、何してんだべな」



 ふいに、ハンドルを握る哲也が苦笑いをしつつ呟いた。



「稚内まで行って、牛丼食っただけでとんぼ返りってアホみたいだろ」

「はっは、確かにそうだ」

「まあ、こういうふうに今は《なんの意味もない》と思ってる時間こそが、後になったら大事で楽しかった思い出になるんだろうな」

「そうなんじゃねえ? いつかは分かるんだろうけど、少なくとも今は分からんよ。そんなこと」

「だよなあ」



 時折、夢の中でも《あ、これ夢だわ》と気づくことがある。それと同じような感覚を、自分たちはいま、肌で感じているような気がした。

 夢に限らず、何もかも、いずれは終わりを迎えるようにできている。迫りくる現実への足音。誰も守ってはくれない、自分の足で立ち続けるしかない荒野が広がる世界への入り口。そこは、いま自分たちが突っ切ろうとしている、緑豊かでのどかな世界ではない。



 生きるということも、この道のようにどこまでも真っすぐに、遮るものなく続いていればいいのに。



「でもなあ」



 声にせずに希おうとしていた裕紀の隣で、哲也がハンドルを握りながら、ふたたび口を開いた。



「でも、何さ」

「この道って確かに直線で走りやすいし景色もイイけど、ずっと走ってたらつまらないんだろうな」

「んー、まあ」

「時々信号で足止めされたり、電話のコードみたいにぐねぐねした道を通されたりするからこそ、こういう何もない単調な道が心地よくなるわけで」

「ああ、まあ」

「きっと年寄りになったら、毎日がこの道みたいになるんだろ。その頃にはもう『こんな道つまんねえよ』ってなっても、身体がついてこねえべ。だったら今のうちに通りたい道を通るべきなんだと思うんだよな」

「うん」

「……」

「……」



 裕紀は半ば生返事をしていたが、内心では哲也の言葉に驚きを隠せなかった。

 ふだんの哲也はいつも何も考えていないような行動しかしてこなかったし、だからこそいつも裕紀のいきなりの誘いにも乗ってきたのだと思っていた。今回もそうだ。どこに行くかは決めてないけど三日間レンタカーで旅しようぜ……などという、お日様にあてた洗濯物くらいフンワリした誘いに乗るやつなど、そうそういるものではない。




 ただ、裕紀はメッセージを送る時に思っていた。

 他の誰もこの誘いに乗ってこないとしても、きっと哲也だけは乗ってきてくれるだろう……と。



 しかし、今の哲也はきっと、別の「何か」に対する好機を探していた。

 そこにたまたま、間抜け面を下げて迷い込んできたのが、裕紀だった。


 そうだとすれば裕紀は、自分が哲也の同窓同期の仲として、いま為さねばならないことがある気がした。






 助手席のカップホルダーから残り少ないエナジードリンクの缶を取り上げて、一口それを喉に流した後、裕紀はそっと言った。



「……吉田よ」

「ん」

「おまえ、なんか俺に言いたいことあるべ」

「……」



 哲也はすぐに返事をよこさなかった。さっきから地平線の向こうに見えていた、久々の対向車がすれ違ったあとに、裕紀はもう一度ゆっくりと口を開いた。



「今更隠し立てすんな。俺とおまえの仲だべ。他人に喋んなっていうのなら、俺の中だけにとどめておくからさあ」

「……あー、まあ。ちょっと相談がさ」

「相談?」



 いつもケロリとしていて、多少単位を多めに落としても汗ひとつかかなかった哲也にしては、妙にぐらぐらとした声だった。なんのことに対する相談かはわからないものの、裕紀はだまって哲也の次の言葉を待った。ところどころ途切れるラジオを切って、Bluetoothで繋いだスマートフォンから音楽を流しはじめる。


 イントロが終わり、スピーカーから歌い出しが聞こえてきた頃、哲也は思い出したような口ぶりで言った。



「いや、実はさあ。学部出たらそのまま院進するかなと思ってて」

「大学院? 実家継ぐんじゃないのか」

「ゆくゆくはそれでもいいと思うけど、今やってる研究が思いのほか楽しくてさ。実家の仕事とまったく無関係なことじゃないし、究めてみるのもいいかなって思ってんだわ」



 哲也は農学部で、農業経営学の研究室にいた。経済学部にいるくせに経済のことにはちっとも興味のない裕紀とは対照的に、哲也はここにきて大学院へ進学して、純粋に勉学への情熱を燃やしているらしい。燃やしているというか、今は焚きつけを放り込んでうちわで扇ぐべきか、悩んでいる段階と言ってもいい。


 裕紀はきいた。



「試験対策は」

「一応こっそりとやってたよ。こう思ったのはわりと早い段階だったから」

「それ、親御さんに言ったのか」

「まだだ。家族みーんな、俺が学部を卒業したらすぐ実家に戻ると思ってるからさ。親父に言ったらぶんなぐられそうだし、あとは学費のことを考えると、どうしても二の足を踏んじゃって」

「へえ」



 そんな話をしている間にも、車は順調に南下を続けていた。

 遠く、道の左側に、ずらりと風力発電の風車が並んでいるのが見えてきた。そこには「オトンルイ風力発電所」という名前がついている。全部で28基の巨大な風車が、おだやかな風を受けてゆっくりと回っていた。それらはさっきスマートフォンをいじっていたときに知ることができた情報で、同時にそれを通過すると、この直線道路がまもなく終わるということも、裕紀は理解していた。



 裕紀が哲也の学費を出すわけではないし、軽々しいことは言うことができないのはわかっている。


 けれども、これまでいつもああだこうだとくだらない話をしたり、酒を飲んで吐いて、あちこちに出かけてつるんできた仲だ。

 だからこそ裕紀は、自分にしか伝えられないことも、あるような気がした。




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