route 106
西野 夏葉
1
緯度が高いためか、最近は軽々と30度を超えるようになった北海道内においても、ここ、
宗谷岬。一般人が訪れることができる場所としては、日本列島最北端の場所だ。だからと言って何があるわけでもなく、早朝5時過ぎに開いている施設など、せいぜい公衆トイレくらいなものだった。
それでも、何か、どうしても無茶なことをやってのけたいと思った。
だから、そうしただけの話だ。
それが大学四年生の、自分たちの使命であるとさえ感じていた。
この、途方もなくばかげた行動に対する理由など、それだけでよかった。
***
親の意向や就職のことを考えつつ、北海道大学の経済学部に進んだ。やるときはやるが、ズルけるところはズルけるというのが裕紀の得意分野であって、講義にいない割にはつつがなく単位を取っていくそのスタイルを「真珠湾攻撃」と揶揄する同級生もいたが、結局その姿勢を崩さないまま、とうとう社会に放り出されるギリギリのラインに立つこととなってしまった。
就職活動は、全国転勤のある企業から内定を得て、早々に終了させていた。それは、会社を辞めなければ、おそらくはもう北海道に戻ることはない片道切符を意味している。だとするなら、嫌でもこの地を離れなければならないその時までの間に、できるだけいろいろな景色を目に焼き付けなければ……と思うに至った。ちょうどアルバイトでやっている家庭教師も、バイト先の家庭が旅行で不在になるということで、一週間ほど暇を持て余すこととなっていたのだ。
そうしてすぐにレンタカーの予約を取ったはいいものの、一人で広大な北海道をドライブするのは少々骨が折れることが明白だった。裕紀がスマートフォンのWebブラウザを閉じて、間髪入れずトークアプリを開くまでの速度は、下手をすれば、数年前にやっと北海道にやってきた新幹線より速かったかもしれない。
いろいろと恵まれた生活だ……と裕紀が物思いにふけっていたところ、開けっぱなしにしていたドアの向こう側から、大あくびが聞こえてきた。
「んあ……なんだよ藤堂、もう起きてたんか」
振り返ると、助手席で高イビキをかいていたと思っていた
哲也は農学部の学生で、かつ裕紀の同級生であり、同じサークルで同じ釜の飯こそ食ってはいないが、互いに酒の注がれたジョッキをぶつけ合い、二つに分かれた飲み屋のトイレで、その日食ったものを同時に全部戻した回数は数えきれない。そんなふうに大学生にはありふれた仲であった。
***
裕紀が絨毯爆撃のように手あたり次第に送ったメッセージに返答してきたのは、入学時から実家の農家を継ぐことが決まっていて、実質的に就職活動になんの関係もなかった哲也だけだった。
昨晩に札幌を出て、交替をしながらプリウスのハンドルを握り、ほぼ半日近く。
裕紀はもう少し寝られるだろうと思っていたが、案外少し寝ただけで、目が冴えている。それは、いま助手席から降りてきた哲也も同じ様子だった。
哲也は灰皿がわりにしている空のコーヒー缶を片手に、ポケットから赤ラークの箱を取り出すと、煙草を一本口にくわえて、カキン、とジッポライターで火をつけた。レポートはいつまで経ってもすらすらと書けないくせに、その躊躇いのない一連の動作は、妙に絵になる。
うまそうに煙を肺に送り込みながら、哲也は言った。
「昨日の夜から走りに走って、俺ら、今は稚内に居んのな。すげえな」
「日本最北端は征服した。どうだ、このまま最東端に行くか?」
「最東端って、
宗谷岬から、日本最東端・根室市の
「そうだよなあ」
「まあ、追われるもののない今のうちだと思えば、できるかも知れんけど」
「つーか、よく考えたらダメだわ。レンタカーは明日の朝までに札幌で返さないとダメだし」
「わはは」
哲也が大笑いをするたび、口の中に残っていた煙がゆらりと立ちのぼる。それはすぐに、海側から吹いてくる潮風にかき消されていった。
紺碧の海の向こう側に、遠くサハリンの島影が見える。
空も海も、国が違ってもすべての人類が共有しているのに、自分が生涯で関わりを持つ人間など、その中のほんのわずかな人数でしかない。そう考えれば、ちょっとやそっと留学や旅行をした程度で森羅万象を知った気になることほど、傲慢なことはないように思えた。
さみぃから戻ってるわ……と言い残して車に戻った哲也を尻目に、裕紀はしばらくまんじりともせず、所々で白く波立つ海を、だまって眺めていた。
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