第8話:お茶を挽く

「う、うぅ……」

 圧倒的な実力差だった。

 メアリは唸るばかりで何も言い返せなかった。茶道を初めて1か月強のメアリに、菜々羽のような技は無かった。それどころか、高校3年間を費やしてもあの域には到達しない。自分の無力さに対して、メアリは悔し涙を浮かべていた。

「東海林メアリさん。貴方のお点前が素晴らしい事は、今日この場で拝見させていただきました。貴方と手合わせできた事を、光栄に思います」

 そんなメアリに対し、菜々羽は膝の前に手を着き、丁寧に頭を下げた。感謝の気持ちが伝わる、正に“礼”だった。

「お、お前……」

 一矢は、そんな菜々羽を震えながら指す。

「一体……誰だ!?おれの知ってる祠堂菜々羽じゃないぞ!?」

「あの。そんなに驚かれると私も少し悲しいです」

「だって!祠堂菜々羽と言えば、破滅的なギャンブル!醜悪な煽り!無計画な金銭感覚!の3拍子だろ!?」

「ちょっと!そこまで酷くは……まあ半分くらい合ってますけど、そこまで言わなくて良いでしょう!?」

 はあ、と菜々羽はため息をつく。

「安心してください。私は本気部部長の祠堂菜々羽ですから」

「本当か……?卯月賞で5万すったことは?」

「おっ、覚えてます」

「こないだの“お題ジェンガ”でおれと紗月を煽りまくった事は?」

「……覚えてます」

「先月の残金が20イェンだったことは!?」

「あーっ!全部覚えてます!入学直後に一矢にモデルガンを突き付けた事も、ゲーセンで一矢に向かってタックルした事も、秘密を破って裏切った事も全部覚えてますから!!」

「そうか……安心した」

 一矢はホッと胸を撫で下ろした。どうやら影武者ではなかったらしい。正直、“茶道モード”の菜々羽の方がトラブルを起こさなくて良い気がしたが、今更淑女になられても困る。

「……はあ」

 しばし無言だったメアリが、大きなため息をついた。

「……ワタシの完敗だよ。一矢クンに教えるのは諦める」

「メアリ……」

 肩を落とすその姿を見ると、一矢の胸が締め付けられた。今日まで、メアリなりに茶道と真剣に向き合ってきたはずだ。だから、菜々羽に圧倒されて悲しさや悔しさがごちゃまぜになっているのだろう。その気持ちが彼には痛いほどわかった。

「けど……」

 メアリが一矢の袖を掴む。

「また一緒にお茶が飲みたい……いっぱい話したい……一矢クン、また茶道部に遊びに来てほしい……」

「なっ……!?」

 メアリの発言に、菜々羽が目を丸くする。

「そりゃもちろん。また来るよ」

 当然ながら、一矢は二つ返事で了承した。

「何言ってるんですか一矢!」

 声を上げ、メアリと一矢の間に割り込む菜々羽。

「貴方の茶道の指導は私が行います!だから東海林さんとお茶を飲む必要はありません!」

「む、どうしてなの?指導と、お茶を一緒に飲む事は関係ないじゃーん」

 やれやれ、と言いたげに両手を広げるメアリ。

「むしろ、師範とお茶を飲むなんて息苦しいでしょー。一矢クンが可哀そう」

「いいえ!一矢の作法が乱れないためにも、私以外とのお茶は許しません!」

「え、いや、2人も一緒に飲めば……」

「「一矢(クン)は黙ってて下さい!」」

「はい」

 一矢が割り込めないほどヒートアップしたメアリと菜々羽は、至近距離で歯をむき出しにしてにらみ合っていた。

「あらあら、意地になっちゃった」

 2人を見て、大前がニヤニヤと笑う。

「メアリ、可愛い顔してるけど意外と強情というか、負けず嫌いだからね」

「確かに、祠堂と張り合うくらいだからな……」

「あの子をそれだけ本気にさせるなんて、キミも隅に置けないねえ―」

「はあ……」

 一矢はあえて曖昧に返事した。メアリに好かれているのは嬉しいが、紗月の手前、露骨に喜べない。くすぐりの刑に処されてしまう。

「……」

 やはり紗月は一矢を注視していた。しかし、あの黒いオーラは見せていない。視線に気付いた彼女は、腕を寄せて谷間を強調するポーズを取るだけであった(ちなみに、一矢は首を横に振ってそのポーズを止めるように促した)。

「わかりました、じゃあこうしましょう!!」

 しばし口論が続いていたところ、菜々羽がバンと畳を叩いて立ち上がる。

「もう1回一矢にお茶を飲んでもらって、美味しいと言ってもらえた方の勝ち!一矢とお茶する権利を得る!これで良いですね!」

「わかった、じゃあそれで!」

「おれの意見はどこに!?」

 当事者の一矢を無視して、お茶対決が始まってしまった。

「飲んで、一矢クン。飲んでくれないと、ワタシ悲しい……」

「一矢、飲んでくれますよね?」

「……はい」

 2人に出されるまま、お茶を飲む一矢。既に2杯飲んでいたため、お腹がタプタプになっている。

 そして、こういう対決を黙って見過ごさない者がいる。

「一矢君、私もお茶作った。飲んで」

 当然、本気部の爆弾こと上村紗月である。友人であり、幼馴染であり恋人であり (略)母である彼女も当然参戦する。

「ああ、ありがとう……」

 正直一矢の腹はパンパンになっていたが、紗月の作ったお茶を飲まないわけにはいかない(色々な意味で)。

「(……よし。まあ、あと1杯くらいだったら何とかなるだろ!)」

 気合を入れ、自分の膝の前に置かれたお椀にを持ち上げる一矢。そしてぐいっと飲み干した。

「(ふう、何とかなった……)」

 一矢は安堵した。飲み切らなかったらどうなっていた事やら。また自害されそうになったら困る。

「どう?」

「ああ、美味しかったよ」

 紗月は小さく微笑む。実際、メアリと菜々羽と比べても遜色ないくらいに美味しかった。

「あれ、紗月ってお茶点てた事あったっけ?」

「無い。2人がやってるの真似ただけ」

「それでこのレベルなのか……」

 紗月は料理が上手い。今もそうだが、昔から度々佐山家に訪れては(押しかけては)料理を作っていた。そういえば当時から、初めて作るものでもかなり美味しかった記憶がある。

「愛が入ってるから。美味しいのは当然」

 紗月は一矢に向かって手でハートマークを作ってみせた。

「あと、この恰好で“お茶を挽く”の、ちょっと楽しかった」

「お茶を挽く?」

 一矢は首を傾げる。今の花魁同然の恰好と、お茶を作ることに何か関係があるのだろうか。あと、何故お茶を“点てる”ではなく“挽く”なのだろうか。

「はっはっは!ひぃーっ!!」

 唐突に大前が腹を抱えて笑い始めた。

「“お茶を挽く”って、遊女が暇な時に言うやつじゃん!」

「さすが大前さん。洒落がわかる」

 紗月が両手の指で大前を指す。笑い転げながら大前も、同じように紗月を指さした。

 その昔、暇な芸者や遊女がお茶を作っていた事から、“お茶を挽く”は商売が暇な事を表すようになったらしい。現在でも“プロの女性”が暇を表す時に使われている。

「君らホントに下ネタ好きだな」

「我ら変態シスターズ」

「シスターズ!」

 紗月と大前はガッチリと肩を組んだ。何だかんだ、今日最も仲良くなったのは彼女達かもしれない。

「ちょっと貴方達、何楽しそうにしているんですか!勝負中ですよ!」

「そうだそうだ!で、一矢クン、誰のお茶が一番美味しかったの!?」

 菜々羽とメアリが一矢に詰め寄る。そう、今はお茶で対決している最中である。変態シスターズの戯れに付き合っている場合ではない。

「そ、そうだな……」

 一矢は答えに窮する。

 正直、どのお茶も美味しかった。菜々羽のお茶には伝統の技を感じ、メアリのお茶には一生懸命さを感じ、紗月のお茶には愛(多分)を感じたが、それぞれ良さの方向性が全く異なっているため、判断が出来ない。

 とすると、ここは最も場を乱さない者を勝者とし、穏便に事を済ませるしかない。

 まずは菜々羽。彼女を選ぶとメアリと紗月が黙っていない。

 次にメアリ。この子を選ぶと紗月と菜々羽が黙っていない。もしかすると紗月は何も言わないかもしれないが、菜々羽が騒ぐのは確定なので、結果は変わらない。

 最後に紗月。菜々羽とメアリが黙っていない。

「(あれ、これ詰んでない?)」

 誰を選んでも残りの2人がほぼ間違いなく暴れ出す。“紗月と菜々羽は教室でも部室でも会えるのだから、メアリを選べばいいじゃないか”と思うが、おそらくそんな事は関係ない。彼女達にとっては“今この勝負に勝つ事”が最も大切なのだ。本気部のメンバーとして、一矢もその感覚を理解していた。

 だったらここは、第4の選択肢を作り出すしかない。

「……皆美味しかったじゃダメなのか?」

 選びたくないなら、選ばなければいい。これだって、立派な判断の1つである。

 が。

「ダメに決まってるでしょう!私を選ぶまで折檻して何リットルでも飲ませますから!」

「えっ、ワタシが1番じゃないんだ……そっ、か……」

「浮気するんだ。じゃ、来世でまた会おうね」

 この面子にそんな方法は通用しなかった。菜々羽は怒り、メアリは悲しみ、紗月は刀を鞘から抜き放った。

「(どうすればいいんだよ!!)」

 一矢は頭を抱え、畳の上に崩れ落ちた。1人を選ぶ事で、折檻か、シンプルに泣かれるか、文字通り一刀両断されるかのどれか2つが待っている。

 とにかく、どうにかしてこの場を乗り切らなければならない。何か策はないだろうか。

「大変だね、佐山君」

 ポン、と一矢の肩が叩かれる。大前だ。一矢の隣に腰を落とし、彼の苦悩を噛みしめるように目を閉じて頷いていた。

「大前……」

「そんな君に、助言を授けよう」

「ほっ、本当か!?」

 その瞬間、一矢は目の前にいる変態シスターズの片割れが本物の女神に見えた。

 しかし、煩悩に塗れた神は堕落する定めにある。

 大前は口角を吊り上げ、にんまりと笑っていた。一矢はその表情を、嫌と言うほど見た事があった。

「とりあえず、全裸になって土下座すれば紗月ちゃんは許してくれるよ」

「クソが!」

 一矢は再び頭を抱えた。やはり変態は変態であった。

「(もう1回考えないと!)」

 全力で脳を回す。誰か1人を選ぶことは出来ないし、誰も選ばないという選択肢もダメ。もちろん、全裸で土下座もしない。

「ちょっと一矢、まだなんですか!」

「ワタシじゃ、ないんだ……」

「殺す」

「ま、待ってくれ!待ってくれ!」

 まずはどうにかしてこのプレッシャーから逃れなければ。そうしないと、落ち着いて戦略を練られない。

「(となると、もう“アレ”しかないか)」

 ……実は、一矢はもう1つ策を考えていた。正直何の解決にもならないのでやりたくなかったが、もはや背に腹を代えられる状況ではない。

「あ、あの~……」

 一矢はおずおずと手を挙げ、言った。

「ちょっと、トイレに行かせてくれないでしょうか……」

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