第6話:鮮やかなHug

「ふぅー、ただいま……あっ!」

 職員室から帰ってきたメアリが、目を輝かせる。

 畳の上には、藍色の和服に身を包んだ一矢がいた。

「メアリ、お帰り」

「ただいま!うわぁー、一矢クン似合ってるー!」

 メアリが靴を脱ぎ捨て、抹茶の粉が入った缶を持ったまま一矢に駆け寄る。

「そ、そうか?」

「うん!写真撮ろ、写真!」

「お、おう……」

 メアリは一矢にくっつくと、ポケットからスマホを取り出す。インカメラを起動し、フレームに自分と一矢を入れる。

「撮るよー。イェーイ!」

「い、いぇーい」

 一矢はピース、メアリは手に持っていた缶を頬にくっつけ、パシャリ、とシャッターが切られる。

 撮影された写真を見て、メアリは顔を輝かせた。

「わーめちゃ良い!壁紙にする!」

 写真を確認してすぐ、メアリは設定でツーショットを壁紙にした。

「そ、そんなにか……?」

「うん!だって、一矢クンとのツーショットだよ!?すっごい嬉しいの!!」

「どうも……」

 一矢としては、嬉しさ半分恥ずかしさ半分である。

「そうだ一矢クン!写真送るから、チャット教えてよ!」

「ああ、うん、わかった」

 言われるがままスマホを取り出し、チャットアプリを起動する。

「コードで良い?」

「うん!ワタシが読み取る!」

「了解」

 一矢が画面にQRコードを表示させる。すぐにメアリがそれを読み取り、パパっと何かを操作する。10秒足らずで、“Mary”というアカウントから一矢にメッセージが届いた。和服を着た一般男子高校生と、制服を着た天使の写真だった。

「(宝物にしよ……)」

 一切の迷い無く保存した。ついでに“お気に入り”マークも付けておいた。

「……ちょっと一矢。何ニヤニヤしてるんですか」

 鼻を伸ばしきった一矢に対し、着替えを終えた菜々羽が冷ややかな目を向けていた。

「ハッ!?」

 一瞬、一矢は女子3人共着替えが終わったと思ってドキリとする。しかし和室にいるのは菜々羽だけで、紗月と大前はまだ障子の向こうにいるらしかった。ホッと胸を撫で下ろす。ただ、菜々羽から紗月にツーショットの件が漏れないようにせねばならない。

「……祠堂。この事は内密に頼む」

 菜々羽に向かって手を合わせる。

「はあ……しょうがないですね。まあ、これでも本気部の部長です。部員の頼みを断るわけにはいきません!秘密にしましょう!」

 ポン、と自分の胸に手を置く菜々羽。彼女が“本気部の部長として”とかなんとか言う時ほど信用できないものはないが、背に腹は代えられない。

「……」

 そこで一矢は、菜々羽の服装にハッキリと意識を向けた。

 まず目についたのは、暗い紫の着物。鮮やかさからは離れた印象。しかし帯は黄色で、柄も川のような流線が特徴。渋い色合いの着物と比較すると、良いアクセントになっている。同じ人間なのに、先日ゲームセンターに行った時とは印象が全く違う。お淑やかな、大和撫子。お茶を点て、生け花をしている姿がありありと浮かぶ。

「似合ってる」

 思わず感想が漏れた。

「あら、そうですか。ありがとうございます」

「ああ。さすがだな」

 彼女のビジュアルの良さを理解しているが故の、“さすが”だった。

「そうだ。一矢、せっかく和室にいますし、アレしませんか?」

「アレ?」

「チンチロリン」

「茶道部にギャンブルを持ち込むな!」

「和室で着物と言えばチンチロリンでしょう!?」

「金の事しか頭に無いのか!?」

 着物姿で畳を転がるところなど見たくない。せっかくの大和撫子が台無しになってしまう。

「あっ!紗月ちゃんちょっと待って!!」

 不意に障子の向こうがドタバタし始めた。大前が焦っている。

「大丈夫」

「大丈夫じゃないって!」

「いや、むしろこれがベスト!」

「さ、紗月ちゃん!!」

 パン、と障子が開け放たれ、紗月が現れる。

「「……!」」

 一矢と菜々羽は、揃って紗月を指さして口をパクパクと開閉していた。

 例に漏れず、紗月も着物だった。色は明るい桃色。帯は金色と白色が混ざったような色で、総じて明るい印象を受ける。

 しかし。

「お前……」

 そこに“わびさび”の心は微塵も無かった。

花魁おいらんみたいになってんぞ!?」

 その昔。吉原遊郭という“大人の遊び場”があった。そこで奉公をしていた女性の中で位が高い者は花魁と呼ばれていた。花魁の特徴として、艶やかな着物と肩から胸の谷間までの露出がある。

 そう。“肩から胸の谷間までの露出”。

 和服に収まりきらない紗月の胸が、花魁のように開放されていた。わびさびの心など、あったものではない。

「わ、わけがわからない……」

 障子の陰から、水色の和服姿の大前が現れる。呆然と立ち尽くす彼女の手には、ビリビリに破れた布があった。

「さ、サラシ……サラシ全部使ったのに、全部胸のハリに負けて破れた……デカ過ぎる富士山かよ……」

「ああ……」

 一矢には心当たりがあった。本気部が出来る前、紗月が男子の体育に侵入してきた事があった。その際紗月はサラシで自分の胸を潰していたのだが、最終的に胸がサラシを突き破ってしまった。どれだけ中身が詰まっていたらそうなるのだろう。胸でサラシを破るギネス記録とか、挑戦できるんじゃなかろうか。

ぬし、わっちの事を気にしてありんすか?」

 紗月が一矢を見て微笑む。ただの女子高生がやるとコスプレの域を出ないだろう。しかし紗月がやると話が変わる。圧倒的なバストはもちろんのこと、細い目と、ちろりと出した舌が何とも扇情的である。

「……その恰好と口調が様になる日本人っているんだな……」

「ふふ、ありがとうござりんした」

「……一矢、紗月の事見過ぎです」

 むっとした表情で菜々羽が一矢の前に立つ。

「いやいや!あんなん見るだろ!目の前にデカいもの現れたらとりあえず見るじゃん!だから不可抗力だ!おれは悪くない!」

「うるさい!」

 菜々羽が右手の人差し指と中指を一矢の目に向かって突き出す。

「あぶねぇっ!」

 瞬発的に頭を下げ、何とか回避した。

「……」

 そして、不満な者がもう1人いた。

「一矢クンは、そういうのが良いんだ」

「ハッ!?」

 メアリが唇を尖らせていた。尖らせているというよりは“ぷるん”とさせていて、微笑ましい表情に見えたが、一旦それは置いておく。

「ま、待ってくれメアリ。男として“アレ”が好きな事は否定しないけど、おれはメアリみたいな可愛い子の事も……むぐっ!?」

 好きだ、と言いかけて背後から口を塞がれる。

「待ってください一矢!!それ以上は危険です!!」

 菜々羽である。彼女は顔を真っ青にしていた。今の一矢の発言が、紗月の凶行を引き起こすトリガーになったのではないかと怯えていた。

「貴様……」

「紗月ちゃん!?何か出てる!目とか体から何か出てる!」

 実際、紗月の瞳と体から、墨のように黒いオーラが溢れていた。

「東海林さんもです!あまり一矢に近づくと……」

「貴様……隙あらば一矢君に抱き着くとは……」

「ほら、さっき一矢に抱き着いた事、紗月怒ってますから!」

「この前のゲーセンもそうだ……やはり一矢君から貴様の記憶を消すしか……」

「ゲーセンの事も……ん?」

 そこで一瞬、菜々羽が固まる。

 ゲーセン……ゲームセンター?あの日は本気部のメンバーのみで、メアリはいなかったのに、何故ここでその話が?

「……なあ、祠堂」

 菜々羽の手を口から離しつつ、一矢が恐る恐る言う。

「紗月、お前に怒ってるんじゃないか?」

「はぁっ!?私が気安く男子に抱き着くわけないでしょう!?」

「じゃあこの体勢はなんだ……」

「“なんだ”って、一矢の口を塞ごうと……」

 そこで気付いた。

 一矢の口を塞ぐために、菜々羽は完全に彼の背後から抱き着いていた。恋愛ドラマで見るような、鮮やかなHug《ハグ》だった。

「えっ!?いや、これは違うんです!」

 菜々羽が一矢から離れ、紗月に向かって必死の形相で抗議する。

「私は、紗月という者がありながら新参者にうつつを抜かしている一矢を止めようとしただけです!私は悪くありません!」

「ばっか、お前何言ってんだよ!?」

 和室に入る前の出来事を思い出し、一矢の体から血の気が引く。これはマジで一矢の首か紗月の手首が飛ぶ。ぷしゃぁっ、と吹き出した血が障子を染め、サスペンスのオープニングになってしまう。

「なるほど」

 紗月がチラリ、と一矢を見る。一矢の体が凍る。声も出せない。

「(やっぱこの部長一切信用できねえ!)」

 いつか裏切るとは思っていたが、2分も持たないとは思わなかった。やはりあいつはそういう奴だ。この借りはいつか10倍にしてやる。

「じゃあ、私も新参者を潰さないと」

「そうですわ!さあ紗月、あの子を……ん?」

 やけに気合が入っていた菜々羽だが、間抜けな声を出す。

 それもそのはず、メアリの元に向かうと思われていた紗月が、菜々羽の肩を掴んだからだ。

「……入学直後にストーキングして、ゲーセンでは脚を露出して、今日は着替えた瞬間に自信満々で和室に飛び出していった。しかもゲーセンと今日で2回もハグ。一矢君を誘惑する泥棒猫は、そろそろ保健所行きだよね」

「え?お、お待ちください紗月!濡れ衣です!」

「どこが濡れ衣?」

「まずストーキングなんかしていません!ただ、この男は私に似ていると何となく感じたので、勝負をしたかっただけです!」

「ほう」

「げ、ゲームセンターでは、私と美穂ちゃんを置き去りにしようとしてたから、それを止めただけです!ハグしたかったわけじゃありません!」

「あのファッションは?」

「あ、あれは、ゲームセンターに行くなら相応の恰好をしたかったんです!」

「脚を出す必要はあった?」

「あっ……ありました!調べたら色々出てきて、その中から選びました!」

「“調べたら色々出てきて”。つまり、祠堂さんはたくさんのコーディネートの中から、あの脚出しファッションを選んだ、と」

「い、いえ、ちっ、ちが……!」

「で、今日。和服に着替えてから“一矢に見せてあげましょう……ふふっ”って微笑んでたのは何?」

「あ、えと、その……」

 菜々羽が顔を赤くして、自分の着ている和服と頬をペタペタ触る。

「裁判長!!」

 話を聞いていた大前が、さっ、と手を挙げる。

「大前裁判官。発言を許可します」

「ありがとうございます。先ほど和服を選んでいた時、被告人は箪笥に収納されていた和服を見ながら“こっちの方が良いでしょうか……いえ、一矢だったらこっちの色の方が……”などと供述していました。彼女の犯行を決定的に裏付ける発言だと思われます」

「なるほど。死刑」

「死刑ぃー!?」

 あれよあれよと言う間に判決が下され、菜々羽は絶叫した。

「と、とりあえず逃げませんと……わわっ!?」

 走り出そうとした菜々羽だったが、足を取られて尻もちを着く。

 それを見た大前が腕を組んで鼻で笑う。

「ふふーん。祠堂さん、貴方の身体能力が凄いらしい事は聞いてる。でも制服に慣れていると、和服は動きにくいんだ!」

「くっ、予想以上ですわ……!」

「大前さん、捕まえて」

「りょーかい!」

 逃げ出そうとする菜々羽の背後から、大前がガッチリとホールドする。

「は、離しなさい、この!」

「へへ、逃がさないぜお嬢ちゃん ……ふぅっ」

「ひゃぁっ!」

 大前が菜々羽の耳に息を吹きかける。菜々羽は甲高い声を上げ、ビクン、と体を硬直させた。

「へぇー、耳弱いんだぁー」

「な、何するんですかいきなり!……ひゃぅっ!」

 大前にふぅっ、とされる度に跳ねる菜々羽。

「あ、あの……一矢クン」

 彼女達の様子を見ていたメアリが、おずおずと一矢に声を掛ける。

「ん?どうした?」

「その……大丈夫なのかなって、あれ……」

「大丈夫だ、気にするな」

「そ、そう……」

「それより、メアリも和服着たらどうだ?せっかくなんだからさ」

「え、ああ、うん、そうだね。ちょっと着替えてくる」

 少し戸惑い気味だったが、メアリは入り乱れる女子達を尻目に障子の向こうに消えた。

「(そうだ。それでいい)」

 一矢はホッと一息つく。そして、女子3人の絡みをガン見していた。止める気は一切無かった。いつもギャアギャア騒いでいる菜々羽が、弱点を攻められて篭絡されている。女子同士だからこそ生まれた状況を、一矢は目に焼き付けていた。プリクラの半目と一緒に、卒業するまでこのネタで弄ってやろう。こんな汚れた愉悦を天使に見せてはいけない。

「ほらぁー、祠堂さん、佐山君に恥ずかしいとこ見られてるよ?」

「うぅっ……一矢、私の恥ずかしいところ見ないでください……」

「さすが泥棒猫。拘束されても色目を使う」

「そんなつもりはありません!!」

「やっぱり相応の刑が必要」

 そう言うと紗月は着物の袖をまくった。

「さてここで問題。江戸時代の遊郭で実際にあったお仕置きは次のうちどれでしょう。A、鞭でしばく。B、くすぐり責め。C、火あぶり。正解した貴方にはもれなく減刑のチャンス」

「何ですって!?」

「5、4、3……」

「ちょっと!カウントダウン有りとは聞いてません!」

「2、1……」

「無視!?え、ええと……」

「ゼロ。答えをどうぞ」

「えっと、市中引き回し!」

「そんな選択肢は無いので刑を執行します」

 グニャグニャと両手の指をミミズのように動かす紗月。

「正解はBのくすぐり責めでした」

 その昔、遊郭で働く遊女は脱走などの規律違反を働く事があった。遊郭にとって彼女達は商品なので、傷を残すわけにはいかない。そこで考案されたのが“くすぐり責め”である。

「待ってください!そうだ一矢!部長として命令します!助けてください!」

「嫌だよ」

「この裏切者ぉーっ!」

「お前に言われたかねえよ!」

 部長として秘密は守ると言っておきながら、保身の為に約束を破ったのはどこのどいつだ。メアリを口説いた自分に矛先が向いていないのが不思議だが、触らぬ神に祟りなし。沈黙を守る事にした。

「さて祠堂さん。私のくすぐりは108式まであります」

 意思を持っているかのように動き続ける紗月の指。それらが菜々羽の脇に向かっていく。

「や、やめ……」

「こちょこちょこちょ」

「ひぃーーっ!!」

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