茶道部のメアリ
第1話:終わっちまったな、ゴールデンウィーク
始まりがあれば、終わりがある。
何だってそうだ。小説も、スポーツの試合も、パチンコの確変も、人生も。
それを何よりも感じるのは、連休が終わった時ではないだろうか。
ゴールデンウィークが終わり、再び授業が開始する。佐山一矢は頭の後ろで手を組み、自席の背もたれに身を預けていた。
「(終わっちまったな、ゴールデンウィーク……)」
今の彼を支配するのは、スイッチが入りきらないけだるさだけだった。
「(っていうか、おれゴールデンウィーク休んだか?)」
思い返してみると、毎日本気部の面々と顔を合わせて勝負をしていた気がする。“お題ジェンガ”、ゲームセンター、エトセトラ……いつも何かしらのトラブルが起こっていた。こんな日々を過ごしていたら、ゲームセンターでぶっ倒れるのも頷ける(本当は紗月の乳に沈められたのだが、記憶を消し飛ばされているため、未だにそれを思い出す事はない)。
「うぅ~ん……」
一矢の後ろの席では、菜々羽が食い入るように新聞を見つめて唸っていた。ゲーセンで撮ったプリクラが貼られたペンケースから赤いペンを取り出し、何やら記入している。
1面記事を見て日本の政治を憂いているのか、社説を読んで考えを深めているのか、あるいはクロスワードに挑んでいるのか……当然ながら、全て違う。先月残金が20イェンになった女が、そんなことに時間を使うわけがない。
「やはり次はキクラデスランド……いや、フューチャーコナンも距離短縮が合っている……バベルアルテミス、ヨーグルトサソリも捨てがたい……」
菜々羽が読んでいるのは、“競人新聞”である。新聞部が発行しており、その週に開催される競人レースの予想が載っている。“フューチャーコナン”やら“ヨーグルトサソリ”というのは、出走者がレースの時に使うニックネームである。彼女は記者の考察を見ながら、どの出走者に“張る”かを考えていた。
「何かおっきいレースあったっけ?」
「おや一矢、知らないのですか?次の金曜日は“某高校放送局杯”、またの名を“NHKロクヨンカップ”ですよ!」
「NHK、ロクヨンカップ……?」
菜々羽はバッ、と紙面を広げて競人新聞を見せてくる。
「NHKロクヨンカップは、4月の卯月賞と同じ1年生のトップ層限定レースです!卯月賞は800メートルでしたが、今回は640メートル、通称“ロクヨン”のレースです!だからNHK“ロクヨン”カップなんです」
新聞を机に置き、両手の指で6、4と示す菜々羽。
「今回はスらないように気をつけろよ」
「当然です!もう5万負けるようなへまはしません!」
とん、と自分の胸を叩く菜々羽。どこからその自信は来るのだろうか。
「よかったら一矢も新聞見ますか?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「そういえば一矢って競人しないですよね。本気部では普通に色々やってるのに、どうしてですか?」
「勝負の結果に自分の実力が介入しないからな。何か物足りない感じがする。野球やってた時も、試合に出てないのにチームが勝ってもあまり嬉しくなかったし」
「へえ。面白いんですけどね、競人」
「面白いとは思ってるよ。レースもそうだし、いつも床を転がってる祠堂も面白い」
「ちょっと!次こそは勝ちますから!」
そう意気込んでいるが、一矢の想像上では既に菜々羽は床を転がっている。
「あっ、信じてないですね!ん~、絶対当ててみせますわ……大穴を狙うとすればヤマミナミムソウ……いや、いくら何でも……」
菜々羽は再び競人新聞を手に取り、穴が開くほど見つめ始めた。
“……私の服の感想は、短い、だけですか?”
ゲームセンターからの帰り、女子寮の前での菜々羽を思い出す。
自分の服装が似合っているかどうかを不安そうに、恥ずかしそうに聞くその姿は、1人の乙女のようだった。今のギャンブル狂の彼女と別人だった。どこか別の世界に迷い込んでしまったような気すらした。
それにしても何故、彼女は一矢に聞いたのだろうか。服の事だったら、一矢よりも紗月や光森に聞いた方が良いと思う。疲れて熱でも出していたのかもしれない。
「そういえば一矢、今日紗月は一緒に来なかったんですか?」
ふと、菜々羽が競人新聞から顔を上げる。
「ああ……えっと、紗月は用事があって……」
「ん?なんか歯切れが悪いですね」
「いやまあ、それは……」
一矢が返答に困っていたちょうどその時、教室の後ろのドアが開く。紗月だった。
「あ、おはよう……」
「おはようございます、紗月。……あれ、何かいつもより疲れてませんか?」
「え?い、いや、そんな事ない。あはは……」
菜々羽の問いに対し、乾いた笑い声で返す紗月。
「いえ、さすがに変ですよ。何かあったのでは……」
「う、ううん、大丈夫。大丈夫だから」
紗月は二の腕を掴み、伏し目がちになっている。よく見ると、制服も若干乱れている気がする。
「……一矢君」
そして、触れれば消えてしまいそうな儚い笑みを一矢に向ける。
「……どうした?」
「大丈夫だから。大丈夫だから。……体は屈しても、心だけは、一矢君のものだから」
「か、体は屈してもって、紗月、何があったんですか!?」
「……祠堂さん、あまり大きい声で聞かないでほしい……」
「えっ、あ、ごめんなさい……」
普段と様子が全く異なる紗月に対し、菜々羽はおろおろと視線を彷徨わせ、競人新聞を振り回している。
「大丈夫、だから」
そう言い残し、紗月は一矢の前の席に座る。大きな背中が、今は小さく見えた。
「か、一矢、紗月に何があったんですか!?知ってるんでしょう!?」
「いやまあ、知ってるんだけどさ……」
「……」
ビクッ、と肩を震わせる紗月。背中越しでも、明らかに“用事”についての質問に怯えていることがわかる。何かがあったのは、明白に見えた。
が、一矢は呆れたようにため息を吐いた。
「……なあ、紗月」
「な、何?」
「寝取られごっこやめない?」
「寝取られごっこ?」
菜々羽は陸に打ち上げられた魚のように、口を半開きにしていた。
「あの、一矢、それはどういう……」
「一旦これを見てほしい」
一矢はスマホを操作し、紗月とのチャットの画面を出す。そこにはこんなやり取りがあった。
上村紗月:寝取られごっこがしたい
一矢:ちょっとよくわからない
上村紗月:明日、職員室に光森先生に反省文出しに行くから教室で待ってて
一矢:あ、はい
「……どういう事ですか?」
「おれもよくわからない」
「……はあ……」
2人のやり取りを聞いていた紗月は、大きく肩を落とした。そして一矢達の方を向く。
「一矢君……そこは私を問い詰めるところでしょ……」
萎えた様子で苦言を呈する紗月。
「問い詰められたところで私が咽び泣いて、“何でもないの、何でもないからぁ……!”って言うまでがワンセットだったのに……」
「やりたくねえわそんなん!っていうかなんでおれが責められてるんだ!?」
「寝取られごっこは彼氏の協力あってでしょ!」
「んーな遊びに協力する彼氏いねえだろ!」
寝取られ性癖があるなら話は別だが、一矢はそうではなかった。
「ったく……」
一矢は机に両肘を着き、項垂れた。ゴールデンウィークは全く休んでないし、学校が始まっても息つく暇がない。誰か、癒しを与えてくれないか。
「お疲れみたいだね、佐山君」
一矢の席に、女子が近づいてくる。
「ん?……ああ、大前か」
大前佐奈。1-A のクラスメイトである。快活そうな笑顔とショートボブが特徴だ。同じショートでも、先日の光森と比べて圧倒的に爽やかである。そういえば、彼女の部活は見た目の印象とはギャップがあった気がするが、忘れてしまった。
「そうだな、色々あって疲れてる……」
「見たらわかるよ。よかったらさ、茶道部遊びに来ない?お茶出すよ?」
「(ああ、そうだ茶道部だ)」
テニスやチアリーディングのユニフォームが似合いそうだが、大前佐奈は茶道部だ。
「いいのか?部外者が行って」
「いいよいいよ、ぜひ!」
「おお、マジか。じゃあ行くよ」
4月から激動の日々を過ごしてきた。お茶でも飲みながら一服してもバチは当たらないだろう。人には癒しが必要だ。
「そ、そんな……」
2人の会話を聞いていた紗月が、青ざめた顔で床に膝を着いた。
「私が寝取られごっこしてる間に、他の女と仲良くなってるなんて……寝取られてたのは私だったんだ……」
「一般人の前で寝取られごっこの話はやめなさい!」
「あはは、大丈夫だよ紗月ちゃん!」
大前はしゃがみ、爽やかな笑顔で紗月の肩を叩く。
「私、シ〇タにしか興味ないから!」
「そうなんだ。それは良かった」
「いや良くはねえよ!」
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