第10話:前衛的にチャックが開いたジーンズ
「あー!今日は遊びました!」
夕方。ゲームセンターを心ゆくまで楽しんだ本気部の4人は、某高校に帰ってきていた。すっかり日は落ち、影がずっと向こうまで伸びていた。
「はあ……何か疲れた……」
寮までの道すがら、一矢は大きなため息を吐く。到着早々菜々羽が迷子になり、地雷ファッションの光森に会い、知らない内に失神し、メダルゲームではドロドロになり……様々な事があり過ぎた。思い返すだけで体が重くなる。
「何だ佐山、もう疲れたのか?野球部で体力つけないか?」
「いや、遠慮しときます……」
「ちっ。疲れて判断力が鈍った時ならと思ったけど、ダメか」
「油断も隙も無い……」
忘れがちだが、光森は野球部顧問だ。引き抜けるチャンスを窺っていることを忘れてはいけない。
「ん?電話か……?」
不意に光森がカバンからスマホを取り出す。ケースにはピンク色で“F***”と書かれていた。地雷っぽい。
「はい、光森です。……はい、いますが……わかりました。失礼します……おーい、上村」
「私?」
呼ばれた紗月が首を傾げる。
「昨日のガラスの件で事情聴取だってさ。職員室行くぞ」
「え。ちょっと困ります。これから一矢君のためにご飯とお風呂と“私”の準備しないと……」
「……一応言っておくけど、私教師だからな?男子寮への不法侵入を堂々と話すな。行くぞ」
光森が紗月の手首を掴む。
「そ、そんな……」
紗月がわなわなと震え出す。そして縋るような目を光森に向ける。
「ど、どうして!私は一矢君のためにラブドール3体セットを盗んだの!人のための行動が、どうして犯罪になると言うの!?」
「おぉい誤解を招く事を言うんじゃねえ!おれにその趣味は無い!!」
「うわぁ……」
「毎度毎度変な目で見るな祠堂!」
大体、ラブドール3体セットって何だ。そんなにあっても使いきれないだろ。
「馬鹿な事言ってないで、ほら」
光森が紗月を引いていく。
「一矢君!」
最後に言葉を、と言わんばかりに紗月が勢いよく振り向く。
「私、体は許しても心は屈しないから!絶対帰ってくるから!」
「アホな事言ってないでさっさとお勤めしてこい!!」
その後も「私と一矢君は心で繋がってる!」「くっ……殺せ!」「おほー!(棒読み)」など訳のわからないことを言っていたが、結局紗月は校舎まで連行されていったのだった。
「……帰るか」
「……そうですね」
嵐が過ぎ去り、一矢と菜々羽は2人で寮までの道を行く。
「そういえば先生、あの服装のまま職員室行ったのかな」
「他の先生方も驚くでしょうね」
いつもスポーティな恰好をしているから、今日の服装はどういう風に映るんだろう。案外、皆色々察して何も話しかけないかもしれない。それはそれで拗ねそうだが。
「……一矢」
ふと、隣を歩いていた菜々羽が足を止める。一矢も止まり、振り返る。
「私、今日とても楽しかったです」
夕日が菜々羽を照らす。しかし逆光と帽子が影を作り、表情はよく見えない。
「どうしたんだ改まって。らしくない」
「い、良いじゃないですか。私が真面目じゃダメなんですか?」
「そういう意味じゃないけど……」
普段とは違う菜々羽の口調と声音に、一矢は面食らう。
「……何だか、不思議なんです」
菜々羽がポケットからプリクラを取り出す。
「今日の出来事なのに、もう心に刻まれて、私の中で思い出になっている。こんな風に友達と遊んだ事、ありませんでした」
一矢もプリクラを見る。全員変顔で、しっちゃかめっちゃかに落書きされた思い出。
朝、菜々羽は話していた。これまでゲームセンターに行くのは禁止されていた、と。
一矢は思う。それは、ゲームセンターに限った話ではなかったのかもしれない。彼女の実家がどういうところなのかは詳しく知らないが、厳しく育てられてきたのだろう。遊ぶ場所だけでなくその内容や、交友関係も制限されていたのかもしれない。
「だからこそ、楽しかったからこそ思うんです。一矢は、紗月は、美穂ちゃんは楽しかったんだろうか、と。私だけが楽しかったんじゃ、ちょっと悲しい」
菜々羽は俯く。帽子のつばが、彼女の目を隠す。
「教えてください。一矢は、楽しかったですか?」
大暴れしてもし足りない、台風にハリケーンを掛け合わせた性格の菜々羽。
そんな彼女が、明らかに不安を見せていた。
普段と服装が違うせいだろうか?それとも、遊んだ帰りの夕方という雰囲気がそうさせるのだろうか?
ボケようと思えばいくらでもボケられるし、ツッコもうと思えばいくらでもツッコめる。「何真剣になってんだよ」とはぐらかす事だって出来る。
けど、安心してほしい。
他人の気持ちを受け止める事。それが大切な事だと、知っているから。
「勿論、楽しかったよ」
一矢の顔に笑みが浮かぶ。それは嘲笑などではない、自然な微笑み。
「そうですか」
それを見て、菜々羽の肩が小さく下がった。安堵し、息を吐いたのだろう。
「ま、まあ?さすが私ですね!部員に楽しみを提供出来たのですから!」
「そうだな。半目はマジで面白かった」
「ちょっと!それは言わない約束でしょう!?」
ふん、と鼻を鳴らして、菜々羽は再び歩き出す。一矢は小さく笑って彼女についていく。
そして、女子寮の前に着いた。
「明日は部室か?」
「そうですね。何やるか考えておきます」
「了解、じゃあな」
手を振って去ろうとした一矢。
「あ……はい」
しかし菜々羽は中途半端に手を上げ、口を開いた状態で固まる。
「どした?」
「いえ、あ、その……」
口を閉じ、意を決して口を開け、そして再び閉じてしまう。
「何でもないです」
「そうか?気になる事あれば言っていいぞ?」
「そうですか……ではもう1つ、聞きたい事があります」
再び俯く菜々羽。しばし無言の時間が過ぎたが、ぽつ、ぽつと話し始める。
「紗月の服、似合ってましたよね」
「ん?ああ、そうだな」
「似合ってるって、言ってましたね」
「言ったけど……」
話が見えない。一体菜々羽は何を求めているのだろうか。
オーバーサイズのパーカーの裾を掴み、居所が悪そうにもじもじとそれを擦り合わせている。
「……たしは」
「え、何て?」
「……私は?」
徐に、菜々羽が顔を上げる。
「今日のために、頑張って色々調べたんです。ゲームセンターで本気で遊ぶには、どういう服が良いんだろうって。……私の服の感想は、“短い”、だけですか?」
不安げに下がった眉、潤んだ瞳、きゅっと結んだ口元。見た事の無い表情だった。1か月あまりの付き合いではあるが、一矢の記憶にある祠堂菜々羽とは真逆の人間がそこにいた。
「……」
思わず彼女に見とれてしまった。まるでどこか別の世界に迷い込んだような、そんな感覚だった。
「な、何か言ってください。それとも“短い”だけなんですか?……変態」
「……はっ!?待て待て、んなわけないだろ!?」
「じゃあ答えてください。私の服、似合ってますか?」
「そりゃあ……まあ」
問われた一矢は、咳払いをして、答えた。
「……似合ってるよ。勿論」
「……そうですか」
菜々羽は自分の着ているパーカー、ショートパンツ、スニーカーに目をやり、キャップを深く被りなおした。僅かに見える口元は、笑っていた。
「一矢も似合ってますよ。今日の服」
「え、そうか?ただの白シャツとジーンズだぞ?」
「似合ってます。特に、その前衛的にチャックが開いたジーンズ」
「ファッ!?」
一矢は瞬間的に関節をフル稼働させ、敵に襲われたダンゴムシのように上半身を丸めてジーンズのファスナーを見た。まさか、今日1日開放しっぱなしだったのか!?いや、仮に開いていたとして、普通こっそり教えてくれるだろ!?気を遣って言わなかった?いや本気部の面々がそんな事に気を遣うか!?
「ん?……んん……?」
間近でジーンズのファスナーを見つめるが、どう見ても閉まっていた。3分の1だけ開いているとかそういう事も全くない。しっかりとパンツは守られている。
「……え、まさか嘘!?」
「嘘です」
菜々羽はキャップを深く被ったまま、べ、と舌を出して女子寮の敷地内に走っていく。
「おーっほっほっほ!良い顔見せてもらいました!一生笑って差し上げますわ!」
「てんめえ!よくもやってくれたな!?こっちこそ、半目のネタこすり続けるぞ!」
先ほどの表情はこのためのブラフか。してやられたと天を仰いだ一矢だった。
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