第8話:どの世界にも、“本物”がいる。
その後、本気部はゲームセンターで心行くまで遊んだ。
ただ、彼らの“遊び”とは遊戯ではない。真剣勝負である。
「第1試合に選ばれたのは、パンチングマシン!計測されたパンチ力の数値が大きい人が勝ちです!」
やけに説明口調で菜々羽が宣言し、パンチングマシン対決が始まっていた。
「はっ!」
一矢の拳が当たったサンドバッグが、後ろに倒れる。
「どうだ!?」
サンドバッグの後ろにある画面に目を向ける。目まぐるしく変わる数字とダラララララ……というドラムの音。
そして表示された結果は、200kg。
「おっ!良いじゃん!」
一矢は満足そうに笑みを浮かべる。マシンによると、平均パンチ力は150kgらしい。良い結果だ。
「くそっ、負けたか……」
光森が悔しそうに歯噛みする。彼女の結果は150kgだった。一般的に女性の筋力は男性に比べて弱い。それを考えると良い記録ではあるが、彼らは今勝負をしている。平均との差など、問題ではない。
「一矢君、お疲れ様」
「ああ、ありがとう」
手渡されたタオルで汗を拭く一矢。そして紗月は回収したタオルをチャック付きクリアバッグに入れた。お約束である。
「そういえば紗月はやらないのか?」
「やらない。暴力なんてはしたない事、一矢君の前で出来ないから」
「さっき一矢を失神させたのは誰ですか……」
「何か言った?」
紗月はボクシンググローブを着けた右拳を菜々羽に向かって振り上げる。
「い、いえ何も!!あ、次私ですので、グローブはいただきますね!!」
菜々羽は紗月の腕に飛びつき、奪ったボクシンググローブを自分の右手に着けた。
「さて、やりますか……」
マシンの前に立ち、ポンポン、とグローブと手のひらを合わせる。
「頑張れよー」
一矢はニヤニヤしながら菜々羽を見ていた。
彼には自信があった。いくら身体能力お化けと言えど、200kgを超えるのは容易ではないはずだ。
これまで本気部として共に活動してきたが、菜々羽の身体能力の真髄は筋力ではなく運動神経にあると一矢は睨んでいた。ブリッジ状態での手押し車や、逆立ちしながらジャンプするなど、いくら筋力があったとしても容易に出来るものではない。それらのアクロバットを支えるのは、おそらく“体の操縦性”であろう。とすると、操縦性と同等に筋力が重要になるパンチングマシンは彼女にとって不利だ。
何より、彼女の体格はスレンダーだ。大きなパワーが秘められているとは思えない。
しかし、一矢の予想は見事に外れる。
祠堂菜々羽は本気部の部長である。
「どおりゃぁぁぁぁーっ!!」
お嬢様とは思えない雄叫びを上げる。拳が赤いサンドバッグに突き刺さり、轟音が店内にこだました。
「は?」
それは、衝撃だった。室内であるはずなのに、パンチによって生まれた風が一矢の服をはためかせていた。
「ふぅーっ、結果は!?」
菜々羽がマシンの画面を見上げる。
そこには、とんでもない表示が出ていた。
「「計測不能!?」」
「あら、私のパンチ力にマシンが耐え切れなかったみたいですね!おーっほっほっほ!」
菜々羽は腰に手を当て、高らかに笑う。
「う、嘘だろお前……」
「おやぁ?かーずや、先ほどの自信満々な顔はどこに?」
どや顔を見せつける菜々羽。
「お、お前、今の、どうなってるんだ!?なんか風来たぞ!?」
「幼少期より空手を習っておりましたから。私に手を出すときは、相応の覚悟を持ってくださいね」
菜々羽が一矢に向かって拳を構える。
「絶対出しません」
一矢は即答した。達人は構えだけで戦意を喪失させると聞くが、こういう事なのかもしれない。
「さて、この勝負は私の勝ちです!次に行きましょう」
「ちくしょう……」
意気揚々と歩き出す菜々羽と、肩を落とす一矢。
しかし彼らを、紗月の発言が引き留めた。
「でもこの勝負、一矢君の勝ちだよね」
それを聞いて菜々羽がやれやれ、と首を横に振る。
「紗月。貴方が一矢の事好きなのはわかりますけど、どう見ても私の勝ちじゃないですか。何を……」
「この勝負、パンチ力の数字で勝負するんでしょ」
“計測不能”の画面を指さす。
「計測不能ってことは、数字は出てない」
「……あ」
言われてみれば確かに。今回の勝負、勝者の定義は“計測されたパンチ力の数値が大きい者”であること。轟音が響けば有利とか、衝撃波が出れば勝ち、という話は無い。
「ちょ、ちょっと待ってください紗月!そんな野暮なルール誰が決めたんですか!?」
「祠堂さんだけど」
「そうでした!!」
菜々羽はその場で膝を着き、ボクシンググローブを着けた右手でドンドンと床を殴った。
「何故私はそんなルールを作ってしまったんでしょうか!せっかく、せっかく一矢に一泡吹かせられるところでしたのに!」
「……え、じゃあおれの勝ち?」
「そうだね。一矢君おめでとう」
「ああ、ありがとう……」
一矢は引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。試合に勝って勝負に負けたとは、このことである。
「う~~~、次です!次に行きましょう!」
本気部の4人は場所を移動し、メダルゲームエリアへ。ここでの勝利条件はただ1つ。最もメダルを多く獲得することだ。
「(ここなら……!)」
一矢はほくそ笑んでいた。先ほどは実質菜々羽に完敗だったが、今回は勝てる自信があった。メダルゲームと言えば、ゲーセンの定番。逆に言えば、ゲーセンに来た事がない菜々羽にとっては未知。自分にアドバンテージがあるはず、と一矢は考えていた。
が。
「あ……ああ……」
現実は非情である。
自分の名前に入っている“1”番の席を選んだ一矢。開始当時はジョッキサイズのケースが溢れそうなほどメダルを持っていた。しかし時間と共に減っていき、気付いたら数えられる程度の枚数になっていた。
「ど、どうして……どうして当たらないんだ……」
このメダルゲームは特定の赤い穴にメダルが落ちればルーレットが回り、当たった役に応じてメダルが排出される仕組みになっている。
しかし当たらない!ルーレットは回るのに、当たらない!
視界がぐにゃりと歪み始める。メダルを持つ手が震える。段々と、現実感が失われていく。何か悪い夢を見ているんじゃないか。
「くっ……!」
とうとう、ケースに残ったメダルは1枚となった。それを両手で握り、念を込める。どうか、どうか当たってほしい。
投入口にメダルを置く。なかなかそれを離せなかった。メダルに手の震えが伝わり、カタカタと音を鳴らす。これが消えれば、おれは負ける。
「(何弱気になってんだ……!こんなんで勝てるかよ!!)」
首を横に振り、深く息を吐く。勝てばいいだけだ。どれだけ低い確率かはわからないが、0ではない。勝てる可能性は、ある。ならばそこに向かって突き進むのが本気部だ。
「いけっ!!」
意を決して、指を離した。
このメダルゲームは、ルーレットを回すための前段階がある。カギとなるのが、手前と奥に配置された“段”である。“段”と言う名の通り、上下位置に差がある。奥が上、手前が下である。大事なのは、段には過去に排出されたメダルが溜まっていることと、上下の段は絶えず前後に動いていることである。
メダルはまず上段に排出される。ちょうど良い位置に排出されれば、過去に溜まっていたメダルが下段に落ちる。同様に、タイミングが合えば下段からもメダルが落ちる。そして、メダルが下段から“特定の穴”に落ちた時にルーレットが回る。行程が長いが、とにかくメダルが連鎖的に落ちていけば、ルーレットが回りやすくなるのだ。
一矢の祈りと共にメダルが上段に排出される。小さく跳ねた銀色は、タイミング良く他のメダルと壁の間に倒れる。段が動き、溜まっていたメダルが押し出されて下の段へ。
「!!」
一矢が目を見開く。
落ちてきたメダルが、溜まっていたメダルと上段の間のスペースに収まる。下段が奥に動く。上段のそれと同じように、メダルが押し出される。そして、ルーレットが回る赤い穴に、落ちた。
『ルーレット、スタート!』
「よし!!」
ビリッ、と一矢の体に電気が走る。甲高い女性のボイスと共に、段より上に配置されたルーレットが回り始め、そこにボールが投入される。入った穴の色によってメダルの配当が変わる。8つの穴のうち、1つ開いた赤色か2つ開いた銀色に入れば当たり。配当は100枚と300枚だ。4つ開いた白色に入れば、外れ。一矢のこれまでの時間と苦労が全て霧散する。
固唾を飲んで見守る。彼の頬を汗が伝った。
回転速度が徐々に遅くなる。ルーレットに開いた穴に、ボールがカコン、カコンと引っかかる。
「なっ……!?」
ほどなくして、ボールは穴に入った。
赤色でも、銀色でもなかった。
「これは……!」
そして、白色でもない。
ただ1つ開いていたその色は、金。
当たりでもなければ、外れでもない。
この穴は、プレイヤーを更なる興奮へと誘う。
『ジャックポットチャンス!!』
筐体がそう宣言すると、一矢の席に先ほどとは違うルーレットが大きなアームと共にやってくる。穴の数は白が1、赤が3、銀が3。そして、“虹色”が1。
「マジか!?」
一矢は台に手を付き、勢いよく立ち上がった。
ジャックポットとは、いわゆる大当たり。1回目で金に入り、2回目で虹に入った時に当選となる役。
メダルの配当枚数は、5000枚。
『ルーレット、スタート!』
「(来い、来い、来い……!)」
目を血走らせ、両手を握りしめ、歯噛みしてルーレットを見つめる。勿論狙いはジャックポット。ただ、すっからかんの自分にとっては、赤や銀でも悪くない。
最後の1枚でルーレットにたどり着いた。8分の7が当たり。外れるはずが無い。
いつの間にか、彼の周囲には人だかりが出来ていた。
流れは完全にこちらに向いている。勝てる!
ルーレットが減速していく。再びボールがカコン、カコンと引っかかり始める。
「入れ、入れ……!」
その瞬間、一矢はジャックポットの事だけ考えていた。盤の11時の方向にある虹色の穴だけを見ていた。ルーレットはほぼ止まりかけているが、この勢いなら虹色に入る算段は高い!
想像通り、ルーレットはゆっくりと反時計方向に回り続ける。3個前を過ぎ、2個前を過ぎ、1個前を……過ぎた!!
「そこだ!!入れっ!!」
一矢だけでなく、周囲の野次馬も叫んだ。理由はないが、彼らはジャックポットを確信していた。
ボールが虹色の穴に向かっていく。ゆっくりと、入っていく。
そのはずだった。
「は……?」
ルーレットは、止まらなかった。
ボールは虹色の穴を過ぎ、その次の“白い穴”にカタン、と収まった。
『外れ!ざんね~ん!』
筐体のボイスが鳴る。それに対して悔しさも、楽しさも、何も感じなかった。
「……え、はずれ……外れ?」
現実を受け入れられなかった。
だってそうだろう?最後の1枚でルーレットにたどり着き、ジャックポットチャンスを引き当てた。大当たりでなかったとしても、せめて当たりにはなる流れだろ?
8分の1の白い穴だけは、外れだけはないだろ?
しかしメダルは排出されない。“段”は、ただ虚しく前後に動き続けている。
「あ……あぁ……」
徐に、一矢の視界がグニャリと歪んだ。全ての輪郭が崩れていく。ズルズルと、背もたれに背を引きずるようにして椅子に座る。
『ジャックポット!!ジャックポット!!』
「はっ!?」
筐体のアナウンスで飛び起きる。やはりさっきの外れは間違いだ。本当は当たっていたんだ!
『5番席のお客様、おめでとう!!』
「はあ……」
再びドスン、と椅子に座る一矢。彼の席は1番だ。5番席は自分の対角にある席じゃないか。そもそも、今のアナウンスは音声が明らかに遠かった。それにすら気付かなかった。
「あ……」
8分の7を、外した。不意にその実感が湧く。
虚空を見上げた彼は、もはや声も出なかった。
思えば学校を出た時、もうメダルゲームはしないでおこうと誓ったはずだった。しかしこのざまである。
「佐山ぁー、調子はどうだぁー……」
「うぅ、スカンピンになっていしまいましたわ……」
別のゲームをしていた光森と菜々羽が、様子を見に来た。光森はコップサイズのケースの半分程度、メダルを獲得していた。菜々羽はケースをひっくり返して中を見ているが、何も出てこない。
そんな彼女達が、一矢を見て揃って仰天した。
「佐山!?」
「一矢どうしたんですか!?何かドロドロになってますわ!?」
物理的にどうなっているかはサッパリだが、一矢は文字通りドロドロになっていた。
「か、一矢、しっかりしてください!わっ、頭皮までドロドロ!」
「佐山もスカンピンになったみたいだな……」
光森が筐体に置かれた空のケースと虚しく動き続ける台を見て推理する。その通りであったが、もはや一矢は頷く事もままならなかった。
「おばあ様の言うことは正しかったんですね……」
菜々羽の目の前に、“ゲーセンで脳が溶けた”男がいた。
「一矢君……」
そんな彼らに、紗月も合流する。
「あ、紗月!一矢がドロドロに……って何ですかそのメダル!?」
紗月は一矢が持っていたものより2倍くらい大きいケースを、4つも重ねて持っていた。
「ああ、さっき当たった。それより一矢君……メダルなくなったんだ」
「そうみたいなんです。それでこんな……」
菜々羽が溶けた一矢に目を向ける。
「大丈夫。私に任せて」
紗月の表情は薄い。しかし“一矢を救いたい”という意志を明確に示していた。
「わ、わかりました」
なおも心配そうにしているが、ここは幼馴染の力を信じるべきと判断し、菜々羽は一矢から離れる。
「一矢君……」
紗月はメダルケースを筐体に置き、一矢を抱きかかえる。
「大丈夫、大丈夫……見て、私さっきたくさんメダル獲った」
「……」
濁った一矢の目が、積まれたメダルに向けられる。
「私のメダルあげるから……ほら、メダルいっぱいあるよ」
「……」
彼の手がケースに向かって伸びる。紗月はメダルを一枚取り、握らせる。
紗月に介護されながら、メダルを投入する。段に排出される。そしてあれよあれよという間に溜まっていたメダルが流れ、ルーレットが回る。
『当たり!!』
そして、あんなに当たらなかったのが嘘のように当たった。しかも銀色、300枚。
「当たった……当たった……?」
「当たったよ一矢君、当たったよ……」
感情表現の乏しい紗月が目を細めて嬉しそうに笑う。
「やった……やった……!」
しばし失われていた一矢の自我が返ってくる。
「あ、一矢が人間に!」
「どうなってるんだこいつの体は……」
自我の回復に伴い、輪郭もドロドロから人間に戻っていく。
「お、おお、すげえ、メダル、メダルめっちゃ出てきた!」
「そうだね一矢君、ほら、ケースに入れよ?」
「ああ!」
空になっていた一矢のケースに、メダルがどんどん溜まっていく。
「ありがとう紗月!本当に助かった!ありがとう!!」
「ううん。私は私のやりたい事をやっただけだから……」
生気を取り戻した一矢は、またメダルゲームに勤しむ。紗月は立ち上がり、彼の横顔を眺める。
「そう、私のやりたい事を……」
そして、身震いする。顔を赤らめ、息を荒くし、トロンとした目で一矢を見つめる。
「ああ……私がいないと生きられない一矢君、凄く良い……気持ち良い……」
紗月は快感を覚えていた。
実は彼女は一矢と同じ筐体の“5番席”にいた。つまり、一矢のいる1番席の対角の位置である。彼女はプレイ中に時折1番席を覗き、一矢が当たっていない事をその表情から理解していた。彼がジャックポットを外した直後に、自分のジャックポットが当たった事も理解していた。
「一矢君の幸せを支配する事、それが私の幸せ……」
「「……」」
そんな紗月を見た光森と菜々羽は、真顔だった。
「……祠堂」
「何でしょう美穂ちゃん」
「私もう、地雷系やめようと思う。本物見て怖くなった」
「そうしましょう。美穂ちゃんにはもっと似合うファッションがあると思います」
どの世界にも、“本物”がいる。
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