第7話:クーちゃん
「……はっ!?」
一矢は不意に目を覚ました。背中と尻に当たる硬い感覚。ベンチに座っていたようだった。クレーンゲームの筐体から発せられる、チカチカと明るい照明が目に刺さる。
「気が付いた?」
「紗月……?」
隣に、上村紗月が座っていた。
「……あれ、おれ何してたんだっけ?ゲーセンに来て、光森先生に会って、祠堂にタックルされて……っ!?」
タックル後の事を思い出そうとして、一矢の体に悪寒が走った。何か、何か恐ろしい事が起こった気がする。しかしそれを思い出せない。脳裏には、ただ“グレー”だけが残っている。
「どうしたの」
紗月が顔を覗き込んでくる。
「いや……何か、何かを忘れている気がするんだ。とても大切な、恐ろしい何かを……」
“グレー”の先に何があったか。柔らかいものに包まれたような気もするが……カギが掛かってしまっているようで記憶から取り出せない。
「夢でも見てたんじゃない?」
「……そうか、夢……か」
まだ釈然としない部分は残っているものの、思い出せない以上は考えても無駄か。
まあ思い出せないということは、大切な事ではないのだろう。そう納得して、彼はベンチから立ち上がった。
「そういえば祠堂と先生は?」
「どっかのクレーンゲームやってる」
「わかった。合流しよう」
「了解」
紗月も立ち上がり、一矢の後を追う。
「ふふ……」
何も思い出せない一矢を見て、紗月はにんまりと笑った。
一矢を“乳没”させたとき、紗月は谷間に押し付ける強さと時間を操作していた。その結果、彼女にとって都合の悪い記憶を消去することが出来ていた。
完全に習得すれば、自分以外の他者と関わった記憶を消せるかもしれない。
一矢の記憶に紗月だけ残すことも可能かもしれない。
「(全部、私の思いのまま)」
怪物が、その怪物性を増長させていた。
「あ、祠堂いた!おーい!」
そんな紗月の企てを知らない一矢は、能天気に菜々羽と光森に声を掛ける。
「美穂ちゃん、もうちょい右です……あ、一矢!?」
光森のプレイを見守っていた菜々羽が、一矢を見て血相を変える。
「どうしたんだ祠堂、そんな顔して」
「そんな顔も何も、貴方1時間も失神してましたよ!?大丈夫なんですか!?」
「は……?」
菜々羽の言っている意味がわからない。自分は失神していた?
一矢はポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
「えっ、今12時!?」
ゲームセンターに到着したのが10時半。一矢の記憶では30分程度しか遊んでいないつもりだったが、思いのほか時計は進んでいた。
「(韓国の時計に合わせるの忘れてた……!)」
紗月は心の中で舌打ちした。お仕置きと記憶操作に気を取られてしまい、一矢のスマホの時計を韓国の標準時に合わせて1時間の空白を埋めるのを忘れていた。
「……なあ祠堂、覚えてたら教えてくれないか。何があったんだ?」
先ほどはスルーしたが、1時間気を失っていたとあっては無視できない。紗月より菜々羽の方が何か知っているかもしれない。
「えっ、覚えてないんですか?その……ひっ!?」
“3P事件”の顛末を話そうとした菜々羽だったが、一矢の背後を見て青ざめる。
「何だ、何かあるのか?」
一矢が振り向く。しかしそこには紗月しかいない。彼女は一矢と菜々羽に向かって微笑みかける。
「一矢君は、疲れて倒れた」
「え、そうだったのか?」
「うん。昨日たくさんシちゃったから」
「ちょっと待て、お前はおれの何を知っている!?」
「全てだよ」
紗月は頬に手を当てる。そして菜々羽に視線を向ける。
「私は全て知っている。一矢君は、“疲労で倒れた”。わかった?」
細い目から覗く、黒い瞳。墨のように黒く燃える炎を察知し、菜々羽は思わず背筋が伸びる。
「は、はい!その通りですわ!佐山一矢は昨日シすぎて疲労で倒れました!」
「復唱せんでいい!」
果たして、昨日はそんなにシただろうか。記憶上はそうでもないが、死は突然に訪れるものだ。気をつけよう。
「……で、1時間もクレーンゲームやってるのか?」
「ええ、まあ……」
そう言って菜々羽は、筐体の前にいる光森に目を向ける。
「くっ!はっ!」
地雷系ファッションに身を包んだ妙齢の女性が、レバーをガチャガチャ動かし、ボタンを手のひらでバンバン叩いている。
「……あれ、クレーンゲームの動きじゃなくね?」
明らかに格闘ゲーマーの所作である。彼女なりに本気なのだろう。
「首尾はどうなんだ?」
「それが……」
あの様子で1時間もやっているなら、1つくらい景品を獲得したのだろう。と一矢は思ったが、菜々羽は言いにくそうに口ごもる。
「ここだっ!」
光森が拳でボタンを叩く。というか殴る。3本のアームが開き、クレーンが景品に向かって降りていく。アームが景品をがっちり握る。
「よし!」
光森が小さくガッツボーズする。しかしアームは景品の重さに負け、するりと抜ける。クレーンが上がった時、景品は変わらず元の位置にあった。
「ああぁぁぁぁぁ!!」
光森が筐体に突っ伏し、どんどんとガラスを殴る。
「……いや、まだまだ!」
黒とピンクの十字架が敷き詰められたような財布から500円玉を取り出し、投入口に入れる。そしてまたレバガチャを繰り返すが、するり、するりと景品は零れ落ちていく。その度に光森は泣きそうになっていた。
「……あんな感じで、ことごとくアームに嫌われています」
「お気の毒……」
心底同情する一矢。
「あれ、そういえばさっきのやつは?」
「さっきのやつ?」
「店員さんに移動してもらった景品」
光森の周囲には見当たらない。菜々羽が持っているわけでもない。落下口に片足が引っかかっているだけのぬいぐるみくらい、獲れると思っていたが……。
「まさか、あれが獲れなかったのか!?」
「いや、それが……」
菜々羽が頬を掻く。
「一矢が倒れている内に、他の客が取ってしまったみたいで」
「獲れない~!!」
逃した魚は大きい、このままでは終われないという事だろうか。光森は絶叫し、クレーンゲームの前に跪いた。ことごとく不憫である。
「く、クレーンゲームさ~ん。そろそろ景品落としてほしいなぁ~……」
ついには筐体に縋りつき、猫撫で声を出し始めた。しかし、子気味良いBGMと“景品ゲットに向かって頑張れ!”という定型文しか返してくれない。
「なあ祠堂。そろそろ何とかしたほうがいいんじゃないか。あのままだとクレーンゲームに貢ぎ続けるぞ」
「そ、そうですね……景品獲って差しあげたら落ち着いていただけるでしょうか……」
「……やってみるか」
「クレーンゲームさん、お願い、お願いだ……」
落下口に頭を入れようとしている27歳地雷系を尻目に、一矢は100円玉を投入する。適当にレバーを操作し、大体の位置で降下させる。
「……お?」
これまで幾度となく零れ落ちていた景品を、アームがしっかりと掴む。持ち上げ、運び、落下口の上で離す。
「どうしてあんなに貢いだのに景品くれないんだ!どれだけ私から奪えば気が済む……ん?」
とうとうガチで喧嘩しようとしていた光森だったが、落ちてきた景品を見て目を丸くする。
「え、え……?」
震える手で扉を開け、ぬいぐるみを手に取る。般若のように激怒していた顔が、ぱあっと明るくなっていく。
「ク、クーちゃん……ありがとう、嬉しい……!」
「クーちゃんって誰だ……」
「一矢」
菜々羽は首を横に振る。
「野暮な事はやめましょう。美穂ちゃんには、美穂ちゃんの幸せがあります……!」
「クーちゃん、また来るぞ……!」
「美穂ちゃん!」
2人は笑う。光森がぬいぐるみを撫でる姿を見て、菜々羽が目を潤ませていた。
そんな彼女達を見て、一矢は思う。
あの先生、いつかホストとかにハマるんじゃないだろうか。
公務員は副業禁止なので、どうか気をつけてほしいところだ。
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