第4話:祠堂菜々羽は物理を超越する

 紗月が外野に行き、ゲームが再開する。試合前は相当な意気込みを見せていた本気部だったが、既に内野に残っているのは一矢だけとなってしまった(一応菜々羽は内野に戻れるが、まだ外野で伸びている)。

「とにかくアウトにしないと……ふっ!」

 一矢が相手の一人にボールを投げる。しかし圧倒的に不利な状況が焦りを生んでしまったのか、いとも簡単に捕球されてしまった。

「くそっ……」

 一矢は少しだけコート後方に下がり、相手の投球に備える。本気部側の生き残りが自分だけである以上、勝つためには多少無理をしなければならない。つまり、相手のボールを積極的に捕りに行く必要がある。

「ほっ!」

 相手が振りかぶり、ザッ、と足を踏み込んでボールを放つ。一直線に一矢のひざ元に飛んでくる。手だけで捕ろうとすれば弾きやすい、絶妙な高さだ。

「させるかァッ!」

 しかし一矢も、簡単なボールは来ないだろうと予測していた。反射的にひざを地面に着ける。射線上に自分の胸が来るようにして、抱きかかえるようにボールをキャッチした。

「はぁーっ……あっぶねぇ……」

 しっかりと腕に収まっているボールの感触を確かめながら、一矢は安堵した。ギリギリだった。あとちょっと上下に高さがズレていたら、反応は出来ても弾いていただろう。何とか首の皮一枚繋がった。このチャンスを生かして攻撃を仕掛けねば。

 とはいえ、いつもやかましい菜々羽の声が聞こえない辺り、まだ転がっているだろう。先日、職員室で上半身ブリッジ状態で数分間耐えていたし、その状態のままでの移動もやってのけたので、彼女の身体能力が低いとは思わない。しかしあの球技センスは壊滅的だ。起きていたとしても頼るのは難しいだろう。

 とすると紗月か。何をするかわからないという意味では菜々羽以上だが、ボールをキャッチするくらいは出来るはず。

「よし、紗月!」

 方針を決めて立ち上がり、一矢は外野にボールを投げようとする。

「離れてください!今から電気ショックが流れます!」

 紗月はハートの中央に電気のマークが描かれた赤いAEDのケースを持ち、人払いを行っていた。

 AEDとは、心臓の機能が正常でなくなった人のために、電気ショックを与える機械である。当然ながら、健常者に使用してはいけない。

「何やってんだお前ぇぇぇ!?審判タイム!!タイムタイムタイム!!」

 一矢はボールを外野に投げつつ、審判に向かって腕でTのマークを作り、外野に転がるように駆けこんでいった。

「あ、一矢君。AED使うから離れて」

「いや待て待て待て!何故AED!?」

「だってこの人起きないから」

 紗月は菜々羽を揺するが、気付く様子はない。

「え、もしかしてこいつそんなにヤバいのか?」

 一矢はしゃがみ込み、菜々羽の口元に耳を寄せる。呼吸の音を聞こうとしたが、周囲の喧騒に妨害されてよく聞こえない。

「……よし」

 今度は菜々羽の耳元に口を寄せ、一矢は呟いた。

「4-7-2」

「……」

 ピクッ、と菜々羽の体が動いた。ちなみに“4-7-2”とは、先日某高校で行われた競人“卯月賞”の着順を表している。

「あ、効いてる」

「次だ。……5万イェン」

「……」

 ピクッ、ピクッと菜々羽の体が2回震えた。菜々羽は先日の競人で5万イェン負けている。

「効いてる、効いてるぞ。次は……残金20イェン」

「うぅーん、水をおかずに水を飲む生活……」

 菜々羽が眉間に皺を寄せ、苦悶の表情をする。一瞬、彼女の生活レベルを本気で不安視した一矢だった。主食は水道水、おかずはミネラルウォーターだろうか。

 しかし確実に、菜々羽の意識が戻り始めている。

「先生、汗が」

「ありがとう」

 まるで手術時の看護師と医者のように、紗月が一矢の汗を拭く。ちなみに、そのタオルを紗月がチャック付きの袋に保存したことは誰も知らない。

「さて、これが最後の手段だ。起きろよ、祠堂」

 そして一矢はとっておきを繰り出した。

「なあ紗月。このままこいつ起きなかったら、賞金おれと紗月だけで山分けな」

「許しませんわー!!」

 ついに菜々羽が起きた。今まで伸びていたのが嘘のように、腕を使わずに跳ね起きた。やはり身体能力は高いようだ。

「えーっと、私は一体……?」

「おはよう、祠堂」

「あら一矢、おはようございます……あ!貴方、さっきまで私を“残金20イェン”と呼んだり、“賞金はおれと紗月だけで山分け”とかなんとか言ってませんでしたか!?」

「言ってない言ってない」

 しっかり言っていたが、認めると面倒な事になりそうだったので一矢は堂々と嘘を吐いた。患者のアフターケアまで行ってこそ、一流の医者である。

「夢でも見てたんじゃないか?さっきボール当たってからここで倒れてたし」

「え?あぁ、そういえば……でも確かに、いくら一矢でも紗月に抱っこされるはずはないですよね……」

「おい、お前どんな夢を見てたんだ?そして祠堂菜々羽の中でおれのイメージはそれなのか?」

「なるほど」

 何かを閃いたらしい紗月が、両手を広げて一矢に近づいてくる。

「よーちよち一矢君。ママのお胸でねんねの時間でちゅよー」

「やめろ!正夢にしようとするな!」

 胸までしか隠れていないシャツにブルマを履いた“ママ”など、情報量が多すぎて処理しきれない。

「あらー?イヤイヤ期でちゅかー?昨日みたいに、ママにとんとんされながらおやすみしまちょうねー」

「してない!一人で寝たわ!」

「あらあら、反抗期みたいでちゅねー」

「親離れの時期なんだよ!」

「あ、あの……」

 本気部3人のやり取りを見ていた審判が、おずおずと声を掛けてくる。

「もう大丈夫でしょうか……試合を再開したいんですけど……」

「あ、す、すいません!今戻ります!」

「いけない子は後でお仕置きでちゅよ」

「もうその設定終わり!」

「えー気に入ってたのに」

「気に入るなそんなん……」

 一矢は自分のコートに帰る。さっきまでドッジボールをしていたはずだったが、すっかり本気部の日常になってしまった。サッカー部達に白い目を向けられている。

「おいお前ら、なんでその目をおれに向ける!?あっちに向けろ!」

 一矢は外野の女子2人を両手で指さす。

「いや……あの人達と互角な時点で……」

「くそぉっ!」

 一矢は両膝をつき、頭を抱えた。その時初めて、彼は既に“残金20イェンの女(菜々羽)”や“クレイジーダイナマイト(紗月)”の2人と同等の扱いを受けている事を知った。

「何ぼさっとしてるんですか一矢!これはドッジボール、勝負の時間ですよ!」

「さっきまで倒れてた奴に言われたかねぇ!」

 菜々羽は外野に落ちていたボールを拾い、助走を着けて振りかぶる。何はさておき、ドッジボールだ。この大会に勝てば賞金が手に入る。ふざけている暇はない。

「ホァァーッ!!」

 気合も乗せ、菜々羽が投げる。

「へぶっ!」

 ボールはヒットした。食らった者が思わず声を漏らす。

 しかしアウトではない。

 理由は2つ。1つは顔面に当たったから。

 もう1つは、当たったのが菜々羽の“後ろ”にいたはずの紗月だったからである。

「へ?あれ?ボールは?」

「ここだけど」

 紗月が自分の足元に落ちたボールを広い、菜々羽に向かっていく。

「え、紗月?どうして?って怖い怖い怖い!変なオーラ出しながら無言で近づいてこないでください!」

 一矢のいる内野のコートから見てもわかるくらい、紗月はどす黒いオーラを出していた。

「……」

 一矢はあえて何も言わず、静観することにした。紗月と付き合いの長い彼だからこそ、心がけていることがある。すなわち、“怒った紗月は天災”。ただ安全な場所に身を潜め、過ぎ去るのを待つしかない。

「貴様の考えがわかった」

 紗月はじりじりと菜々羽に近づいていく。

「貴様はこの球技大会、賞金のために参加しているわけではない。一矢君を自分のものにするために、私を潰すのが真の目的」

「え!?そ、そんな事ありませんわ!私はただ金のためにこの場に立っています!まずは金、次に金、最後に金!金以外に必要なものはこの世にありません!!」

「ひっでえセリフだな」

「一矢!見てないで助けて下さい!」

「いや、おれ内野にいないと……」

「裏切者ぉーっ!」

 目に涙を浮かべる菜々羽。しかし誰も助けることなどできない。一矢は両手を組み、彼女に祈りを捧げた。

「貴様が一矢君をどう思っているかは知らない。けどこれだけは伝えておく」

 紗月はボールを高く掲げる。

「私は一矢君と赤ちゃんプレイするその日まで、死ぬわけにはいかない!」

「もっと何かあるだろ!?」

「ぬぁぁぁーっ!!」

 命の危機を感じた菜々羽。身体能力自体はずば抜けている彼女は、スポーツ選手顔負けの反応で地面に伏せた。

「ん」

 紗月は軌道修正を試みるが、既に右腕には勢いが乗っていた。ボールは菜々羽の上を通過する。

「ごっ、ふっ……!?」

 そして、その球は本気部のやり取りを呆然と見ていたサッカー部の腹に直撃した。彼はその一瞬、自分がドッジボール中という事を忘れていたため、反応出来なかった。

「ち、ちくしょう、油断した……そういう作戦だったのか……っ!」

「いや、あれは紗月が暴れただけだ」

 悔しがるサッカー部に対し、紗月の幼馴染として一矢は否定した。

「ちっ、距離が遠くなった」

 現に、内野に戻ってきた紗月は敵をアウトにした喜びではなく、菜々羽にボールを当てづらくなった事への後悔を強く感じていた。

 サッカー部の元々外野だった者が内野に戻り、改めて試合が再開される。しかし本気部のプレッシャーに吞まれて彼らは連携ミスをし、本気部の外野にボールが転がった。

「私の出番ですね!」

 菜々羽がボールを拾う。

「たぁっ!」

 掛け声とともに投げられたボールは、またしても彼女の背後に向かって飛んで行った。

「……あれ、私の投げたボールは?もしかして、消える魔球!?自分の才能が恐ろしいですわ……!」

 自分の頬に手を当て、喜びに震えている菜々羽。確かに彼女の視界には無いので、“消えた”と言えなくもない。ちなみにボールは本気部とは違うコートに飛んでいき、そこにいた男子生徒に当たっていた。彼は何が何やらわからず、あたふたとしている。

「後ろだ後ろ」

「へ、後ろ……?はっ!?」

 菜々羽は振り返り、自分が投げたボールが背後のコートに転がっているのを見た。そのコートでは突然の事態に協議が行われていた。そして菜々羽が投げたことを見ていた生徒が彼女を指さし、コート内の全員の視線が彼女に向いた。

「あ、えっとあの……すいません……」

 菜々羽は先ほどの様子とは打って変わり、ペコペコと頭を下げながらボールを拾いに行き、戻ってきた。恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた。

「な、何故後ろに……?何かの間違いです!もう一回!」

 そう言って菜々羽は再び振りかぶり、投げる。しかし今度も背後に飛んで行き、またしても別コートの男子生徒に直撃した。彼は前から飛んで来たボールにも当たり、無駄にダブルアウトになっていた。何という災難だろう。

「す、すいません……」

 菜々羽は不幸な生徒に赤べこのように頭を下げてから、すごすごと帰ってきた。

 その様子を、もちろん一矢と紗月は見ていた。

 例え幼稚園児であったとしても、一般的にボールを投げれば体の前方180度以内には飛んでいく。

 しかし祠堂菜々羽はそれにあてはまらない。

「今度こそ……えい!」

 3度目のチャレンジも同じ。後ろのコートにボールが飛んでいった。そのコートの審判が、菜々羽に向かって笛を鳴らした。そして小走りで駆け寄り、胸ポケットから一枚のカードを出した。

 そのカードの色は、黄色。

 試合に関係ない人間なのに、菜々羽はイエローカードを出されていた。

「へ!?何故わたくしにイエローカードが!?何もしていないでしょう!?」

 菜々羽は両手を広げ、信じられないと言う顔をしてサッカー選手のように抗議する。しかし審判は首を振るばかりで、言い分は聞き入れてもらえそうにない。当然と言えば当然だろう。

「……なあ、サッカー部のお二人。ああいう時に何とかなる方法知らない?」

 サッカーと言えば、シュートやドリブル以外の高度な騙し合いもテクニックの一つだ。審判への抗議の経験や知識もあるだろう。

「いや……さすがにもうカード出てるし……」

「だよな……」

 藁にも縋る思いで助けを求めた一矢だったが、サッカー部でもどうしようもないようだ。

「もしかして私に当たったのは偶然?」

 審判の言い分に納得がいっていない菜々羽を見て、紗月が呟く。

「多分そう。一種の才能だよな」 

「ちょっと貴方達!なんでそんなに冷静なんですか!?」

 第三者目線で感想を述べている二人に対し、菜々羽が外野から噛みつく。

「いや、むしろ尊敬してる」

 驚きも冷静も通り越し、もはや一矢は菜々羽を尊敬していた。野球を嗜んでいた彼からすれば、何をどうしたら後ろにボールがいくのか見当もつかない。彼女の手首は回転式なのだろうか。

「どうしましょう……私、あっちのコートの人から“次こっちに投げたら退場だ”って言われてしまって……」

 ボールを持った菜々羽が「うぅ……」と唸る。

「どうしたもんか……」

 一矢も腕を組んで唸る。

「あの~……そろそろ投げてくれないと、遅延行為でイエローカードに……」

 こちらの試合の審判が、おずおずと菜々羽に向かって告げる。

「そんな!決して故意ではないんです!ちょっとコントロールが悪いだけで!」

 ちょっとどころではない。壊滅的だ。

「ちなみに、祠堂は別の審判からもイエロー貰ってますけど、累積されるんですか?」

 一矢が審判に尋ねると、審判の女子は申し訳なさそうに頭を下げた。

「ええと、前例が無いので何とも言えないですが……おそらくは……」

 こちらの審判のカードと、向こうの審判のカード。計2枚でレッドカード、退場。

「それはマズイ!このままじゃ不戦敗だ!」

「か、一矢!このままじゃ私、残金20イェンの女になってしまいますわ!」

「もうなってるよ!どうすれば……!もういっそのこと相手コートにボール置いたら……いやダメだ、こっちが不利すぎる!」

 一矢は頭を両手で抱える。本気部が不利になるイメージばかり湧いてくる。ボールを前に投げられない人間を抱えて、勝てるわけがないだろう。

「後ろ向いて投げれば?」

 その時、紗月がぽつりと言った。

「どういうことだ、紗月」

「そのままの意味。私たちに背中向けて投げれば?そうすればこっちのコートに飛んでくる。あと、なんだかんだ強いボールは投げられるんだし」

 そう言って紗月は、少し赤くなった自分の鼻をさする。先ほど顔面に受けたボールの衝撃を思い出しているのだろう。

「……なるほど、そうか!!」

 一矢はパン、と手を叩く。後ろに飛ぶならば、それを利用すればいいだけのことだ。“ボールは前に投げるもの”という固定概念を持つ一矢には考えつかなかった。

「今の聞いただろ、祠堂!あっちのコート向いて投げろ!」

「え、ほ、ホントですか!?けど、次あっちの審判のカードが出たら……いえ、やるしかないです!」

 こちらの審判は既に唇で笛を挟み、胸ポケットに手を入れている。遅延行為でイエローを出すつもりだろう。もう考える猶予はない。

 菜々羽はこちらのコートに背を向けた。後ろのコートの審判が、それを見て明らかに焦りの表情を浮かべた。先ほどイエローカードを提示したときは厳しい顔つきだったが、今は「やめろ!早まるな!」と叫んでいる。

「いきます!」

 菜々羽は別のコートに向かって助走をつける。外野にいた男子生徒がそれを見て、突然のことに固まる。

 そしてボールを振りかぶり、投げた。

「え、ちょっ!?」

 そのボールは、真っすぐに“背後の”サッカー部のコートに向かっていった。勢いのある球はギュン、と一人の生徒に向かっていく。

 普通ボールを投げるとき、人は狙いを視線で定める。つまり、投球者の目を見れば誰を狙っているかの予測がつく。

 しかし菜々羽のそれは全く違う。相手からすれば、誰を狙っているかがほとんどわからない。そのため、避けようにも反応が遅れる。そしてその遅れは、バドミントンコート程度の広さしかないこのドッジボールにおいて致命傷になる。

「くそっ!」

 何の変哲もないフォームから真後ろに放たれた意味不明な投球にサッカー部の体は固まる。ボールは手に当たり、地面に落ちた。

「ど、どうなりましたか?」

 菜々羽がコートの方を向く。

「アウトにしたぞ!祠堂!」

「え、本当ですか!?」

 菜々羽は目を丸くする。そんな彼女を悔しそうに見つめながら、アウトになった男子生徒が外野に向かっていく。

 それを見て菜々羽はにんまりと笑い、両手を腰に当て、胸を反らして高らかに声を上げた。

「おーっほっほっほ!!これが祠堂菜々羽の実力ですわ!!」

 普段の部活であの高笑いをされると悔しくて憤死しそうになるが、今日の彼女は仲間だ。とても頼もしい。

「よし、勝てるぞ!3万イェン!」

「3万イェン!」

 現金な掛け声と共に、息を吹き返した本気部。終わってみれば1試合目は完勝であった。

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