第3話:開幕、なお劣勢
「気ぃを取り直してぇい!」
場所はFグラウンド。一矢と紗月に連れられてからも咽び泣いていた菜々羽だったが、ようやく泣き止むと大きな声を出した。まだ競技は一切始まっていないのに、既に体操服が土で汚れている。
「私たちの目的は優勝です!生活のために、何としても賞金を手に入れなければなりません!」
菜々羽は拳を握る。残金20イェンの女の言葉には重みがある。
「ああ、わかってる。それについては同意だ」
いつもは大概対立している2人だが、今日ばかりは金のために結託していた。
「ドッジボールの人、コートの割り振りはこちらですー」
運営委員がキャスター付きのホワイトボードを運んできた。コートの割り振り、試合のスケジュール、順位表が書かれている。この球技大会、どの競技も予選はリーグ戦形式で進んでいく。そしてそれぞれのブロックで1位のチームが決勝トーナメントに進み、優勝チームを決めるという流れだ。
本気部の3人はホワイトボードに従ってコートに向かう。相手チームは既にコートのエンドラインに並んでいた。男子3名のチームで、どうやらサッカー部の連中のようだ。笑顔で談笑している。彼らは随分とリラックスしているようだ。
ざっ、と土を蹴る音を鳴らして本気部がエンドラインに並ぶ。
「さて……私達の相手は彼らですか……」
「ああ、楽しみだ」
菜々羽と一矢は相手の3人とは明らかに目つきが違っていた。菜々羽は顎を引き、下からガンを飛ばすように相手を睨みつけている。一矢は逆に顔を上げ、見下ろすようにして相手を気迫で飲み込もうとしている。遊びの要素はどこにもない。
「なあ、ちょっとあいつらヤバくねえか?」
「目が獣だよなあれ……もしかして俺ら食われる?」
朗らかに笑顔を浮かべていたサッカー部だったが、一矢と菜々羽を見て震えていた。彼らとてサッカーという勝負の世界に生きる者。今日の校長の檄に発奮していたし、互いに気迫をぶつけ合う機会はこれまで幾度となくあった。そんな人間が、本気部の2人に圧倒されていた。背後の空間がオーラで揺らいでいるようにすら見えた。
「けど一番怖いのあの人だよな……」
「ああ……」
しかしサッカー部が最も恐れていたのは、紗月だった。猛獣のオーラを間近で受けているにも関わらず、彼女はただぼんやりと中空を見つめていた。何を見て、何を考えているのかサッパリわからない。それが逆に、まるで廃墟にポツンと置かれたテディベアのような不気味さを感じさせた。
ちなみに紗月はこの時“ある作戦”を考えていたのだが、それを知る者はいない。
「それでは第1試合を始めます!礼!」
審判の言葉に合わせてエンドラインに並んだ6名が頭を下げ、「お願いします!」と挨拶。
文字通り、本気部の生活を賭けた球技大会が始まった。
「よし、それじゃあ打ち合わせ通り、私は外野に行きます。一矢と紗月、頼みました」
「ああ、頼んだ」
「行ってらっしゃい」
菜々羽は相手コートのエンドラインの外に立つ。内野には一矢と紗月が入る。
某高校球技大会のドッジボールはルールこそ一般的だが、明らかな特色がある。まずはコートの広さだ。試合のスピードアップのために、かなり狭く設定されている。バドミントンコートくらいしかない。一般的な広さであればコートを走り回って相手のボールを避けることが可能だが、ここでは難しい。飛んでくるボールに対して反射で対応する必要がある。
両チームの配置が終わったところで、審判がボールを持ってコートの中央にやって来る。ドッジボールはバスケットボールと同じように、最初はジャンプボールで始まる。
「じゃ、私行ってくるね」
「頼んだ!」
ジャンプボールには、本気部一の高身長を誇る紗月が行く。相手のジャンパーと比較しても、頭一つ分は違う。彼女ほどこの役割に相応しい者はいないだろう。これも、本気部がドッジボールを選択した理由だ。
ピッ、と笛が鳴り、ボールがコート中央に上げられる。相手は精いっぱいジャンプしたが、紗月はぴょん、と縄跳びのように跳ねただけで先にボールに触れた。そのままボールをはたき、本気部側のコートに落とす。
「ナイス!」
一矢は紗月に親指を立てる。それに対し紗月はVサインを示した。
ボールを拾う一矢。一気呵成に攻めたいところではあるが、ジャンプボール後はジャンパーに攻撃することは出来ない。すると必然的にジャンパーでない敵はこちらの攻撃を警戒するため、アウトにするのは難しい。ここは外野に渡すべきだろう。
「祠堂!」
一矢は右手でふわりと外野に投げる。やや放物線を描き、ボールは菜々羽の元へと向かっていく。胸で受け止めるには少しだけ高いが、後ろに下がるなり体を反らすなりすれば問題なく捕球できるだろう。
「任せてください!私がアウトにしてみせ……ふぎゅっ」
と意気込んでいた菜々羽だったが、ボールは彼女の両手の間をすり抜け、顔面に直撃し、相手コートに転がった。
「……」
球技大会開幕戦。やや浮ついた空気だったコートが、真空のようにシン……となった。当然ながら本気部は絶句していたが、相手のサッカー部ですらもコート内に落ちたボールを見つめて唖然としていた。
今のは、何だ。
一矢はそれほど難しいボールは投げていないつもりである。ちゃんと放物線の先が菜々羽の体の正面に落ちていくようにしたつもりだ。ボールの勢いも、擬音で表すとすれば“ぽーーん”だ。絶対に“シュッ”でも“ビュン”でも“ギュン”でもない。
しかしボールは菜々羽の両手の間をすり抜け、顔面に直撃した。そして現在、彼女はノックアウトされたボクサーのように、グラウンドに仰向けでひっくり返っていた。
「お前……」
一矢が思わず、といった感じで口を開く。
「さては球技苦手かァーッ!!」
彼の絶叫を皮切りに、本気部は劣勢になった。
サッカー部の1人がコート内のボールを拾う。本気部の外野が機能していない以上、彼らにとっては圧倒的なチャンスである。
「紗月!相手が攻めてくるぞ!」
一矢は警戒し、ボールに反応する準備をする。足元や顔面周辺のように難しいボールは回避し、可能であれば捕球する構えだ。
「……わかった」
紗月も構える。彼女は一矢から見て右前の位置にいる。
「おい、どっち狙う?」
「一旦あの男子だ」
「OK!」
サッカー部が短く打合せし、一矢に狙いを定める。テンポの速いチームスポーツをやっているだけある。意思疎通の手際の良さが光る。
サッカー部が振りかぶり、一矢に向かってボールを投げる。一矢の肩くらいの高さだ。胸で受け止めるにはやや高い。手だけで取ろうとすると弾いてしまい、アウトになる可能性がある。ここは避けておくべきだ、と一矢は直感した。
「させないっ!」
「んぐっ!?」
しかし一矢とボールの間に、紗月が割り込んだ。彼女は盾になるように一矢を抱きしめて、叫んだ。
「母として、息子を危険に晒す真似はさせないっ!」
「ドッジボールで自分から当たりに行くなァーッ!!」
紗月の体越しに、ドン、という衝撃が一矢に伝わる。背中に当たったのだろう。
「一矢君」
紗月は一矢から離れると、目を細めて彼を見る。悲し気な、しかしどこか清々しさを感じる視線だった。
「ダメなお母さんでごめんね。けど親として、この命に変えてでも一矢君を守りたいっていう気持ちだけは本物。最期に貴方を守れて、本当に良かった……」
「これドッジボールだよな!?実は映画の撮影してたとかないよな!?」
「私にとっては、一矢君との一瞬一瞬がクライマックスだから」
「それはありがとう!!けど今日だけは普通にドッジボールさせてほしかった!!」
一矢の賞金獲得の夢が、また遠のいた。
「あ、あの……アウトなので外野に……」
2人のやり取りを見ていた審判が、おずおずとやってくる。
「す、すいません!紗月、外野に!」
「うん、わかってるわかってる」
そう言うと、紗月の体が震え始めた。
「……ん?どうしたんだ紗月?」
不自然に思った一矢が尋ねる。よく見ると、震えているのは彼女の体ではなく、体操服である。何やら、ビリビリという繊維のようなものが引き裂かれていく音も聞こえる。
「え、何、その服どうなってんの!?」
「はっ、こ、これは、ボールが当たった衝撃で、いやーっ」
完全な棒読みで紗月が叫ぶ。そして自分で自分の体を抱くようにする。
その直後、紗月の体操服が文字通り弾けた。まるで昔の変身アニメの少女のように、ビリビリと。
「え!?ちょっと、え!?」
一矢は思わず手で顔を覆った(指の間からしっかり紗月を覗いていた)。
そして、紗月は変身した。
胸までしか隠れていないシャツと、ブルマ。夜の体操服フォームになっていた。
「きゃーっ、何て事、ボールが当たったせいで体操服が破れてしまったわー」
「どういう事だァーッ!!!」
一矢の絶叫は、ドーム2個分のグラウンドに響き渡ったという。
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