本気部

第1話:檻が必要だ

 一矢と菜々羽の停学期間は、何事もなく終わった。

 反省文さえ書いてしまえば、あとはほぼ休みのようなものだった。その間に反省するのが停学の主な目的ではあるが、バックネット破壊の実行犯ではない一矢にとって、反省することはなかった。大変なことがあったとすれば、「行く意味ないから」と言って彼の部屋に四六時中留まろうとする紗月をどう学校に行かせるかで苦労したくらいだろうか。

 停学が明け、一矢は何事もなく授業をこなした。そして放課後である。

「行きなさい3番!そこからスパート掛けるの!」

 1-Aの教室。一矢の背後の席でグラウンドを見下ろし、菜々羽が叫んでいた。彼女の目線の先にはトラックを駆ける8人の競人けいじん部員がいた。

 競人けいじん部とは、言ってしまえば某高校の陸上部である。今行っている800メートル競争も日々の練習の一環である。しかし、陸上部ではなく“競人部”である。何故そのような名称か。それを説明するには、某高校の通貨から説明しなければならない。

 某高校では、“イェン”という通貨が使われている。相場は円と同じで、1円=1イェンだ。イェンは、生徒各人の自立という大目標を軸に、社会に出た際の金銭感覚を養うために某高校が設けたものだ。それにより学校全体で経済活動が行われることとなり、某高校生徒は勉強だけでなくビジネスや投資を学ぶ機会を持てるようになった。

 しかし、話はそう簡単ではない。

 競人部がなかった時代、某高校には様々な賭場が堂々と立った。ポーカー、麻雀、チンチロリン、花札……上げればキリがない。テストの点数の良し悪しにイェンが掛けられていたほどだ。結果、生徒は自分の暮らしのために度胸と知識を身に着け、某高校は自然と優秀な生徒を排出するようになった。とはいえ、いかに自由で自由な校風を掲げていたとしても、無法地帯を作りたいわけではなかった。そこで教員たちは“校営ギャンブル”を作り出した。

 それにより生まれたものの1つが競人である。競人部の日々の練習では、時折メインレースが設けられる。部員以外の生徒達は皆、そのレースの結果について、合法的にイェンを賭けることが出来る。予想が的中すればオッズに応じた払い戻しがあり、外れれば何もなし。競人部員はレースのランクと着順に応じ、賞金を受け取る。要は、競馬の人間バージョンである。

 そして今行われている“卯月賞 うづきしょう ”は、1年生のトップ層限定のレースだった。将来を感じさせるフレッシュさとレベルの高さが相まって、1年生クラスの3代レースの1つと言われていた。

「あ゛ーっ!!!」

 4番、7番、2番とゴールした瞬間、菜々羽は頭を抱えて絶叫した。本気お嬢様が暴走するのはいつものことだが、今日に限っては騒いでいるのは彼女だけではない。教室を見渡せば他にも頭を抱えている者や、ガッツポーズして小躍りしている者もいる。とりあえず、菜々羽が予想を外したことはよくわかった。

 一矢は自分の直接的な実力があまり介入しないギャンブルは好きではない。だから全く賭けていなかった。賭けていたら当たっていたかもしれない、とは思うが、床に転がって悔しがる菜々羽を見ているだけでとりあえず楽しめていた。

「一矢君、私当たった」

 一矢の隣でレースを見ていた紗月がスマホを見せてくる。彼女は1着、2着、3着を当てる“3連単”という、難しいが当たった時のリターンが大きい賭け方をし、見事的中したようだった。

「おー、おめでとう。いくらだ?」

「3万イェン」

「凄いな、めっちゃ当たったじゃん」

「うん。後で一矢君の口座に振り込んどくね」

「新手の詐欺みたいなこと言うな」

「詐欺じゃないよ、本気だよ」

「むしろそっちのが困る」

「そっか。じゃあ3万くらいのアダルトグッズ送るね。さすがに全身は無理だから、次は……」

「やめろ!!わかりました、ありがたく3万イェンいただきますから!」

「やった」

 右手でピースをする紗月。

 一矢は3万イェンを何の前触れもなく貢ごうとする彼女の思考回路に恐怖していた。

「う、うぅぅ……」

 一矢の背後の席にいる菜々羽は、ボロ雑巾のようによれよれの状態だった。

「……外れたんだな」

「……」

 無言で頷く菜々羽。

「いくら?」

「……5万」

 そりゃ床も転がるわと、一矢は納得した。

「ちなみにどんな賭け方したんだ?」

「3番1着に5万」

「なんとまあ……」

 豪快な賭け方ではあるが、外れたときのリスクが大きすぎる。

「1着から4番、7番、2番じゃかすりもしてないな……」

「あ゛ーっ!!!」

 再び菜々羽は床を転がった。

 イェンは月の始めに3万振り込まれる。それ以外には放課後に学外で奉仕活動をすることによって稼ぐことが出来る。1回の奉仕活動で稼げるイェンは大体2千イェンなので、5万の損失はあまりに大きい。

「今回の負け分は次の某ダービーで絶対取り返してやりますわー!!」

 某ダービーとは、1年生クラスで最も名誉あるレースである。観客が盛り上がるのは勿論、このレースで燃え尽きるほど本気で臨む競人部員も少なくない。

 またしても頭を抱えて床を転がる菜々羽の姿が脳裏に浮かんだが、彼女の精神的健康のため、一矢は何も言わなかった。

「……はあ」

 ひとしきり転がったあと、菜々羽はエンジンが切れたようにため息をついた。

「部室欲しいな」

「唐突だな」

「欲しいでしょう?」

「どっちでも。というかおれ達って何部なんだ?」

「……さあ?」

 床に転がったまま、菜々羽は両手を広げた。

 先日、散々に部活に入れと誘ってきたのは菜々羽の方だったのだが、“部活をする”ということ以外何も考えていないらしかった。

「まあ、おれは別に何部でもいいけど……」

 しかし、そもそも部室など必要だろうか。放課後は施錠時間まで教室を使える。今も何名かのクラスメイトが机を合わせ、おしゃべりやゲームに興じている。おれ達もそのやり方ではダメなのだろうか。

 そこで一矢は部室が無い場合に何が起こるかをイメージする。間違いなく菜々羽は今日のように騒ぎまくるだろう。紗月は紗月で何をしでかすかわからない。

 さすがに公衆の面前で2人の相手はしたくない、と一矢は思った。かれこれ入学してから日が経ち、菜々羽や紗月の奇行は日常となった。が、だからと言って周りの目が気にならないわけでもない。毎日毎日床を転がられるのは困る。彼女達を隔離できる檻が必要だ。

「細かいことはさておき、とにかく書類を書いて部を作りましょう!」

「へい」

 菜々羽に一矢がついていき、一矢に紗月がついていく。グラウンドでの野球対決以来、3人はおなじみのメンバーになりつつあった。ちなみに、一矢は既に菜々羽や紗月と同レベルの人間だと認識されているが、彼はそれに気が付いていない。

 職員室に入り、3人は自分たちの担任の席に向かう。

「あら、どうしたの?」

「私たち3人で部活動を作ろうと思っていて、その書類を貰いに来ました」

「あー……」

 担任は苦笑いを浮かべる。先日までの騒動を思い返しているのだろう。

「……けど、部活動立ち上げの担当は私じゃないの。光森先生にお願いしてね」

 担任は、自分の右斜め向かいにいる女教師を指した。

「わかりました。失礼します」

 担任の元を離れ、光森という教師の席に向かう。「厄介事を押し付けられてよかった」と担任が安堵したように見えたが、おそらく気のせいではないだろう。職員室の教師たちが一矢達に向ける視線は厳しい。というか少し怯えている。一人はテロリスト、もう一人は校舎から飛び降り刀を振り回した者。誰だって怖いと思うだろう。なお、教師たちの間では一矢が彼女達を従えている黒幕ではないかという認識なので、一番の恐怖の対象は一矢だったりする。

「光森先生」

 菜々羽が黒いトレーニングウェア姿の女性に声を掛ける。髪型はショートボブ。顎は細く、線を引いたような目尻と眉が特徴的で、印象としてはシュッとしたやや怖めの美人といったところだろうか。

「ん、お前はテロリストじゃないか」

「えっ、違います!」

「その通りだよ」

「その通りです」

 反射的に否定した菜々羽を、反射的に一矢と紗月が否定した。

「ちょっと貴方達!変なところでチームワークを出さないで!」

「何言ってるんだ!部活作ろうとしてんだから、チームワーク発揮するのは当然だろ!」

「こんなタイミングで乗らないで一矢!」

 菜々羽はわざとらしく咳ばらいをした。

「光森先生。私たち、部活を作りたいんです」

「部活?それは構わないけど、何をするんだ?」

「え、何を?えっとそれは……一矢が答えます!」

「急に話を振るな。お前が言い出したことだろ」

「ぶ、部長命令です!答えなさい部員一号!」

「最悪な部長だ……」

 ただこのままでは話が進まない予感がしたので、一矢は答えることにした。彼としても、菜々羽と紗月を幽閉するスペースは欲しい。

「おや、君は……」

「あ、はい。佐山一矢と言います。その、おれ達は本気になれる場所が欲しいんです。スポーツでみんな一緒に頑張るとかじゃなくて、毎日個人同士で勝負できるような、そんな部活が。そうすることで、今後社会に出たときに通用するような度胸と、勝負勘を身に着けたいと思っています」

「なるほど……?」

 まともそうに聞こえるようにしつつ適当に一矢は話したが、光森は顎に手を当てて何かを考えている。

「……まあ、自由を校風に掲げる某高校だ。別に止める義務はないし、空いている部屋もある。問題はない」

 すんなりと通った。こうやって学生に自由を与えてくれるところは、某高校の良さなのだろう、と一矢は感じた。

「本当ですか!」

「けど部活を作るからには顧問がいるぞ。当てはあるのか?」

「え?」

 菜々羽がぽかんと口を開ける。ふむ、全く考えていなかったらしい。

「あと、ギャンブルは校営以外禁止だからな」

「なっ……!?」

 一瞬狼狽した菜々羽に対し、光森が眉をひそめる。

「どうしたんだそんなに狼狽えて。賭け事は好きか?」

「そ、そんなまさか!わたくしのようなレディがギャンブルなどたしなむとお思いで?おほほほほ……」

「4-7-2」

「あ゛ーっ!!!」

 菜々羽が奇声を上げて床に転がった。

「お前!職員室!」

 一矢が止めに入るが、収まる様子はまるでない。

「どうしたんだそんなに暴れて。ほらほら、よん・なな・に」

「あ゛ーっ!!!」

 光森が囁く。菜々羽は注射を打たれた子供のようにジタバタしていた。

「職員室だぞお嬢様!場をわきまえろ!」

「5万がー!!」

 菜々羽に一矢の声など聞こえていない。ゴロゴロと転がりまわり、教師たちが座っている椅子を次々となぎ倒していく。

「アーッ、先生方マジですいません!よくしつけしておくんで、とりあえず今日は帰ります!紗月、腕持て!」

「らじゃー」

 一矢が膝裏を、紗月が両肘を持ち、なおも暴れようとする菜々羽を職員室から連行していく。やはり部室が必要だ。こんな気性難を野に放つわけにはいかない。

「お邪魔しました!」

「待て!佐山一矢。君に話がある」

 椅子から立ち上がり、光森が一矢を呼び止めた。彼は思わず足を止める。

「え、おれ?」

「殺気!」

 紗月が目を見開き、光森と一矢の間に勢いよく割り込んだ。

「オワァーッ!!」

 突如両腕を放り出された菜々羽は、ブリッジの要領で床に手をつき、何とか頭から落下することを堪えていた。

 うんうん唸っていてうるさいのは相変わらずだが、これなら暴れることは出来ない。そう悟った一矢は、あえて菜々羽を放置することにした。

「女教師……一矢君を誘った」

「誘った!?」

 クールな印象の光森だが、紗月に突然そう言われて困惑する。

「私が一矢君を見るときの視線だったから、わかる」

「そんな目でおれを見てたのか……」

「アハン」

 紗月が手のひらを頬に当て、誘うように一矢を見た。が、相変わらずのポーカーフェイスなので本気でやっているのか冗談でやっているのか、彼にはさっぱりわからなかった。

「勘違いだ!私が彼を見ていたのは、そんなことが理由ではない!」

「え、じゃあそういう……ああ、なるほど……」

「何を理解した!?とにかく、私は彼に大事な用がある!」

「大事な用!?泥棒猫に私の大事な息子は渡しません!」

「話が進まん!」

 光森は険しい顔で机を叩いた。

「(その気持ち、よくわかります)」

 一矢は光森に対し同情していた。

「とにかく佐山君、大事な話がある」

「……はあ」

 一矢は上半身ブリッジ状態の菜々羽の膝裏を持ったままであったが、光森は意に介すことはなかった。

「私は光森美穂。某高校野球部の顧問をしている。先日、君とそこでブリッジをしている祠堂さんの勝負を見ていたんだ」

 以前、菜々羽と一矢は野球で勝負をした。菜々羽が500キロのボールを射出するバッティングマシンを持ち込んできたが、一矢は紗月と協力し、減速したボールをホームランにしたのだった。

「あのとき、確かにボールは遅くなっていた。しかし目測ではあるが、おそらく140キロは優に超えていた。そしてそれを君はホームランにした」

「……」

 嫌な予感がした。

 この話の流れで、光森が何を言ってくるか、一矢は見当がついていた。

「佐山一矢君。お願いだ、野球部に入ってくれないか」

 やはりか。一矢はため息を吐いた。

「その……言いづらいんですけど、おれもう野球をする気はなくて……」

「何!?」

 光森は目を丸くした。

「あ、あれだけのバッティングが出来るのに、野球をしない!?」

「はい……まあ、色々ありまして」

「女子にモテるぞ!?」

「いや……大丈夫です」

「え、ええと、そうだ、私をあげるぞ!?」

「何言ってんすか!?」

 “怖めの美人”、“クールな印象”とはかけ離れたとんでもないことを生徒に言う女教師。

「一矢君」

 ぽん、と一矢の右肩が叩かれた。紗月だ。カチン、カチンと何かを開けて閉じる音が反復して聞こえる。刀だろう。

 その時一矢は戦慄し、震えた。

 回答によっては、首が飛ぶ。

「いりません!」

「いらない!?」

 必死の頼みを断られた光森は、頭を殴られたようにのけぞった。よほどショックだったのか、背中が見事なアーチを描いている。

「一矢君、走って!」

「あ、了解!」

「は!?ちょっと貴方この状態で、オワァー!!」

「しまった!」

 紗月の的確な指示により、一行は駆け足で(1名はブリッジ手押し車で)職員室を後にしたのだった。

「やられた……」

 一矢たちがいなくなってから、光森は椅子にドスンと腰を落とし、頭を抱えた。

 実は某高校野球部は強い。毎年県大会のベスト4には残り、決勝に行くことも少なくない。

 しかしまだ甲子園に出場したことはなかった。毎年、あと一歩が足りない。部員の涙を見るたびに、次こそはと光森は闘志を燃やしていた。

 そこに現れたのが、一矢だった。140キロオーバーの球をバットに当てるだけでなく、ホームランに出来る打撃力。甲子園の最後のピースが彼だと、光森は思っていた。

「必ず、野球部に……」

 要するに、再び一矢の追い回される日々が始まったのだった。

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