第2話:バットはボールを打つもの
「くそっ、いない……!」
昼食後の授業を全てすっぽかして菜々羽を探した一矢と紗月だったが、見つからなかった。
NANIGASHI RADIO放送後にまず放送室に突撃したが、既にもぬけの殻。放送用機材には音楽再生プレーヤーが繋がれているのみだった。放送時、既に菜々羽はいなかったのだ。テロの現行犯で逮捕された時と比べ、成長したらしい。
そして現在、彼らはグラウンドにいた。校内に菜々羽の姿が見えなかったためにこちらを探していたのだが、図らずも菜々羽の一方的な勝負に乗る形になっていた。
「おーっほっほっほ!!この私がそう簡単に捕まるとお思いで?」
グラウンドに高笑いが響き、どこからともなく現れた菜々羽が、堂々とした足取りで近づいてきた。
「おいお前!言いたいことは色々あるけど、とりあえず説明しろ!色々と!」
「おやおや?何を言っているかわかりませんよ、佐山一矢。何をどう説明してほしいか、ちゃんとおっしゃっていただかないと」
「……」
一矢はキレそうになっていた。癇に障る態度もそうだが、自分の墓場まで持っていきたい秘密を話されたのだ。心中穏やかなわけがない。
「一矢君。アイツどっかに売り飛ばそうと思うんだけど、どう?」
「真顔でとんでもないこと言わんでくれ。怒り消えたわ」
「けど、アイツそれくらいのことしたよね」
「……まあ、そうだな」
相変わらず勝ち誇ったように高笑いしている菜々羽に一矢の視線が向く。怒りは消えたとて、彼女の鼻っ柱をへし折ってやりたい気持ちは未だ燃え滾っている。
「おい祠堂、勝負受けてやるよ!ぶっ倒してやる」
「その心意気や良し!さあ、バッターボックスに立ちなさい!」
菜々羽がバックネットの前にあるホームベースを指す。ご丁寧に金属バットが1本置かれ、白線でバッターボックスも書かれていた。
一矢は小、中学生時代に野球をしていた。それなりに強いチームに所属していたので、このスポーツについては多少自信がある。
だからこそ、マウンドの近くに菜々羽が立っているのを見て不審に思った。まさか彼女がピッチャーをやるのだろうか。過去に野球をしていた可能性もあるが、そんな風にはとても見えない。第一、グローブもボールも持っていない。どうする気なのだろうか。
「ふふっ。当たり前だけど、私が投げるわけじゃない」
「じゃあどうするんだ?」
「こうするの!」
菜々羽が指を鳴らす。するとピッチャーマウンドが左右に割れた。
「は!?」
一矢は自分の目を疑った。しかしモーゼが開いた海のように、土の山が割れた。
そして地中から、人の身長ほどある大きな機械が現れた。ホールケーキのような円形のパーツが縦に2つ並んだそのマシンは、一矢にとってなじみのあるものだった。
「バッティングマシン……?」
「そう!私が停学中に何の準備もしていないとお思いで!?貴方に勝って、部活に引き込むための準備をしていたんです!」
「いやまずは反省しろよ」
先日、菜々羽は男装までして一矢の部屋に来て、彼の得意なことを聞いて帰った。あのときの「私の停学が終わる一週間後を楽しみにしていてください!」は、このことだったのだ。
「けど一矢君も舐められたものね」
紗月がマウンド上の菜々羽に啖呵を切る。
「この人、小、中で4番やってた強打者。ただのバッティングマシンで抑えられると?」
「舐めてるのは上村さん、貴方のほうです。いいでしょう、このマシンの凄さを見せてあげます。……準備!!」
「はっ!」
菜々羽の号令でどこからともなく黒服の男たちが駆けつけ、てきぱきと準備をしていく。ボールを運び、マシンの電源プラグをマウンドの隣に置いた延長コードのコンセントに差し込む。
薄々感じていたが、どうやら本当に菜々羽はお嬢様のようだった。こんなことに付き合わされて、黒服達はどんな気持ちなのだろうか。
「スイッチ、入れます!」
黒服の男がマシンの電源をオンにする。円形パーツが高速回転し始める。今回菜々羽が持ってきたバッティングマシンは、2つの円形パーツの間から押し出すようにしてボールを射出するタイプのものだ。射出口までは、ボールを送るために筒のようなレールが取り付けられている。
「さてお二人!このマシンがいかに凄いか、デモンストレーションをして差し上げましょう!」
「はあ……」
一矢はバッターボックスにぼんやりと立つ。凄いと言うが、どう凄いのだろう。球速だろうか。中学野球は140キロを超えたら殿上人の世界だった。さすがに160キロの対応は難しいが、果たして。
「いきます!!」
菜々羽がボールをレールに流す。どうやらボールはゴムで出来た軟式ボールのようだ。仮にトラブルでデッドボールになったとしても、さほど問題はないだろう……
ドゴォン!!
しかしボールが発射された刹那、後方のバックネットから発せられたとてつもない轟音が一矢の耳に刺さった。
恐る恐る振り返る。
学校に設置されている野球用のバックネットは、鉄製の網と、それを支えるコンクリートから成っていることが多い。
彼が見たのは、粉々に砕け散ったボールの残骸と、着弾によって穴の開いたコンクリートだった。
「な、なんじゃこりゃあぁぁぁ!?」
いつの間にか集まっていたギャラリーも、揃って驚きの声を上げた。グラウンド全体がざわざわとする中、ただ一人、菜々羽だけは高笑いをしていた。
「おーっほっほっほ!!お楽しみいただけたかしら?このバッティングマシンの威力を!!」
「いやこれ大砲だ!兵器!」
「いいえ!例えどれだけの威力だろうと、ボールを発射している時点でこれはバッティングマシンです!異論は認めませんわ!」
「横暴にもほどがある!無効試合だ!」
「おやぁ?」
一矢の発言に対し、菜々羽はにんまりとした嫌な笑みを浮かべた。
「何だその顔は」
「いえいえ。けどおかしいですね。この前は“自分の得意なことは野球だ”なんて言ってたのに、ちょっと速い球を投げられただけで勝負を放棄するんですね、逃げるんですね」
「今のはちょっとどころじゃねえよ」
「そうですかそうですか。ではつまり、勝負から降りると」
その物言いに、ピキ、と一矢のこめかみが隆起した。
「まあ私は構わないですよ?“逃げていただいても”。けど貴方は相手の目の前で逃げるような、そんな人間なんですねぇ」
「おい」
普段よりも低いトーンで、一矢は菜々羽を呼んだ。
菜々羽はそれに驚いたのか、マシンの後ろに隠れた。
「な、何!?暴力はダメです!バットはボールを打つもの!」
「作戦タイムだ。いいな」
「あ、はい……」
菜々羽は一矢の剣幕に押され、その場で三角座りをした。
「紗月」
「何?」
普段なら「バッターボックスでの告白なんてキュンってする」などと言う紗月だが、この時ばかりは何も言わない。長年の付き合いから、一矢が本気の本気であることを察知していた。
「ちょっと耳貸せ。いいか……」
10秒ほど耳打ちをすると、紗月は「わかった」と頷いて一矢の元から去って行った。
「よし、いいぞ」
一矢が改めてバッターボックスに立つ。一度バットを肩に担いでから、その先端を上空に向けて構えた。
「な、何を吹き込んだか知りませんけど、打てるものなら打ってみなさい!私が勝ったら、貴方は私と同じ部に入ってもらいます!」
「わかってるよ。さあ、来い!」
菜々羽がボールをレーンの入り口に置く。ボールが転がり、高速回転する2つのパーツの間、射出口に向かっていく。
「打てるもんなら打ってみなさい!」
ボールが発射される。先ほどと同じく、ホームベースの上を通るように一直線に飛んでいく。
その時、一矢はこう思った。
余裕だな。
甲高いバットの音が響く。そして白球は放物線を描き、レフト側のフェンスを超え、校舎のガラスをぶち破った。
「……ふう」
それを見て、一矢は一息ついた。もうこめかみに力は入っておらず、穏やかな表情をしている。これ以上ないくらいにスカッとした。その気持ちを全身で味わっていた。
「え……?」
菜々羽は呆然と、白球を見送った。ガラスが割れた後も、無言で立ち尽くしていた。
「おい祠堂、良いこと教えてやる」
一矢は何の嫌味もなく、勉強を教える時のように静かに言った。
「打球が外野のフェンスを超えることを、ホームランって言うんだぜ」
「そんな……」
彼女の落胆に呼応するように、バッティングマシンのスピンが止まる。
グラウンドにいる生徒たちも呆然としている。
その場を、風の音だけが通っていった。
「……無効ですわー!!」
そして、その決着の余韻を粉々に砕くように、菜々羽がマウンド上で文字通りひっくり返った。
「無効ですわ無効ですわ!!どうして時速500キロが打たれるんですの!?」
「500キロ!?やっぱ兵器じゃねえか!」
「貴方、イカサマしたでしょう!?」
涙目になった菜々羽が一矢に詰め寄る。
「500キロのマシン持ってきた奴にイカサマとか……」
「いいから答えなさい!」
「わかったわかった」
どうどう、と菜々羽をなだめつつ、一矢は答える。
「……まあおれはイカサマなんてしてないぞ。おれはな」
「何ですか、その妙な言い方」
「いやあ、大事なことだからもう一回言うけど、“おれは”何もしてないぞ。ただ、多分あれが原因だろう、とは思うんだ」
一矢が指さした方向には、延長コードがある。
「……あ!」
そこに差し込んだはずのバッティングマシンのコンセントが抜けていた。それを見守っていたであろう黒服の男も倒れていた。
勿論それは一矢の指金である。勝負の直前、ボールがセットされる前にコンセントを抜くよう、紗月に指示をしていたのだ。今回菜々羽が持ってきたバッティングマシンは、電源が落ちてもしばらくは円形パーツが回転し続けるタイプだ。完全に止まってしまうとダメだが、回転が中途半端であれば遅いボールが射出される。一矢はそれを狙い打ったのだ。ちなみに、一矢がキレ気味だったことで彼に注目が集まり、紗月の犯行に誰も気づかなかったことも作戦が成功した要因である。なお、黒服がどのように倒されたのかは一矢も知らない。彼の無事を祈るばかりである。
「……卑怯者」
「500キロに言われたくない」
「その言い方!私の体重が500キロだと!?」
「ややこしい解釈するな!とにかくこれでおれの勝ちだ」
一矢はバットを担ぎ、その場を後にしようとする。
「待ってください」
それを菜々羽が引き留めた。
「なんだ、まだいちゃもんつける気か?」
「そんなことしません!……認めたくないですけど、もう結果は着きました。私も勝負師の1人。悔しさはありますけど、結果は結果です」
「じゃあ……」
「けど、だからこそ、私は貴方を仲間にしたい」
「私の目に狂いはなかった」と言い、菜々羽は一矢の両肩を掴む。
「貴方からは感じていました。全ての物事に本気で取り組む心意気を」
「……はあ」
「私は本気!」
突然大声を出されて一矢はビクリとする。まるで勝者と敗者が入れ替わったようだ。
「いや、おれ本気とか嫌いだから……」
「ダウトです」
菜々羽は断言する。
「私は見ていました。入学式では校長先生に、教室では上村さんに本気でツッコむ貴方の姿を。けど何より、さっきの表情。私に勝つためだけに知略を巡らせ、集中しきっていた。そして勝った貴方は今、とても良い気分のはずです。だって、そんな表情初めて見ましたから」
実際、その通りだった。
某高校に入って以来、一矢は最も良い気分だった。それが何故かは彼自身がよくわかっていた。
本気の相手に対して本気で勝ち筋を探して、見つけて、勝ったからだ。
「何より、貴方は勝ったのに私に何も要求していません。私は貴方を自分の部に入れるために、この勝負をしたのに。それは、私に勝つことだけに本気で集中していたからでしょう?」
「……それは、まあ」
それでも一矢は、本気が嫌いだと思っている。たかがホームランを打つためだけに、何千、何万本も素振りをして、ちょっとミスをしただけで怒鳴られるような、そんな本気はまっぴらごめんだ。
ただ自分自身、そうやって本気で取り組んで良い結果に繋がったときに大きな喜びを感じることも、自覚していた。
「今まで貴方を見てきたから、わかります」
「……お前、つい最近まで停学じゃなかった?」
「揚げ足取らない!もう!最後くらい決めさせて下さい!」
「はいはい」
1を打てば10の面白い反応が返ってくる菜々羽を、一矢は面白がっていた。
「貴方は、全てに対して本気であろうとする人。私もそう。だから私は貴方と毎日本気の勝負をして、毎日本気で楽しく生きたい。……改めて」
菜々羽は一矢に向かって手を差し出した。
「私と一緒に、部活をしましょう」
彼女の手をじっと見つめる。
本気は嫌いだ。しかし菜々羽との勝負には“ミスをしたら怒鳴られる”、“打たなければならない”という強迫観念的なものは何も無かった。“勝たなければならない”ではなく、“勝ちたい”という一心でバットを振った。
その時、一矢は自覚した。自分が求めていたのは適当に生きることではない。ペナルティなどなく、ただただ純粋にその一瞬に賭けられる、そんな場所だ。
祠堂菜々羽との“部活”に入れば、楽しく、刺激的な毎日が待っている。
「……わかったよ」
菜々羽の手を一矢は取った。
2人の手は、汗で濡れていた。それは、彼らが先ほどの勝負にいかに真剣に望んでいたかを表していた。
「一矢君」
ふと、一矢は肩を叩かれる。背後にいたのは紗月だった。
「さ、紗月!何だ!?」
また暴れ始めるのではないかと身構えたが、紗月の表情は至って冷静だった(当社比)。ロケランも刀も持っていない。
「か、上村さん!今私と一矢は和解しました!無駄な抵抗はやめてください!」
「あ、それはわかってる。私も同じ部に入ればいいだけだから。それよりも……」
さらっと大事なことを言ったような気がするが、紗月の関心は他のところにあった。
「あれ、どうするの?」
「あれ?」
紗月が指を差す先。
そこには、バックネットの土台に開いた、直径50センチほどの大きな穴があった。一球目、菜々羽マシンから射出された500キロのボールが穿ったものだ。
「……あ」
この一件で、一矢と菜々羽は3日間の停学となった。
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