第3話:ハニートラップではない
騒動から2日が経った。
あの日以来、一矢は平穏な日々を送っていた。突然ラブドールが届くこともなく、謎の解放運動に巻き込まれることもない。そもそもわけのわからないイベントが起こりすぎだが、当社比でまともな学校生活だった。
「はー……」
ベッドで横になり、天井を見上げる。夕食を済ませ、風呂にも入った。紗月もいない。後は寝るだけ。
コンコン。
ノックの音が鳴った。誰だろう、こんな時間に。
「はーい」
応答して、ドアを開ける。
「うん……?」
ドアを開けると、体操服を来た男子生徒がいた。一矢と比べて頭一つ背が低く、帽子を目深に被っているため、顔はよく見えない。しかし男子生徒にしては、何だか柔らかい印象を受けた。体型が横に大きいということではなく、何だかこう、全体的に丸みを帯びているというか。
「えっと、どちら様で……ちょっと!?」
その生徒は、一矢の横を強引に抜けて部屋に入ってきた。なんだ、押し入りか!?もしかして狙いは紗月ラブドールか!?欲しいならあげるぞ!
「おいなんだお前、うちにテレビはないぞ。集金ならよそに行け」
「しーっ!」
侵入者は人差し指を自分の唇に当てる。
「いや、なんでおれが指示されなきゃならないんだ。どこのどいつだ!」
「あっ!」
帽子のつばをつまみ、ひったくる。ふぁさり、と長い髪の毛が背中に流れた。隠れていた顔が露わになった。
「おま……祠堂!?」
「ちょっと、静かにって言ってるでしょう!」
「いや、そう言われても……!」
と、そこで口を噤む。先日紗月が来た時は、寮長を呼ばれて大変だった。ラブドールの演技で誤魔化せた(?)ものの、その後ラブドールが届けられて更に面倒なことになった。一矢としては、これ以上無駄な体力を使いたくない。彼は声のボリュームをギリギリまで落とした。
「……わかったよ。で、何しに来たんだよ。お前停学中だろ」
某高校において“停学”とは、登校停止だけでなく自宅謹慎の意味も含む。
「う、うるさいです。もう終わりました」
「んなわけないだろ……」
街頭演説にテロ行為まで犯した彼女の停学が、僅か2日のわけがない。
「ちなみにこの状況、おれに何されてもおかしくないぞ」
「……っ!ちょっと、最低……!」
狭い部屋に男女二人の状況を作った張本人の菜々羽は、自分の肩を抱くようにして後ずさる。
その様子を見て、一矢はため息を吐いた。
「……実は
「……?つつもたせ?」
美人局とは、要はハニートラップのことである。女が男を誘い、良い感じになったところで女の“本当の男”を名乗る人物が現れて金銭を巻き上げる……みたいなことである。文字通り、“筒”を持たせるのだ(正しい語源かは知らない)。
日常的に使われる言葉ではないが、知らない辺り、菜々羽にそういう目的はないのだろう。意味を教えたらまた面倒なことになりそうだったので、一矢はこの話題を止めた。
「で、要件は?」
「ああ、そう、私がここに来た理由!それは……」
と、菜々羽が何かを言おうとしたとき、キッチンの方から金属の網が叩きつけられたような音が響き、通気口から黒い影が現れた。
「貴様、ついに……!」
「かっ、上村紗月!?」
「紗月か……」
紗月だった。今日は刀ではなく、両手にスタンバトンを持っていた。
「人の旦那に舐めたことを……!」
30センチほどのスタンバトンにバチバチと電流を走らせながら、紗月は菜々羽に近づいていく。普段ポーカーフェイスな紗月の眉間に地割れのような険しい皺が走った。
「お、おおお落ち着きましょう!違うんです、私はこの男に誘われて……」
「何言ってんだお前!」
「そんなことはどうでもいい。貴様がこの部屋にいることだけで十分。一矢君が誰のことを好きだろうと構わないけど、一矢君のことを好きな人はこの世に私以外いてはいけない。これは法律であり、物理現象であり、運命!」
「は!?べ、別に私こいつのこと好きとじゃないですから……危ないっ!」
紗月の振り下ろしたスタンバトンがテーブルを直撃し、真っ二つになった。
「おれのテーブル!」
「大丈夫。明日から私がテーブルになるから」
「どうやって生活しろと!?」
「あ、貴方わけがわからない!」
パニックになった菜々羽が叫ぶ。心の中で、一矢もそれに同意した。
「一矢君、これは大事なことなの。一矢君の幼馴染であり、友人であり恋人であり妻であり妹であり姉であり母である私以外に、一矢君のことを好きな人がいてはいけないの」
「属性過多!」
「て、撤退!」
そう言うと菜々羽は転がるように部屋の窓を開け。窓枠に足をかけた。
「あ、佐山さん!最後に一つ!貴方の一番得意なことは!?」
「え……野球?」
「わかりました!私の停学が終わる一週間後を楽しみにしていてください!」
そう言い残し、菜々羽は窓から飛び降りた。
「あいたっ!」
どしゃっと落下した後、彼女は一目散に男子寮から去って行った。
「……ふう」
菜々羽が消えたのを確認すると、紗月はスタンバトンを背中のホルダーに収め、言った。
「悪は去った」
「いやどっちも悪」
「そんなあ」
ラブドールを売って、テーブルを買おうと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。