第2話:佐山一矢ヲ解放セヨ

 男子寮から校舎までは近い。3分もあれば着く。だからラブドールを一旦自室に押し込んだ後でも、一矢はゆっくりと朝食を摂って登校することが出来た。

 それにしても疲れた、と一矢はため息を吐いた。一日のスタートとしては最悪だ。

「うん……?」

 昇降口に菜々羽がいた。彼女は妙に周囲をキョロキョロして、靴箱に何かを入れようとしていた。

「あっ、佐山さん……!?」

 一矢と目が合い、菜々羽は目を丸くした。おはようも言わず、そそくさと靴箱に何かを入れると足早にその場を去った。

 もしかして、今朝のことで嫌われたのだろうか。

 まあそれも当然か。いくら紗月のせいだとしても、ラブドールと一緒にいるところを見られたのは事実だ。性的嗜好は迫害されるべきではないが、堂々とさらけ出していいものでもない。

 また一矢の口からため息が漏れた。入学翌日からこんな目に遭うなど、思ってもいなかった。まあ紗月をコントロールできるわけがないので、事故だと諦めるしかない。

 そう思って靴を脱ぎ、靴箱に入れようとした時だった。

 一矢の靴箱に、一通の封筒が入っていた。

「(あれ、もしかして祠堂はおれに用があったのか?)」

 一矢の心臓が一回跳ねた。先ほどの菜々羽の態度が、自分の姿を一矢に見られたのが恥ずかしくて逃げたように思えてくる。まさか……いや、もしかすると昨日の愛してるゲームがまだ続いている?その可能性もあるが……万が一と言うこともある。今時靴箱に封筒などベタ過ぎるやり方だが、ただのゲームの告白ですら悶えていた菜々羽だ。あり得なくはない。

 手紙を取り出し、周囲を窺う。幸いにも、一矢に注目している者はいないようだ。何が書いてあるのか、せっかくだから今ここで見たい。

 一矢は慎重に封を開け、中の折りたたまれた便せんを手に取った。

「……」

 ボールペンで、「私、____は祠堂菜々羽の部活に入ります」という文言が書かれていた。

 入部届だった。

 一矢はそれをそっとカバンにしまい、見なかったことにした。

「……ちっ」

「!?」

 どこからともなく舌打ちが聞こえ、一矢は弾かれたように辺りに目をやる。しかし周囲にいる生徒は一矢のことなど全く意に介していない。

「何なんだ一体……」

「おはよう、一矢君」

「うわっ!」

 突然背後から呼びかけられ、一矢の体が跳ねる。声の主は紗月だった。

「紗月か、驚かすなよ」

「そんなつもりは。それより何キョロキョロしてるの?スマホでHなサイト開きっぱなし?」

「何故その発想に至るんだ……」

 どうやら、封筒に関する一部始終を見ていたわけではなかったらしい。どう転んだとしても絶対ややこしいことになりそうなので、紗月には話さないことにした。

「ってお前!今日のあれは何だ!」

「あれ?私の今日のカップ数?」

「違うわ!」

「ヒップ?」

「でもない!」

「え、ウエスト?さすがにそれは……」

「価値観がわからん……耳貸せ!」

 周りに聞かれるわけにはいかないので、一矢は手招きする。

「ああ、そういうことか」

 紗月は何か合点がいった様子で、耳を一矢の口に近づける。

「いいか、今朝男子寮に置かれてた……」

「あっ、一矢君、私耳弱いの(棒読み)」

「話が進まん!」

「これも違うの?一矢君の考えてることわからない」

「紗月の方がよっぽどわからんわ……とにかく話を聞いてくれ」

 一矢は改めて紗月に耳打ちする。

「あのラブドールは何だ。おれはあんなもんねだってないだろ」

「あーラブドール!今朝私が一矢君に贈ったラブドール!」

「声がデカい!」

 周囲の生徒が何事かとこちらを向く。

「ラブドール……?」

「ラブドールってあの……?」

 視線が痛い。

 男子ならまだしも、女子にまで知られてしまうのはマズ過ぎる。

「は、ははは!全く紗月はお茶目だな!“段ボール”だろ、“段ボール”!はは、ははは!」

 適当なことを言って誤魔化しつつ、一矢は紗月の口を塞いでその場から逃げることにした。紗月の発言を許すと、いらんことが起きる。

「んー、んー」

「ほらほら、教室まで行こうか紗月!一時間目が始まるぞ!」

 そうして一矢は自分より頭一つ以上大きい紗月を教室まで引きずったのだった。1-Aの面々に朝から何をしているのかと引かれたが、ラブドールの件が大っぴらになるよりは断然マシだった。

「はあ……」

 席に着くや否や、一矢は席に突っ伏した。何故朝から肉体的にも精神的にも疲れなければならないのだ。

「一矢君、いくら私のことが好きだからって、無理やり連れ込むのはダメだよ」

「お前のせいでこうなったんだろ……」

 対照的に、紗月は息一つ乱していなかった。むしろ朝から一矢とイチャイチャできて嬉しい、とすら思っていそうだった。

「ちなみに、なんであんなの贈ってきたんだ?」

「え、だって昨日寮長の人に私のことラブドールって紹介してたから」

「で?」

「ラブドール欲しいのかなって」

「いらねえよ」

「えぇーっ」

 紗月は心底驚いたようだった。本気で一矢がラブドールを欲しがっていたと思ったようだ。

「おはようございまーす」

 教壇横のドアが開き、担任が入ってくる。気づけば、朝のSHRの時間になっていた。

「皆さん、昨日はよく眠れましたか?環境が変わると知らないうちに緊張しているものなので、休むときはゆっくり休んでくださいね」

「……うぅっ」

 担任の言葉を聞いて、一矢の目から涙がこぼれそうになった。彼女の優しさだけでなく、圧倒的な“普通さ”に感謝した。

 思えば入学式から今朝まで大変だった。「お前こそが高校だ」という謎の入学式、気が付くと自室に紗月と共にいて、それが寮長に見つかり、彼をやり過ごしたと思ったら今朝はラブドールが届けられた。おれはこんな高校生活を望んでいたわけじゃない。けど今のこの時間だけは違う。紗月は学校生活自体は優秀なタイプなので、SHRのときに絡んできたりはしない。一般的に苦痛と言われる授業時間が、一矢にとっては最大の癒しかもしれなかった。

「……あれ、そういえば祠堂さんがいませんね」

 担任が一矢の背後に目を向ける。一矢が振り向くと、確かに今朝見たはずの祠堂がいなかった。

「私の方に連絡はありませんでしたが……皆さん、何か知りませんか?」

 そう問われてクラスメイトが顔を見合わせるが、彼女の行方を把握している者は誰もいない。

「困りましたね。誰か……」

「あー!あー!某高校の諸君!」

 すると不意に、一矢の左側、グラウンドの方からバカでかい割には綺麗な声が聞こえてきた。

 何事かと思い、窓から身を乗り出す。

 グラウンドの真ん中に、ハチマキを着けて拡声器とプラカードを掲げた黒髪の少女がいた。

 祠堂菜々羽だった。

「何やってるんだアイツ……?」

「あー!あー!えーっと……おはようございます!私は祠堂菜々羽です!」

 何かしらの強硬策を実施しようとしている割に、律儀に挨拶と自己紹介をしていた。やはりお嬢様として受けた教育が彼女の根本にはあるのだろう。

「我々は……あ、今私一人ですが、我々は!佐山一矢の解放を要求する!」

「は?」

「佐山一矢は、上村紗月という悪の権化により、不当に拘束されている!彼女は佐山氏の自由を奪うことで、彼を我がものにせんとしている!佐山一矢に自由を!具体的に言うと、私とゲームをする自由を!」

「一矢君、何あれ」

「さあ……昨日紗月がボコボコにし過ぎておかしくなったんじゃないか」

 菜々羽と紗月は昨日一矢を賭けて(?)戦った。その結果紗月が強引に勝ったわけだが、菜々羽としてはそのやり方に納得がいかなかったのかもしれない。

「ううん、そうじゃなくて」

 紗月が一矢の背後に回り、腕を回して何かを彼の眼前に出した。

 それは、刀だった。

「おいおいおい何出してるんだ!?」

「一矢君。私はね、あなたが誰のことを好きだろうと、それを受け入れられるほどにあなたのことが好き。けどね、どこの馬の骨とも知れない女にホイホイと渡せるほど寛容じゃないし、傷つかないわけじゃないの」

 焦る一矢とは対照的に、紗月は普段通りの淡々とした調子で話す。その間、彼女は刀の鍔を親指の先で押して、光る刀身を彼に見せ続けていた。

「だから教えて。あの子は何?」

「な、何と言われましてもですね。私も昨日今日のことなので、何が何やら……」

「あの子は、何?」

「し、知らねえよ!何か今朝男子寮まで来たり、靴箱に謎の入部届入れられたりしたけどさ、おれも意味がわからないんだよ!」

「なんで教えてくれなかったの?」

「いやその……何となく」

「切り落とされたい?入れられたい?それとも両方?」

「待て、おれが悪かったよ!謝るから許してくれ!」

「……わかった。じゃあ今度お仕置きね」

 そう言うと、紗月は窓(3階)から飛び降りた。地上5メートルは優に超える高さだったが、両足だけで着地の衝撃を堪えると、一直線に菜々羽に突っ込んでいった。

「あ、来ましたね上村紗月!残念、これは最初からあなたをおびき出すための作戦です!さあ、昨日の借りを……え、刀?何で刀なんか持って……うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 拡声器で声をまき散らしながら、菜々羽は紗月から必死に逃げていた。その様を、一矢は遠目に見守っていた。

「あ、ええっと……あ、朝のSHR、始めますね……」

 祠堂菜々羽の演説などなかった。という暗黙の了解を、担任含めたクラスの全員が持っていた。

 紗月が1-Aに帰ってきたのは、SHRが終わったときだった。3階から飛び降りたのに一切の無傷だったのは勿論、1本だったはずの刀が2本に増えていた。

「逃がした」

 刀を担ぎ、獲物を取り逃がしたハンターのような顔つきをする紗月。

「……どこにツッコめばいい?」

「えっ?ちょっと一矢君ダメだよ。いくら私が魅力的で、一矢君が元気だからって、こんなところで“ツッコむ”とか……」

「あー悪い!おれが悪かった!今のなし!」

 どう文脈を切り取ったらそういう解釈になるのか、彼には理解が出来なかった。

「で、祠堂はどこ行ったんだ?」

「わからない。私も本気で追ったんだけど、逃げ足が速かった」

「よいしょ」と言って紗月は刀を自分の机に立てかける。ごとり、と重量感のある音が響いた。そんなもの背負っていたらそりゃ逃げられるだろう。

「……というかその刀、片付けないか?さすがに仰々しいぞ」

「ダメだよ。奴はきっと来る。その時まで気を抜くわけにはいかない」

 腕を組み、どこか遠い目をする紗月。ますます“ヌシ”を追うハンターっぽくなってきた。何となくだが、一矢も菜々羽がそうやすやすと引き下がることはないとは思っている。

 それにしても、菜々羽は何故自分を部活に引き込もうとしているのか。一矢にとってはそれが最大の謎だった。確かに自己紹介のとき、ゲーム好きだとは言った。その共通点はある。しかしそれだけで学生運動まがいの真似をするだろうか。

 おそらく、彼女のパーソナリティ的な問題はあるだろう。校長の話を聞いておいおい泣いたり、勧誘のためにモデルガンを突き付けるような人間だ。何にでもリミッターを超えて全力で取り組むタイプに違いない。

 つまり、日々を適当に過ごしたい一矢とは真逆なのだ。菜々羽にとって自分はプラカードまで掲げて勧誘したい人間に該当するだろうか。彼はそう思えない。何か評価されたポイントでもあったのだろうか。

 一矢は嘆息する。全くもって、とんでもない学校に来てしまった。“某高校”なんて名前を見た時点でもっと警戒するべきだった。入学2日でタガの外れた人間2人と出会ってしまった(うち1名は幼馴染)。この後も何が起こるかわからない。

「はい、それでは授業を……」

 ジリリリリリリ!!

 突然、けたたましいベルの音が鳴り響く。そしてロボットのように電子音めいたアナウンスが校内に響き渡った。

「不審者が侵入しました。各クラス避難してください。繰り返します。避難してください……」

「不審者ぁ!?」

「一矢君、私の後ろに隠れて!」

 紗月は立ち上がると、刀を頭上から振り下ろしつつ鞘から抜き放った。刀匠によって鍛え上げられた刀身が、太陽の光を反射する。

「この感じ……わかる」

「わかるって何が?」

「奴だ」

「え?」

「来る!!」

 紗月が目をかっと見開く。それに呼応するように、教室の前方のドアが勢いよく開いた。

「手を挙げなさい!抵抗しなければ何もしません!」

「……」

 入ってきたのは、全身軍服に身を包み、ハンドガンを構えた祠堂菜々羽だった。

 そう、軍服である。迷彩服でも防弾チョッキでもなく、大正ロマンを感じる軍服で、ご丁寧に帽子まで被っている。やっていることは普通にテロだが、服装とのミスマッチのせいでコントにしか見えなかった。

「私の目的はただ一つ、佐山一矢の解放です!さあ、今すぐ彼を私に渡してください!」

「ええ……」

「やっぱり来た」

 刀を両手に構えた紗月が、菜々羽に向かって静かに歩み寄る。

「あ、あなた!止まりなさい!止まらないと撃つ!」

 菜々羽が銃を構える。それは昨日彼女が一矢に突き付けたものと同じだった。

「おい紗月。あれモデルガンだぞ」

「え、そうなの?」

「あ、ちょっと佐山一矢!?」

「くぉらぁ!!何をやっとるんだ!!」

 廊下から、非常ベルよりも大きな女性の怒号が響き渡った。

「ひぃぃぃ!な、なんですの!?うぎゃー!!」

 菜々羽は現れた複数人の教師によって瞬く間に組み伏せられ、どこかに連行されていった。教室に入ってきた時から、僅か30秒の出来事であった。

「……」

 1-Aは、嵐が過ぎ去った後のようにシンとしていた。

「……ふう」

 そんな中、紗月は床に落ちた鞘を拾い、刀身を収めて言った。

「悪は去った」

「お前何もしてなくね?」

 そして、祠堂菜々羽は停学になった。

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