第4話:夜の男子寮

 目を開けたとき、一矢は自分がどこにいるのかわからなかった。

 体を起こし、周囲を見回し、そこが男子寮の自分の部屋であると認識するまでに、少し時間を要した。

 某高校は基本全寮制である。実家通いも選べるが、通学時間短縮の観点から寮を選ぶ生徒は多い。ちなみに、当然ながら男女別である。つまり、紗月はここにはいない。自室の時間だけは、何者からも妨害されない。一矢に許された唯一のプライベート空間である。

 しかし疑問が浮かぶ。一矢は教室で気を失ったはずだ。それなのに気付いたら自分の部屋にいた。誰かに運ばれたのだろうか。

「ん?」

 ふとベッドの横のテーブルを見ると、料理が置かれていた。作りたてなのか、ふわりと夕飯の良い匂いが漂っている。

「気が付いた?」

 玄関横にあるキッチンから、紗月がやってきた。制服の上に白いエプロンを着けている。着替えもせず、この料理を作ってくれたのだろうか。そう考えると心が温かくなった。いいな、なんかこういうの。

「……いや待て。紗月、なんでここにいる?」

「え?」

 紗月は首を傾げた。

「なんでって、一矢君のお夕飯作らないといけないし」

「ああ、うん、それはありがとう。けどここ男子寮なんだ」

「はあ」

「男子寮はな、生物学上オスの生徒が住む寮なんだ。紗月の不法侵入がバレると非常にマズイ」

「私と一矢君、退学になるかもしれないね」

「ああ。せっかく始まった高校生活、僅か一日で終わっちゃもったいないだろ」

「そのときは駆け落ちする」

「恐ろしいこと言うな!早く自分の部屋に戻ってくれ!」

「別居とか嫌なんだけど」

「勝手に結婚させないでくれ!」

 ダメだ、全く帰るつもりがない。とすると、無理に女子寮に追い出すのは逆効果だ。最悪、また“バストプレス”で失神させられかねない。一介の男子高校生として、あれは色々と辛い。

「大丈夫、私も門限までには自分の部屋に帰るから。けどそれまではここにいたいな。ほら見て、エプロンだよ」

 紗月はエプロンの裾をつまみ、自分の姿を見せてくる。

「一矢君、こういうの嫌いじゃないでしょ?」

「……まあ、それは」

 自分の欲には正直である。

「ほら、せっかく起きたんだし冷めないうちに食べよ」

「失神したのは主に紗月のせいなんだけどな……まあいいや」

 テーブルの前に座る。瑞々しく炊きあがったご飯に、たれの香りが食欲をそそる生姜焼き、そして温かい味噌汁。一矢の好きな料理が並んでいる。

「いただきます」

「召し上がれ」

 紗月が対面に座り、食事を共にする。

 美味しい。

 普段何をするか全くわからず、色々迷惑させられているが、いつも一緒にいてくれるのは確かだ。さすがに部屋に来るのは止めてほしいが、彼女を嫌いと思ったことはない。

「駆け落ちしても、一緒にご飯食べようね」

「しないからな!?」

 相変わらず、言っていることが冗談なのか本気なのかはわからない(多分本気じゃなかろうか)。

 適当な話をして、ご飯を食べ終わる。一矢は紗月の食器を自分のものと重ねて、玄関横のシンクに持っていく。

 ピンポーン。

 そのとき、部屋のインターホンが鳴った。

 誰だ、こんな時間に。

 一矢はシンクに食器を置き、寮の部屋のドアを開ける。

「えーっと、どちら様……」

「こんばんは、佐山君」

 そこにいたのは大柄・筋肉質・スキンヘッドの男。一矢はその男に見覚えがあった。

「た、大尉!」

「大尉って誰だ。校長だ」

「す、すいません。ところでどうして校長先生が?」

「ああ。私は男子寮の寮長もしているからな。ここの治安を守るのも役目なんだ」

「(そうだったのか……)」

 そんな事実は知らなかった。そして改めて寮長がここに来た意味を考える。彼は少し険しい表情をしていた。とてもおしゃべりに来たとは思えない。

 刹那、一矢の身に悪寒が走った。

 マズイ。これはマズイ。

「実はさっき隣の部屋から連絡があってな。何でも、“隣の部屋から女子の声がする。彼女でも連れ込んでるんじゃないか憎らしい”と。ということで調べに来た」

「(ガッデム!)」

 嫌な予感が的中してしまった。これは本当にマズイ。今この部屋には紗月がいる。彼女でもないし連れ込んだわけでもないが(むしろ勝手に入ってきた)、男子寮に女子がいるのは事実。もし見つかってしまっては言い逃れ出来そうにない。何とか誤魔化さなくては。

「中に入らせてもらうぞ」

「い、いやあそんなことしなくて大丈夫ですよ。この部屋に女子なんているわけが」

「一矢君の彼女ですが、何が御用でしょうか?」

 あぁっ出てきちゃった!!

 一矢の後ろから、頭一つ分大きい紗月が顔を出す。その姿を見て寮長は顔を更に険しくした。

「やはり通報は正しかったか!佐山君、これはどういうことかね!?」

「ど、どういうことも何も……」

 一矢の背中に冷や汗が浮かぶ。入学初日から寮長に目を着けられるのはさすがにキツイ。何とかこの状況を打開しなくてはならない。

「佐山君!説明したまえ佐山君!!」

 大柄な寮長に肩を捕まれ、ぶんぶんと前後に揺すられる。

 説明するにしても、気付いたら部屋にいたのだから説明などできない。かといって、正直に話したらペナルティを受けるだろう。

 何か、何か良い案はないか。

 本気で頭を回す。寮長に部屋の中の女子の存在を認めさせる方法は……。

「はっ!」

 そのとき、一矢の体内に電流が走った。

 いけるかもしれない。

 これなら、男子寮に女子がいるという矛盾を、解消できるかもしれない!

「りょ、寮長!この子は、この子は……」

 揺さぶられながら背後を指さし、一矢は叫んだ。

「この子は、ラブドールです!!」

 ラブドール。それは等身大の女性を模した人形である。鑑賞、写真撮影の他、等身大だからこその用途で使われることも多い。

「何……?」

 突然の衝撃で寮長の手が止まる。その隙に一矢は拘束を逃れ、紗月の隣に立つ。

「ラブドールのはずがないだろう!?しっかり立っているじゃないか!」

「最近のラブドールは立つんです!」

「さっき“一矢君の彼女です”とか言ってなかったか!?」

「人工知能が搭載されているんです!スマートスピーカーにも負けません!」

「じゃあスイッチは!?スイッチはどこだ!?」

「シームレスです!背中をなぞるとオフになります!」

「じゃあここでやってみろ!」

「わかりました!」

 一矢は紗月の背後に回り、彼女の背中を撫でた。

「ぴー。電源、オフ」

 すると紗月は何故か回れ右をして、一矢に向かって前のめりに倒れた。

「ぶっ……!ど、どうですか寮長!これでもまだ信じられないと!?」

 またしても一矢の顔が質量に挟まれる。彼はそこで、自分が何に挟まれているかを考えなかった。気づけば、失神してしまう。

「……最近のラブドールはここまで来たのか……」

 寮長は感心していた。

「そうなんですよ!闇市で買いました!おすすめですよ!使用済みなのでさすがにあげませんけど!」

「いやさすがにいらない。けど闇市……そうか、こんなものまで売っていたのか……今度探ってみるとしよう。いやはや、悪かったな。隣の部屋の住人にはラブドールだったと言っておく。では、失礼した」

 そう言うと、寮長は妙に浮かれた様子で一矢の部屋から去って行った。

 ちなみに、ラブドールや闇市云々は当然ながら一矢の嘘である。彼としては勿論本気で誤魔化すつもりだったが、まさか見過ごしてもらえるとは思っていなかったので、少し驚いていた。

 ……よっぽど欲求不満だったのだろうか。

 まあ、校長と寮長の二足のわらじではガス抜きにも困るだろう。まさか生徒や同僚に手を出すわけにはいくまい。彼も良いものを血眼で探していたのかもしれない。

「……というかそろそろ起動してくれ紗月」

「ぴー。電源オフです」

 紗月はだらんと一矢にもたれかかったままである。

 そして一矢は知っていた。紗月が一矢を離さないときは、決まって機嫌が悪い時だと。

「何か至らぬ部分がございましたかね」

「せっかく駆け落ちできると思ったのに」

「んなことせんわ」

「あーあー。見つかったとき、“紗月を認めないなら二人で逃げ出してやる”って言ってほしかったなー。愛の逃避行がしたかったなー。築60年、6畳のアパートに2人で住んで、つかの間の幸せを噛みしめたかったなー」

「服買ってほしかったなー、みたいなノリで言わないでくれ」

「……まあでもいいか」

 そう言って紗月はやっと一矢を解放した。もう少しでまた失神するところだった、と安堵した一矢であった。

「今日は一矢君の趣味がわかったし、とりあえず許してあげる」

「趣味……?」

 一体何の話だろう、と一矢は首を傾げる。彼は野球やゲームが好きだが、その程度は既に周知の仲だ。巨乳好きなことも知られている。今更掘られる趣味などない。

「じゃ、そろそろ門限の時間だから帰るね」

 そう言うと紗月はキッチンの天井にある換気扇の蓋を外し、通気口の中に入っていく。

「あ、そうだ。明日は楽しみにしててね」

 ダクトからひょっこりと頭を出してそう言い残すと、ご丁寧に蓋を着けなおしてスパイのように帰っていった。

「欠陥過ぎるだろこの部屋……」

 何故この部屋に紗月がいたのかを、一矢はようやく把握した。

 ――そして翌日。

 朝起きて、寮の食堂に向かっていた時だった。

 食堂に行くには、ロビーを通らねばならない。そこに男たちが集まり、妙にざわざわとしていた。

「なんだ……?」

「あ、お前、確か佐山一矢だよな?」

 集団の中の1人が一矢を指さす。するとその場にいた全員が彼の方を向いた。その圧に一矢は思わずたじろぐ。

「え、佐山だけど、何か……?」

「お前に荷物が届いてるんだけど」

「荷物?」

「ああ。ただ、それがさ……」

 男子が言いよどむ。

 一矢は不審に思った。ただの荷物なら、「はいどうぞ」で渡せば済む話だ。

「なんだ、ミイラでも届いたのか?」

「……正直、その方がマシだ」

「えぇ……」

 適当に冗談を言ったのだが、真剣なトーンで言われて困惑する。一体何が届いたと言うのだ。

「ちなみに、送り主は?」

「上村紗月」

「!?」

 それを聞いた瞬間、とんでもなく嫌な予感がした。

「ちょ、ちょっと見せてくれ!紗月が何を!?」

「それが……」

 ロビーの人垣が、一矢を避けるように開いていく。そしてその先には、ビニールに包まれた人間大の何かが置かれていた。遠目で見ると、割とミイラのように見える。

 そして一矢は思い出す。

 昨夜、紗月が帰る直前の言葉。「明日は楽しみにしててね」。

「まさか!?」

“荷物”に駆け寄り、それをはっきりと目にした。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ビニールに包まれていたのは、ラブドールだった。目を見開いたまま虚空を見つめ、衣服は何も着用していない。両腕が胸の前で交差され、股間部分には「佐山一矢君へ 上村紗月」と書かれた送り状が貼ってあるため、隠したいところは絶妙に隠せていた。

 彼は更に前日のことを思い出す。「今日は一矢君の趣味がわかったし」と紗月は言っていた。

 そう。ロビーに届けられたのは、上村紗月を模したラブドールだった。

 ラブドールは決して悪いものではない。それが好きな人を悪く言うつもりも全くない。しかし。

「おれにラブドール趣味はねえぇぇぇぇ!!!!」

 ミイラの方がよっぽどマシだった。

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