第2話:ゲーム好きな人、手挙げて
入学式が終わり、各教室に移動する。一矢は1-Aだった。そして始まることと言えば、自己紹介だ。名前と、あと簡単に自分の好きなものを話す。ただ“好きなもの”と言っても、精々“自己紹介用のもの”を話すくらいだ。まだ関係が成り立っていない状態で、本当に好きなものを開示することにはリスクがある。結果的に、使いまわしたテンプレートのような内容になる。だがそれでいいのだ。
「……です、よろしくお願いします」
一矢の二席前の生徒が自己紹介を終え、着席する。教室内でまばらに拍手が起こった。
「では次、
「はい」
担任に促され、一矢の前の席の女子が立ち上がる。優に180センチを超えているだろうその体躯が、一矢に圧を感じさせた。
「上村紗月です」
上村紗月。身長186センチ。細いが瞳の大きい目、ルーズサイドテール、圧倒的なバストが特徴な、一矢の幼馴染である。小学校で同じクラスになり、気づいたらそこそこ仲良くなっていた。実家が近いので中学も同じ、特に示し合わせたわけではなかったが、高校も同じ。
その事実を改めて認識し、一矢は戦慄した。そう、喜んだでも安心したでもなく、戦慄した。
小学校で仲良くなり、中学が同じだったことまではいい。問題は高校である。思い返してみれば、進路について何も言っていないのに紗月は「一矢君は某高校だよね」と願書を用意し、気づいたら一矢は受験の日を迎え、そしてここにいる。
某高校を受験しようと思っていたことは事実である。しかしそれを知らぬ間に悟られ、知らぬ間に一緒に入学していた。冷静になって考えると怖い。
とはいえ、見方を変えれば一矢が某高校を受験するための手筈を率先して整えてくれた、と考えられなくもない。何をしでかすかわからない、常に導火線に火が付いたダイナマイトのような人間だが、いくら何でもこの自己紹介の場は穏便に済ませるだろう。
「……座ってもいいでしょうか」
名前を言ったまま呆然と立ち尽くしていた紗月が言う。
「あ、ええと、上村さん、何か他にありませんか?」
担任は少し慌てた様子で紗月に話を促す。
「他に……?」
紗月は無表情で首を傾げる。別に彼女は会話が苦手というわけではない。単に1つのことしか考えておらず、話を聞いていなかっただけに過ぎない。
「その……ほら、好きなものとか」
「好きなもの、ああ」
紗月は不意に背後の一矢の方を向いた。
「……おい、何を言うつもりだ」
「私の好きなものは佐山一矢君です。よろしくお願いします」
何の躊躇も無くそう言い、紗月は着席した。
「……?」
今度は紗月以外の全員が首を傾げる番だった。そして何秒か経ち、彼女の言ったことを理解してざわざわとし始める。
「佐山一矢……誰?」
「あの後ろの子じゃない?」
「ああ、付き合ってる……って言えるのかなあれ……」
「(ちくしょう!)」
一矢は髪の毛がぐちゃぐちゃになるほど頭を抱えていた。
幼馴染として、紗月の爆弾投下癖は重々承知していたはずだった。しかし油断していた。それが「自己紹介くらいちゃんとするだろう」という甘えに繋がった。それを一矢は猛烈に悔いていた。
紗月は一矢のことが好き。このことは事実である。熟睡時以外は一矢のことしか考えていないため、彼以外からどう思われようと全く気にしない。
ただし、彼らは恋人ではない。少なくとも一矢は紗月と付き合っているとは思っていない。そもそも、紗月が一方的に一矢に「好きだ」と言うだけで、交際を望んだことはない。
とはいえ一矢に恋人がいるわけではないし、23時間362日くらいは一緒にいる(つきまとわれている)ので、付き合っているどころか事実婚状態かもしれない。
「いいんだよ、それで」
「ん?」
一矢の心の声に返答があり、思わず顔を上げる。こちらを振り向いた紗月が無表情でじっとこちらを見つめていた。
「私たちは私たち。これが、一矢君と私の愛のあり方」
「いやその、だから別におれたち……」
「それもまた愛だよね」
「人の話を聞いてくれぇー!」
紗月は腕を組み、目を閉じてうんうんと頷く。一矢のことになると話が通じない。彼の話すら聞かない。
一矢は再び頭を抱えた。
「あ、その……素敵な愛ですね……ね、みなさん?」
「ああ……うん、そうだね」
「あ、あはは……」
「勿論です」
ドン引きしている担任とクラスメイトに対し、紗月は無表情で頷いた。
「あ、では次に……佐山一矢君」
担任が引きつった苦笑いで一矢の名を呼ぶ。紗月のせいで、悪い意味で一目置かれてしまった。彼はため息をつき、立ち上がった。
「……佐山一矢です。好きなものは」
「上村紗月です」
「アフレコするな紗月!」
「言いたかったでしょ?」
「いいやまったく!」
「そうなの?日本語って難しい」
「難しいのはお前の思考回路だ……とにかく好きなものは」
「愛しの紗月ちゃん」
「しつこい!野球とゲームだ!」
「残念」
たびたび邪魔をしたにも関わらず、紗月は両手を広げて肩をすくめた。ちなみに今も無表情なので、本気なのかふざけているのかはっきりとはわからない。ただ一矢としては、10:0で本気で言っていると長年の経験から確信していた。
「……素敵な愛ですね」
担任が口元を隠してそう言った。
「先生、ちょっと笑ってませんか?」
「い、いえそんな!ありがとうございました佐山君」
取り繕うように咳ばらいをして、手元の名簿に目を落とす。
「では次、祠堂菜々羽さん」
「はい」
一矢の後ろ、列の最後尾の席にいた女子が立ち上がる。入学式の時、一矢の右隣にいたあの女子だ。校長の話を聞いて涙と鼻水を流していた。
「祠堂菜々羽です。好きなものはゲームです。よろしくお願いします」
菜々羽は毅然とした表情で一礼した。自然と教室内に拍手が巻き起こる。眉の位置で切りそろえられた前髪と背中まであるロングヘアー、やや幼いが整っている顔、堂々とした振舞いからは、気品ある“お嬢様”という冠がピッタリだ。入学式でもそれっぽい口調で話していた。まあ、その割には涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていたが……今の彼女にその面影はない。見間違いだったのかもしれない、とすら一矢は思った。
「……」
「ん?」
そんなことを思っていたら、菜々羽がちらりと一矢を一瞥した。一矢は、その視線に何かしらの感情が込められているように感じた。もしかして、先ほどの紗月とのやり取りにイライラしたのだろうか。お嬢様の目には下品に映ったのかもしれない。何となく頭を下げてから、一矢は前を向いた。
「……」
一矢の直感は、外れていなかった。
彼が前を向いた後も、菜々羽は並々ならぬ思いと共に彼を見つめていたのだった。
そんなことはつゆ知らず、一矢は入学式後のあれこれをこなし、正午前にその日の予定は終わった。
さて、放課後だ。
クラスメイトに声をかけて仲良くなるも良し、部活見学に行くも良し。自由時間だ。
「一矢君は部活しないで私と一緒にいるんだよね?」
さも当然かのように紗月が一矢に言う。
「いきなり何を言い出すんだ……部活も考えてないわけじゃない」
「そうなの?何するの?」
「いや、何しようかは考えてないけど……」
「じゃあ私と一緒にいるんだね」
「話を聞いてくれ」
部活動について、一矢は決めていたことがあった。それは本気で何かに取り組んだりしないこと。中学では野球部に所属していたが、あれは大変だった。本気で勝とうとすると、様々なしきたりが生まれる。例えば道具を大切に扱う、などはその典型だ。それ自体は決して間違ってはいない。道具にこだわることは良い選手になる上で大事だ。しかし行き過ぎたルールも数多くあった。ちょっとボールを蹴っただけでグラウンドを三十週走らされたこともあった。本気すぎると、人は冷静な判断が出来なくなる。熱中することは楽しいが、何事にもバランスがある。
「……というわけだから、あまり本気じゃない部活に入りたい」
「なるほど、じゃあ紗月部は?」
「ああ、紗月部……紗月部?」
「私と一矢君が一緒にいるだけの部活」
「紗月が誰よりも本気じゃないか」
「最初は本気じゃなくたっていい。けど私がありとあらゆる手段を使って、一矢君を本気にさせる」
「何する気だ?」
「洗脳」
「カルトじゃないか!」
「ふふっ、冗談だから」
と言うが、紗月は相変わらず無表情なので一矢には本気としか思えなかった。
「皆さん!」
不意に一矢の背後でクラスメイトが椅子から立ち上がった。祠堂菜々羽だ。
菜々羽は右手を天に向かって高く掲げ、叫んだ。
「ゲーム好きな人!手挙げて!」
まるで小学生がクラスメイトを遊びに誘うような口調だった。自己紹介の時とは打って変わったその様子に、一同が困惑する(一矢のことしか考えていない紗月を除く)。
自己紹介の通り、一矢はゲームが好きだ。テレビゲームやボードゲームはお手の物。野球部時代の悪い先輩に付き添った経験から、ギャンブル的なゲームも多少わかる。
しかし、だからと言って今手を挙げるのはためらわれた。脈絡がさっぱりわからない上、“お嬢様”とは少しギャップのある行動に面食らっていたからである。
クラスメイトの様子を見た菜々羽は少し不満そうな顔をした。そして何を思ったかカバンの中から何かを取り出し、それを目の前にいた一矢の頭に向かって突き付けた。
それは何と、黒光りするハンドガンだった。
「ゲーム好きな人、手挙げて」
「おおぉいちょっと待て!その“手挙げて”は意味が違う!」
「安心して、これはモデルガンです。それより貴方ゲーム好きでしょう?私と一緒にむぐっ!?」
何かを話そうとしていた菜々羽の口に、彼女が持っているものとは違う黒光りするものが押し込まれた。
紗月だった。
どこから持ってきたのかRPG(ロケットランチャー)を担ぎ、細長いレモンのような弾頭を菜々羽の口に突っ込んでいた。
「死にたくなかったら手挙げて」
「んーっ!!んーっ!!」
「やめろ紗月!どこから持ってきたんだそんなもん!」
「人は恋して強くなるから」
「ロケランあったら誰でも強いわ!片付けなさい!」
「えーっ」
しぶしぶ、といった感じで紗月は担いでいたロケランを下ろした。
「し、祠堂、大丈夫か」
菜々羽は一矢にハンドガンを突き付けたままの体勢で固まっていた。
「……はっ!私は一体……」
どうやら突然のことに対するショックで、しばらく意識を失っていたようだった。
「……無事か?」
「あれ……私、貴方に銃向けて、その後は……?」
「ロケランを口にねじ込まれた」
「ロケラン?ロケラ……ン……」
「待て!逝くな!」
「っ!はーっ、はーっ……今とても恐ろしい記憶が、脳裏を……」
「いい、思い出さなくていい。おれが悪かった」
最初に仕掛けたのは菜々羽だが、紗月の反撃は制裁として十分機能したようだった。
「……とにかく、貴方にモデルガンはダメってことがわかりました」
「いや、誰にもやるな」
国が国なら警察沙汰で済まない。
「じゃあなんで、ゲーム好きなのに手を挙げないんですか」
「手を挙げる……?ああ」
一連の流れですっかり忘れていたが、最初に菜々羽は「ゲーム好きな人、手挙げて」と言っていた。
「で、それが?」
「それがじゃありません!自己紹介のとき、ゲーム好きって言ってたじゃないですか!」
「いやそうだけど」
「だから一緒にやりましょう!ゲーム!」
菜々羽は目を輝かせる。どうやら彼女、ただ一緒に遊ぶ仲間を探していたらしい。
ちょうどいいかもしれない、と一矢は思った。
ただの遊びでゲームをやるだけなら、本気になる要素はほとんどないだろう。毎日を楽しく気楽に過ごせそうだ。考えれば考えるほど、良い提案だと感じる。
……いや待て、本当か?
紗月のRPGに気を取られたが、菜々羽はゲーム仲間を集めるためだけにモデルガンを突き付けてきた。つまり、手段を問わず一矢を引き入れようとしていた。
それは正しく“本気”である。適当な人間が、出会って間もない人間に銃を向けるわけがない。彼女のなりふり構わない姿勢が明らかではないか。
「えーっと……」
「許しません」
菜々羽の誘いを拒否したのは、紗月だった。
「なっ、貴方は関係ないですよね!?」
「いいえ。一矢君は紗月部に入ります。これは決定事項です」
「紗月部?」
「私と一矢君がいちゃいちゃする部です」
「何それ……」
菜々羽が嫌なものに向ける視線を一矢に向けた。
「なんでおれを見る。言っとくけどおれは紗月部に入る気は全くないからな」
「そんなあ」
「じゃあ決まり!私と一緒にゲームしましょう!」
「許しません。私は妻として、一矢君を不貞行為から守る義務があります」
「いつからおれの嫁になったんだ」
「出会ったときから」
「あーっ!」
話すが進まないことにイライラし、菜々羽が叫んだ。
「じゃあ上村紗月、私と勝負です!貴方が勝ったらその男は好きにしていいです!」
「わかった。一矢君、絶対勝つからね」
「いや話がわからん」
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