第9話 謎のお姫様(2)

 「でも」

と、結生子ゆきこさんが、先生とも短くアイコンタクトしてから言う。

 「不自然なの。その旧岡平おかだいら藩では、そのお姫様がいたことは常識になってて、それがいまの時代まで影響が残ってるのよ。村によっては、いまも、二一世紀のいまも、よ。村が、姫方、家老方って分かれているところもあるぐらいで」

 杏樹あんじゅが引き込まれるように言う。

 「いまでもですか?」

 「いまでも」

 結生子さんはうなずいた。

 結生子さんはこの地方の甲峰こうみねという村の出身だ。海辺の村だったはず。

 ということは、結生子さんの村にもあったのだ。

 たぶん、その対立が。

 「で、だいたいは、姫方は姫様を神様としてまつっているのに、家老方は、姫様なんていなかった、って、昔から言い張ってきたわけ。で、姫方と家老方は、子どもどうしが仲よくならないように引き離しておくとか、お祭りもいっしょにやらないとか、まあ最近はなくなったけど、漁協も姫方と家老方で組織が分かれてたりして、とにかく仲が悪いわけ」

 それは。

 なんか、すごいなぁ。

 「しかも、藩主の命にかかわる騒動があった、というところまで、幕府も藩も認めてるのに、公式記録にその詳細が残ってない。それだけじゃなくて、その相良さがら讃州さんしゅう易矩やすのりっていう家老の改革についても藩の側には詳しいことが残っていない。当時の商人とか、あと村の名主とかね、そういうところが残している記録に残っているほうがよっぽど詳しいわけ。そして、明治になって、その、もと岡平藩だったところの住民に聴き取り調査した伝説集には、お姫様の話がたくさん出てくるわけ。それを考えるとね、そのお姫様の存在も含めて、騒動の記録を公式にわざと残さなかった、って可能性がある。その可能性はけっこう大きいと思うの」

 「幕府にとっても、藩にとっても、あんまり大事件にはしたくなかったのよね」

と、大ヌシの千菜美先生が言う。

 「藩は、もちろん、藩主家の騒動となると、さっきの仁子ちゃんの話のとおり、取りつぶされる可能性があるから隠そうとするし、幕府からしてもね、藩を取り潰すってたいへんなことだから、穏便にすませたいわけ。取り潰してその藩から何か財源を奪えるとか、藩を取り潰すことで何かの見せしめになるとか、幕府の権威を示せるとか、そういうことだったら取り潰すメリットもあるけど、こんな小さい藩をつぶしてもねえ、っていうところで」

 「ということは」

 さっき先生に対して鋭い指摘をした泉仁子が言う。

 「先生も、そのお姫様は実在して、その幕府と藩との都合で消された、っていうか、史料に残らないようにされた、という考えなんですか?」

 「その可能性はある。歴史学で追究してみる価値はある、ということ」

 先生は仁子にそう指摘されて、言いかたが、ちょーっと、偉そうになった。

 「それを、最初からお姫様はいたに違いない、とか結生子ちゃんが言うから、痛い目を見せてあげたのよ」

 だから。

 それはハラスメント相談窓口に持って行っていいですか、という話だった、と思うのだが。

 安寿あんじゅ姫の時代にハラスメント相談窓口があれば。

 「山椒さんしょう大夫だゆうってひとが過酷な労働をさせたうえに体罰を加えてひどいことを毎日やってるんです。ことばのハラスメントとかもひどいんですよ。なんとかしてください!」

 それで、解決するのか、どうか。

 ……というか、そういうひとが泣き寝入りしないために、そういう相談窓口ができているということで。

 それに、いまのって、ブラックバイト相談窓口とか、そっちかな?

 「それで」

仁子じんこが言う。

 「それと、その、結生子さんが自転車で漁業博物館に行ったこととは、どう関係あるんですか?」

 仁子なんか進行役ですか?

 結生子さんが答える。

 「さっき言ったでしょ? いまでも姫方と家老方に分かれてるところがある、って。そういうのは海辺の村が多いの。あと、その相良讃州易矩っていう家老の改革は、漁村に、その、海産物っていうのを高く売れる仕組みを作ってやる代わりに、税金を高くするっていうものだったわけ。ところが、その、漁村に買いに行く商人って、その相良讃州と結んで儲けていたような商人よ。だから、漁村の得になるようなことをするはずないのよね。だったら、商人には搾取されるし、税金も払えないしで、村は潰れるはず。じっさい、いくつもの村が税金が払えなくて潰れてるんだけど、つぶれずにがんばった村もあるわけ。それで、さっき言ったように、漁獲高が変わっていないんだったら、税金が上がったのに、なぜがんばれたんだ、というところも謎なわけ。その謎と、お姫様の謎が結びついて、うまく説明できたらいいな、と思ってるわけよ」

 「でも、用心してよ」

 先生が言った。

 「あなた自身がその対立っていうのに無関係じゃないんだし、ほんとに感情的になるひと、いるからね」

 「はい」

 何か混ぜっ返すかな、と思ったら、結生子さんは正直に言った。

 「気をつけます」

 そう言って、小ヌシの結生子さんがガラスの湯呑みを茶托ちゃたくにかちっと音をさせて置いた。

 みんな、お茶も飲み終わり、じゃがいもデンプンのお菓子も食べ終わったようだ。

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