第2話 大ヌシ登場

 その前に、研究室の扉が開くのに「ばさっ、がしゃっ」というのは……。

 扉の前の本棚にいろいろな紙がはさんであったり立ててあったりするので、扉が開くときの風や気圧の変化でその紙がいっせいに音を立てるからだ。杏樹あんじゅが入って来たときにも同じ音がしたはずだ。

 たしか、去年の夏休み前に大学の安全点検というのが入り、「きわめて危険」と判定されて改善を求められていたはずなのだが。

 ふだん使っていない扉というのがあり、窓もあるので、災害で扉が使えなくなったら、学生はそのどちらかから脱出するように、と言われているのだが。

 そんなの、だいじょうぶなのかなぁ?

 窓のところに昔のはしごがついているからだいじょうぶ、というのだけど。

 この建物、築九十年、って言ってたよなぁ?

 もちろん、エレベーターがついたり、窓の密閉度が上がったりと、改修はしているはずなのだが。

 そこに残っている「昔のはしご」というのは?

 九十年前のものじゃない? もしかして。

 杏樹が建物の安全について考えをめぐらせているところに

「ああ、暑いわね」

と言って入って来たのは、若い、少し幼い感じさえする女のひとだった。

 この研究室の大きいほうのヌシ、大藤おおふじ千菜美ちなみ教授だ。

 研究室のヌシになれる教授というのだから、歳はそこそこのはずだが。

 年齢不詳。

 小さいほうのヌシである三善みよし結生子ゆきこさんと杏樹とのあいだで、先生は年齢不詳という合意ができている。とても涼しげないずみ仁子じんこはその話をただきいているだけで肯定も否定もしなかったのだが。

 合意しているだろう。

 先生は色白で丸顔だ。前髪をまばらに垂らし、睫毛の長い二重のまぶたは、いつも何かを問いかけたそうに何かを見ている。その視線が色っぽくて、若い女のひとという印象を強めているのだが。

 じっさいには、その色っぽい目は、課題をどこまでやってきたか、卒論の構想がどこまでできたかを問いかけたくて学生を見ていることが多い。油断ができない。

 卒論の構想とかをきかれるといやなので、杏樹が先制する。

 「この写真、何ですか?」

 「ああ、それ?」

 持って来た本を自分の机に置いてから、先生は大机のほうに来た。

 「城のある街ワークショップというのをやってる高校生がね、連休中に送ってきたのよ。熱心な子でね」

 先生は大机に腰掛けた。向かい合って座っている杏樹と仁子のあいだということになるので、「お誕生日席」の位置になる。

 「同級生の家に古い文書があるのを見つけ出して、それを写真に撮って送ってくれて、そのあと、午後に伝説の城跡探索に出かけて、その写真のところがその城跡じゃないかってそれも送ってくれたんだけどね」

 何それ?

 いや。高校生にそんなことをしてもらっては、困る。

 「高校生が一日に二つも発見をしているのに、どうして課題が十日かけてもできてこないのかしら?」

とか言われてしまう。

 「で」

と、存在感が涼しい泉仁子が言う。

 「ほんとはどうなんですか? そこが城跡かも知れないっていうのは?」

 「そうね」

 大ヌシの先生がそれに乗る。

 「じゃ、検討してみましょうか?」

 助かった。これで卒論の構想について説明するのはやや延期だ。

 しかし。

 そのかわり、「検討」が始まるのか……。

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