第22章-3


「北条! てめえ、なにしてんだ!」


 さけび声がひびく中で彼はわかぞうまねきしていた。


「ちょっとこれ持っててくれ」


「は? なんでだよ」


「いいから持てよ。汗かいたからこいつをぎたいんだ」


 せんまいどおしを渡すと彼ははっも脱ぎ、それをらせた。若造は口をとがらせている。


「おっ、格好いいじゃねえか。お祭りって感じだな。普段はえないタコ焼き屋なんだが、大事件があると出動する伝説の刑事だ。今度そういうの書いてやるよ。もちろん主役はお前だ。おおとりじんじゃたいでやってみようぜ」


 汗をぬぐいながら蓮實淳は目つきのするどい青年を見つめた。ほほは平面になっている。


「いいか? しばらくすると猫が奴におそいかかる。そしたら、左右から捕らえるんだ。そのためにも分かれてくれ。くれぐれもられないようにしてくれよ」


 ささやき終えると彼は手を高く挙げた。


「おっ、千春も来たのか。どうだ、これ。まさに二時間ドラマだろ? がけの上でないのが残念だな」


「なに言ってんのよ! カンナちゃんがあんなことになってるのに!」


「いや、あれはあれでカンナも楽しんでるだよ。――な? そうだろ?」


 振り返った顔には満面の笑みが浮かんでる。カンナもほほんでみせた。


「ま、ちょっとばかり嫌な感じはするけど、楽しんでるわよ。千春ちゃん、だから心配しないで」


「なに言ってんの! カンナちゃん、この人がすぐ助けに行くから! ほら、行きなさいよ! あなたはそういうためにいる人でしょ!」


 肩をすくめ、彼は千春に近づいた。そのときには目を細めてる。


「千春、これからなにがあってもそこを動くな。大丈夫だ。カンナは絶対に助ける。いいな? なにがあっても動くなよ。わかったら、なにも言わずに目を閉じろ。うなずくのも無しだ」


 しばらくにらみつけてから千春は目をつむった。それをあいとしたように彼は笑い声をあげた。


「いや、マジで二時間ドラマっぽいな。俺、こういうの大好きなんだよ。な? 山もっちゃん、たまにゃこういうのもいいだろ? いつもしんくさいことばかりしてっと人間がくさっちまうからな」


「おい、どうしたってんだよ。心配のあまりおかしくなっちまったのか?」


 山本刑事は目だけ向けてきた。猫たちは周りを囲むようにしてる。


「俺がおかしいのはいつものことだ。――って、あまり主人公を放っておくのもよくないな。がいかんってのは人をひねくれさせるもんだ。そうだろ? がわ裕哉くん」


 彼は立てた指を前へき出した。みなそれを見つめてる。


「とんだちゃばんですね。この人はふるえてますよ。怖くないはずがないんだ」


「それこそ違うね。お前は馬鹿だから人間理解が足りてないんだ。カンナは怖がってなんかいない。ま、震えてるってなら、小便したいからだろ」


「なによ、それ。別にオシッコなんてしたくないもん。それに震えてるのはこの人の方よ。さっきからブルブル、ブルブルってみっともないくらい」


「嘘だ。私は震えてなんかない」


「また出たな。さっきから違う、嘘だってうるさいんだよ、お前は」


 鼻に指をあて、彼は頬をゆるめた。目だけが細くなっている。


「いいだろう。もう嘘だなんて言えないくらいの真実を教えてやる。長谷川裕哉物語ってわけだ。今まで無視されてたんだ、注目されてうれしいだろ?」


 北条はけんしわを寄せた。顔は青白くなっている。


「さっきのつづきだ。お前の母親はウンコをまき散らしていた。そこにかしわがあらわれたってわけだ。ま、平子のばあさんからすりゃぜんちの男を向かわせてビビらせようと思ったんだろうよ。実際、お前の家は大変なことになった。母親はやってないって言ってんだから、なんくせつけてのきょうはくってことになったんだよな。そこで柏木伊久男 = 脅迫者ってイメージが出来上がっちまったんだ。ま、あのじいさんもあまり頭がよくなかったんだろう。そのくせ人のトラブルに鼻をっ込む性格だったんだ、今度はビラをった。『猫のウンコを投げ入れないで下さい』とか書いてな」


 ゆっくり歩きながら彼は話した。頬はゆるんだままだ。


「だけど、そんなことしたら周りはどう思う? トラブルがあるのはわかってんだ、長谷川のカミさんがやってるってことになるだろ。それでもママちゃんはていしてたんだよな? ただ、同時に猫が次々と殺されていった。それはお前のわざだ。そうやってママを守ろうとでも思ったんだろ。それか、かまって欲しかったんだよな? 『僕は悪い女のとこの猫を殺してやったよ。めてよ』ってわけだ」


 カンナの顔はしんこくゆがんでいった。荒いいきづかいが気持ち悪く感じられたのだ。


「それを知ったママちゃんはどうなった? 同じ毒をあおって死んじまったんだよな? けんの連中はこう思ったわけだ。『ああ、あそこのカミさんはウンコを放るだけじゃなく、猫を殺してたんだ』って。それをじた父親は家を引き払い、お前たち兄弟をしんせきに預けた。その後で死んでもいる。ま、そっちも自殺ってことになってるが、どうなんだろうな。しょもなかったようだし、もしかしたら誰かに殺された可能性もある」


「おい、まさかそれも、」


 山本刑事は手を伸ばした。目はナイフへ向けたままだ。


「それは後で訊けよ。まあ、死ぬ気らしいから、そうなったらこうれいじゅつでも使うんだな」


 振り返った彼はばやじょうきょうを確認した。――うん、千春は同じ場所にいるし、わかぞうと兄ちゃんも分かれつつある。八割方は整ったな。


「ここから話は飛ぶ。北条と名前の変わったお前はじょうだんのようだが警官になった。それでこの辺に戻って来たわけだ。そこで柏木伊久男を見かけた。さかうらみであってもお前にとっちゃにくむべき相手だ。ただ、当の本人はけっこうな人気者になってた。それはゆるせないことだった。お前はこう思ったんだ。『脅迫者ならそれらしくしてろよ』って。それでどうしたか? ちとめんどうな感じだが、『昔の悪事をバラされたくなかったら、こいつらを脅迫しろ』っておどしつけたんだ。新聞を切り貼りした手紙と写真で指示してな」


 彼は鼻先をたたきつづけてる。思考はリズムよく整っていった。


「いや、俺はもっと早く気づくべきだったんだ。あんだけの相手を脅迫してるなんておかしいって。でも、お前がやらせてたなら説明はつく。オマワリなんだ、そりゃいろんなことを知ってるよな。それを元に柏木伊久男を脅迫者にて上げようってこんたんだったんだ」


 カンナが手を挙げた。頬は少しばかり引きつっている。


「ちょっと待ってよ。じゃ、なんでこの人の写真もあったの? 私わかったんだから。『HY』って書いてあったのはこの人なんでしょ?」


「そうだ。ありゃ、こいつの写真だ。でも、あれだけおかしかったろ? まるでさんきゃくで撮ったみたいだった。いや、実際にも三脚を使ったんだよ。だって、自分を撮るんだ、そうするしかねえもんな」


「なんでよ。どうして自分も脅されなきゃならないの? なんか変じゃない?」


「それはこういうことだ。こいつは柏木伊久男を脅迫者に仕立てあげた。ただ、あの爺さんはそれまでとそんなに変わってなかった。評判も良いままだ。だから、どうやってんのか気になったんだよ。そのためにウサギを殺し、記念写真を撮って、自分も脅される方に回ったんだ。それに、かんするつもりもあったんだろ。どうだ? 長谷川、たまにはなんか言えよ」


 彼は指先を向けた。北条は目だけ動かしている。口は固く閉じたままだった。


「はっ! いいだろう。ちんもくりょうかいと同じだ。ま、そういうわけでこいつも脅迫されてたってわけさ。――ああ、死ぬつもりってのがほんとなら、そろそろまくきって思ったのかもな。こいつはな、柏木伊久男を脅迫者に仕立て上げ、その上で殺すつもりだったんだよ。わいそうなママちゃんと同じようにめいを着せられたままの死ってわけさ。それが目的だったんだ」


 深く息をき、彼は足を止めた。若造と目つきのするどい青年は左右に展開してる。正面には自分と山本刑事だ。――そろそろいいだろう。


「みんな、ちょっとずつ近づけ。全員で取り囲むようにするんだ」


 音にならない声でそう言い、彼は目を細めた。


「ただ、計画はくるった。俺が悪霊に関する問題をちゅうはんに解決してしまったからだ」

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