第22章-2


 ふたたび腕をつかみ、北条は音大の方へ引っ張っていった。その辺は人もまばらで、祭りの音も遠く聞こえた。


「ここでいい。さあ、どこまで知ってるか教えて下さい」


「どこまでって、なんのことです?」


「しらばっくれる気ですか? 蓮實さんはばらがどうとか言ってたんですよね? そのつづきを教えて欲しいんです」


 カンナは目を細めた。道の向こうには小学校のフェンスが見える。――あっ、そうだったのか。


「どうしたんです」


「いえ、さっき言ってたのを思い出したんです。そのコートをなにで見たのか」


「なにで見たんです?」


 ゆがんだ顔が近づいてくる。カンナはあと退ずさりながら腹に力を入れた。


「あの殺されたおじいさんの写真で。――ああ、そうだった。あれには『HY』って書いてあった気がする。つまり、北条裕哉ってことだったのね」


「なんのことです?」


「そっちこそしらばっくれてるじゃない。あの写真はウサギを殺した奴のものだって言ってた。あなたはあのお爺さんも、ペロ吉んとこのゆうくんも、平子っておばあさんも殺して、ウサギまで殺したってことなんでしょ」


 一度口に出すと怒りがおおってきた。そうだ、この人は三人も殺してるんだ。こんなせいじつそうな顔して、裏じゃとんでもないことやってたってわけよね。だいいちウサギを殺してなにになるっていうの?


「なるほど。全部知ってるってわけですね。ただ、ひとつだけ間違ってますよ。私はかしわを殺していない」


「はあ? ここまできて嘘つくの?」


 そうさけんでからカンナは、ん? と思った。そうか、あの人がやたら嘘がどうのって言ってたのはそういうことだったんだ。


「なんなんですか。さっきから突然ニヤついたりして。怖くないんですか?」


「ええ、怖くないです」


「これでもですか?」


 北条は地下階へ通じるドアの前へ引っ張っていった。奥まっていて暗い場所だ。ただ、カンナはほほんでみせた。


「気づきません?」


「なにがです?」


「猫ですよ」


「猫?」


「そう、猫。ほら、あそこにもいるし、あっちにもいるでしょ。見えてないだけでもっといますよ。あなたは猫に囲まれてるんです」


「それがなんなんです?」


 深く息をき、カンナは目をつむった。そうしてるとにぶく足音も聞こえてきた。あれはせっよね。それも一直線にここへ向かってる。


「もうあなたは逃げられないってことですよ。あの人がすぐ来てくれるし、考えられないくらい大量の猫が周りを固めてるから」


 北条も足音に気づいたようだ。奥へ引っ張りながらポケットをまさぐってる。


「そのようですね。でも、それでもいいんです。私はもとから死ぬつもりだったんですから」


 足音はやんだ。カンナはあごを引いている。ナイフがにぎられていたからだ。


「カンナ! どこだ? どこにいる? ――ああ、そこなのか。オルフェ、ありがとな。みんなもほんとありがとう」


 カンナは唇を歪めた。――また猫としゃべってるわ。ほんと気の抜ける人よね。そう考えてるところにれた笑顔がのぞきこんできた。


「よっ、カンナ。大丈夫か?」


「そこそこはね。でも、見てよ。私、殺されちゃうかもしれないの」


「そのようだな。――おい、カンナをはなせ。そろそろ山もっちゃんも来るぞ。お前はもう逃げられないんだ」


 北条はさらに奥へ向かった。ガラスの先には点々と明かりがついている。


「あのね、この人、もとから死ぬつもりだったんですって。今そう言ってたわ。――って、それ、なに持ってんの?」


「ああ、これか? タコ焼き屋の兄ちゃんが貸してくれたんだよ。こいつは使えるぞ。わざものだ」


 猫たちも集まっている。「フーッ!」とうなごえが聞こえてきた。


「馬鹿にしてるんですか? さっきからふざけたことばかり言って」


「違うよ。お前が本当に馬鹿だから相手にしてないだけだ。ほら、カンナを離せ」


 彼はしんちょうに階段を降りていった。猫もその後につづく。北条の目はいたところに散らばっていた。


「来ないで下さい。それ以上近づくとこの人をしますよ」


「ニャー!」


 オルフェがえた。彼は音にならない声で語りかけている。「まだだ。俺がいいって言うまで囲むだけにしてるんだ」


「あなたが悪いんですよ。こうなったのは全部あなたのせいだ。この人にナイフを向けなきゃならなくなったのも全部あなたが悪いんだ」


「はっ! あきれるね」これはゴンザレスだ。その声はこうつづいた。「ああ、そろそろ来るね。みんな走ってるよ」


「俺が悪い? はっ! なんでそうなるんだよ。どう考えても悪者はお前だ。北条、いや、がわってのがほんとの名前だったよな?」


 間をめていくと北条はナイフをちらつかせた。そのままあと退ずさっていく。彼は軽く振り向き、「みんなもこっちに来てくれ」と言った。


「違う。私は北条裕哉だ」


「いや、お前は長谷川裕哉さ。平子のばあさんとトラブルになった長谷川って家の次男坊だ。母親がウンコまき散らしてたんだよな? まったくめいわくな親子だ」


「違う」


 猫はぞろぞろ降りてくる。ちらと顔を向け、北条は階段に足をかけた。――だから、馬鹿だっていうんだ。山もっちゃんが来るって言ったろ? お前は不利なとこに行こうとしてんだぜ。


「なにが違うんだ? お前の母親はウンコをまき散らし、さらには猫を殺し、それがバレると自殺した馬鹿の見本市みたいな奴だったんだ。息子が馬鹿なのもしょうがねえよな。なにしろ見本市の出店みたいなもんだもんな」


「違う!」


 りをつかみはぐって北条はよろけた。ナイフは目の前にある。――ひっ! と思ったもののカンナは可能な限りの無表情で押し通した。


「違う! あなたの言ってることは全部嘘だ!」


「嘘じゃねえよ。――いや、ちょっとだけ違ってたな。猫を殺したのはお前だもんな。お前が母親の殺虫剤で殺したんだ。それを知ってママは自殺しちまったわけだ」


「違う」


 よろけそうになりつつも北条は上がっていった。彼はゆっくり前へ出た。「よし、ならんでくれ。ここに逃げ込ませないようにするんだ」と指示してる。


「また違うってか? でも、これは事実だよ。お前のわいそうなママちゃんは最愛の息子の馬鹿さ加減をたんして死んじまったんだ。ま、半分ほどは自分のせいでもあるけどな」


「違う! あなたの言ってることは全部でたらめだ!」


 北条はわめきちらした。カンナは目を細めてる。大量の猫が見えたのだ。先頭はオチョだろう。その後には人の姿もあった。あのでかくて毛の薄いのは山もっちゃんでしょ。で、ちっこいのはわかぞうくん。あっ、千春ちゃんも来たんだ。――え? なんで焼きそば屋のお兄ちゃんまで来てんの?

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