第22章-1



【 22 】




 カンナは顔をあげている。手は自然と胸を押さえていた。


「あの、北条さん、訊きたいことっての後でもいいですか? 私、はぐれちゃったから心配かけてると思うんですよ。――あっ、そうだ。北条さんも一緒に行きません?」


 向けてきた顔にはいらちがあるようだった。カンナは目をそらした。みょうけんどうの辺りは人の出入りが激しい。いま走り出せばまぎれ込めるかもしれない――そう考えたのがわかったのか、北条は腕をつかんできた。


「できれば二人で話したいんですよ。こっちに来て下さい」


「こっちって、どっちです?」


 タコ焼き屋の前で北条は足を止めた。カンナは視線を散らばらせている。――二人きりになりたいってどういうこと? やっぱり愛の告白とか? いや、そういうふんじゃないな。


ほうみょうへ行きましょう。あそこなら人が少ない」


 カンナはへ引きずられていった。ただ、少しすると口許がゆるんだ。暗がりに猫が見える。屋根にもいるし、植え込みのかげにもだ。


「わかったから、腕つかむのやめて下さい。こんなの見られたらつうほうされちゃうかもしれませんよ」


 北条は手をはなした。しかし、身体を寄せている。カンナはまた周囲に目を向けた。あの白いのはオルフェでしょ。それに、あのちっこいのはベンジャミン。歩くのに合わせてちょこまかついてくる。つまり、――いや、つまりってのもなんだけど、あの人が探してるってことよね。そして、それはすぐ来てくれるってことでもある。


「――で、訊きたいことってなんです?」


「その、私をつけてたのは蓮實さんに言われてですか?」


「違います。それに北条さんだってわかってなかったし」


「わかってなかった? でも、あなたはずっとつけ回してた。どうしてです?」


 ひる家のいたべいが見えてきた。右に折れるとカイヅカイブキのがきがある。カンナは顔をあげた。どっちに行くんだろう? そう思ったのだ。法明寺へ抜けるには右に行った方が早い。ただ、北条はそのまま進んでいった。――ふうん、あっちには行きたくないんだ。


「私、そのコートに見覚えがあったんです。なにで見たかは忘れちゃったんですけど、それが気になって。でも、つけようとかじゃなくて、思い出そうとしてたらそうなってしまっただけで、」


「それで、思い出せたんですか?」


「いえ、まったく」


 猫に見守られてることはカンナにいつもの調子を取り戻させた。ところどころに怖れはあったものの頭のどこかではこうも思っていた。――いろんなことを総合すると、この人が犯人だったってことよね。でも、これってまさに二時間ドラマみたいじゃない? 私は危険な目にあうんだけど、そのすんぜんで助けられるの。そして、最後のシーンでは助けに来た人と結ばれちゃったりして。うん、悪くないすじだわ。


「どうしたんです?」


「どうしたって、なにがです?」


「いえ、さっきまでと様子が違ってるから」


 細い道を抜け、二人は法明寺の門に着いた。提灯ちょうちんに照らされてるからか桜のみきは黒ずんでみえる。


「私、いろんなことがわかってきたんです。その、これまで耳にしてただんぺんつながってきたっていうか、」


 話しながらカンナは目だけ動かしてる。あの毛むくじゃらはゴンちゃんでしょ。あっ、ペロ吉もいる。――そうだ、ここでゆうくんと話したこともあったな。あのときは北条さんも来て、――ん? そういえば相談したとき「それはなんとかしなくちゃなりませんね」とか言ってたな。そうか。私があんなこと言ったから、ってわけね。あんな小さな子を手にかけて、しかも、ペロ吉まで傷つけるなんてゆるせない。


 怒りは怖れを打ち消していった。ただ、なけなしの冷静さをひねり出し、こうも思った。――まだよ。まだそのときじゃない。ええと、二時間ドラマだったらどうするんだろ? なんとか話をつづけて助けを待つってとこかしら?


「えっと、北条さんって出身はどこです?」


「え?」


「私は新潟なんです。だから、この辺の地名にうとくて。この前、ばらって聞いたんですけど、かいじゅうの名前かなって思っちゃって」


「それは蓮實さんが言ってたんですか?」


「はい。きっと山もっちゃん、――あの、山本って刑事さんと話してたと思うんですけど」


 その声はじょじょに小さくなっていった。顔が近づいてきたからだ。カンナはあごを引いた。やだ、やっぱり怖いかも。






 じろしょから飛び出した猫の集団はばしを渡り、細い道に入りこんでいった。二人の刑事もスーツのすそなびかせながら走ってる。


「山本さん、これはどういうことです?」


「そんなのわからんよ。でも、なにかあったんだろ。急がなきゃならない」


「馬鹿げてますって。なんで猫にかされなきゃならないんです?」


「四の五の言うな。とにかく猫ちゃんたちを追うんだ」


 でんの踏切を越し、集団はたいき屋の方へ向かった。居あわせた者はぜんとした表情をしてる。その顔は後につづく中年男に向けられた。きっと大半が「あのオッサンが猫を追い回してんのか?」と思ったことだろう。


「ああ、キツいな。こんなに走ったのは久しぶりだ。おい、谷村、こっからじんに入るみてえだ。お前が先に行ってくれ。俺は息が上がって苦しい」


「俺がっすか? なんかやだな」


「いいから行けよ。蓮實の先生か、カンナちゃんがいるはずだ。そこで話を聴くんだ」


 大量の猫が入りこんできたからだろう、けいだいは違うさわぎに巻き込まれてる。若造はその中に入っていった。


あね、ハゲのオッサンが来たみたいだぜ」


「じゃ、オチョもちゃんと仕事ができたってわけだね。クロ、あんたはオチョたちと裏手へ行ってるんだ。アタシがオマワリを連れてくから、さっき言ったのをみんなに伝えといておくれ」


りょうかい。――っと、オチョ、こっち来い。いいから来るんだよ。ほれ、もう一回出るぞ」


 猫の集団はふたたびけ出していった。キティはだいじゅの根元に座ってる。


「山本さん、こっちです。――いや、たぶんですけど、あのれいなお姉さんがいるからここなんでしょう」


 ひたいの汗をぬぐいながら山本刑事はうなずいた。焼きそば屋のじいさんは顔をしかめてる。


「ああ、そういうことか。なるほど」


「って、どういうことです?」


「いや、わからねえよ。二人ともいねえのがわかるだけだ。――えっと、千春さんでしたよね? なにかあったんですかね。その、猫ちゃんたちに連れられてここまで来たんですが、いるかと思った蓮實の先生もカンナちゃんもいねえで、」


 千春は首を振っている。肩は落ち、瞳はうるみきっていた。


「わかりません。まったくなにがなんだか。――あの、カンナちゃんがいなくなって、それで、あの人は探してくるって。そしたら、猫が大勢やって来て、」


「ふむ、そうでしたか。――ああ、この猫ちゃんは蓮實の先生とよく一緒にいる、」


「ナア!」


 立ち上がり、キティはえた。裏手からはおうするように「ニャー! ウニャー!」と聞こえてくる。


「おい、猫ちゃん、なにがあったんだ。教えてくれよ。蓮實の先生かカンナちゃんになにかあったってのか?」


 刑事はしゃがみ込んだ。若造は首をすくめてる。いろんなことにさむがしてきたのだ。


「なあ、教えてくれって。大変なことが起きたんだろ? ――ん、もしかして、あいつがからんでるのか?」


「ナア!」


 ふたたびキティは吼えた。裏手からも「ウンニャー!」と聞こえてくる。刑事は立ち上がり、髪をき回した。


「谷村、こりゃマズいかもな。いや、よくわからねえが、あの二人になにかあったのは確かだろう」


「マジ言ってんすか? 俺には猫がやたら騒いでるとしか」


「うるせえ! いいか? これ以上あいつに罪を重ねさせちゃならねえんだ。な、猫ちゃん、どうすりゃいい? あいつがどこにいるか知ってるなら教えてくれよ」


「ナア!」


 キティは走り、しばらく行くと振り向いた。目はわってる。


「おっ、連れてってくれるんか? 谷村、行くぞ!」


「わかりましたって。だけど、いったいなんなんすか」


 刑事がいなくなると千春の目には光が入った。焼きそば屋の爺さんは腰をさすってる。


「あんたも行った方がいいんじゃねえかい?」


「えっ? ――ああ、はい」


「だろ? でも、一人じゃ危ねえかもな。おい、しょう、お前も行ってこい。なにがなんだかまったくわからねえが、あの兄ちゃんと姉ちゃんがヤバいかもって話だ。ひとつ働いてこいよ」


 うなずきながら青年はエプロンをはずした。爺さんはのぞきこむようにしてる。


「こいつについてくんだ。ほら、早く行くんだよ。でな、全部終わったら、ここに来い。うめえ焼きそば食わしてやっからな」

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