第21章-7


 同じ道を走る蓮實淳の前にはクロが飛び出してきた。しっは立ち、どうこうもひらいてる。


「先生! カンナちゃんを見たぜ! あいつと一緒だった!」


 せいで進んでから彼は振り返った。クロは石垣に飛び乗っている。


「ほんとか? そりゃマズいな」


「ああ、今はオルフェがあとをつけてるとこだ」


「それで他のみんなはどうしてる?」


「ん、焼きそば屋にはキティのあねってるし、なにかあったらすぐ対応できるようにってオチョたちもこの辺にひかえてるみたいだぜ」


「そうか、ありがとう。で、どっちに行ったんだ?」


みょうけんどうの方へ行ったのはわかってんだが、そっから先はわからない。じきに連絡が来るだろうから先生もこっちに来るか?」


「いや、俺は行かない。でも、ちょっと待ってくれ」


 クロを抱き上げ、彼はそのまま考えた。周囲は穴があいてるようだった。猫に話しかける男をけてるのだ。


「そうだな、キティに伝えてくれ。オチョたちをじろしょに向かわせて欲しいって。集団で行って、いっせいに鳴くんだ。そうすりゃ山もっちゃんが来てくれるだろう。わかったか?」


「ああ、大勢で目白署に行く。それで鳴きわめいて、ハゲたオッサンを連れて来いってんだろ? わかった。姐御に言っとくよ」


「頼むぜ、クロ」


「先生も気をつけてくれよ」


 腕から飛び降り、クロは消えた。妙見堂はすぐだ。ただ、脚はゆるやかになった。人が多くてそうせざるを得ないのだ。――ふむ。また別れ道になっちまったな。しかもときてやがる。どうしよう。どうしたらいい? ――ああ、そうか。たいの兄ちゃんならなにか見てたかもしれないな。あそこのタコ焼き屋はひまそうだし。


「お兄さん、仕事中に悪いね。ちょっと訊きたいことがあるんだ」


「ん? なんだい?」


「少し前に背の高い男と祭り姿の女が通らなかったか?」


 太った兄さんはせんまいどおしを動かしてる。顔は向けてこなかった。


「ああ、通ったんじゃねえかな」


「ほんとか? で、どっちに行った?」


「そりゃ、あっちこっちさ」


「は? どういうことだ?」


 兄さんは首を曲げた。唇はゆがんでる。


「そんなのはいっぱいいるんだよ。それに、高いっていったって二メートルあるわけじゃねえんだろ? いちいち憶えちゃいねえよ」


 ほほをゆるめて彼は近づいていった。たこ焼き屋はあと退ずさっていく。


「訊き方が悪かったな。ほんのちょっと前、十分もしないくらいだ、そん頃に百八十センチくらいのけっこういい男と百五十センチくらいの胸が大きくて祭り姿をした女が通らなかったか? たぶんだけど、その二人は恋人に見えなかったはずだ。もしかしたら男が手を引っ張っていたかもしれない」


「あんた、警察の人間かい?」


「いや、違う。でも、その二人を探してるんだ。危ないかもしれないんだよ。すぐ見つけなきゃならないんだ」


「そうなんかい」


 べにショウガを散らし、兄さんは手を止めた。瞳は左上に向いている。


「たぶんだが、それでもいいか?」


「もちろんだ。知ってることがあったらなんでも教えてくれ」


 丸まったあごを向け、たこ焼き屋はひたいぬぐった。目許はけわしくなっている。


「十分くらい前かな。あんたの言ってたようなのがその道を行ったよ。男が先に行って、女の手を引っ張ってた。女の方は何度か振り向いてたな。これでいいか?」


「ありがとう。助かったよ」


 はなれようとすると兄さんは逆さにした千枚通しをき出してきた。彼はげんそうに見つめてる。


「持ってげよ。あんた、まるごしだろ? 危ないかもしれないなら、こいつを持ってった方がいい」


「ああ、そうかもな」


「そうさ。早く行きな」


 千枚通しを受け取りながら彼はほほんだ。たこ焼き屋は肩をすくめてる。


「これが終わったら全部めに来るよ。あんたはせいぜいかせげるよう沢山つくっといてくれ。幾らでも食ってやる」






 その頃、じろしょのトイレでは暗い顔つきの山本刑事が用を足していた。わかぞうは薄くなった毛をながめてる。――ああ、またハゲてきちゃってるんじゃないかな。昨日はワカメ蕎麦そばの大盛り、ワカメ増し食ってたけど、追いつかないくらい抜けてんだ。ま、こんなことになりゃそうもなるだろうけど。


「な、谷村?」


「はい?」


 若造は真剣そうな表情を作り込んだ。山本刑事は手を洗ってる。


「まあ、予想通りだったな。組織ってのは段々くさってくんだ。どうしようもねえよ」


「でも、しょうとぼしいってのはほんとですし、こうなるのが普通なんじゃないですか?」


「そうだろうさ。だけどな、後でこれがバレてみろ。また身内をかばったとか書かれるんだぞ。それはそれでヤバいだろ? 俺たちは身内にこそ厳しくあたらなきゃならないはずなんだ」


 手をき終え、刑事は首を振った。溜息は嫌でもれてくる。


「しかし、山本さん、さっきのは本当っていうか、――いえ、そうなんでしょうけど、ウサギをったのもあいつなんすか?」


「ん、まあ、そうなるんだろうな。俺も信じたくないが、ここまでそろえば九分通りそうなっちまうんだろう」


 外はざわついてる。ドアをあけた瞬間に二人は首を伸ばした。


「なんだ? どうしたんだ?」


「さあ。なんかさわしいですね」


 警官たちが階段をけ降りている。半分は笑い、もう半分はまどった表情だ。顔を見合わせ、二人も下へ向かった。


「どうしたってんだ?」


「おっきな事件でもあったんですかね。でも、その割にゃ、こう、」


 話してる間も後から来る者が追い越していった。女性警官はキャーキャーわめき、たまに「猫が」などと言っている。――猫? 山本刑事は薄い毛をき回した。


「谷村、ちょっと待て。なんか聞こえてこねえか?」


「はい? ――ああ、確かに」


 おどにもかすかに鳴き声が届いていた。二人はまた顔を見合わせ、駆け出した。外に出ると大量の猫であふれかえっている。


「ニャー! ニャー!」


「フンニャー!」


「ナア! ナア!」


「おい、谷村。こりゃ、」


「なんなんすか? なにが起こったんです?」


 そう言ってるあいだに猫は鳴きやんだ。警官たちはげんそうな表情をしてる。


「えっ、どういうこと?」


「山本さんか谷村くんがお目当てだったの?」


「そうなんじゃない? 二人を見て鳴きやんだんだから。――ちょっと、谷村くん、かくれてみてよ」


「マジっすか?」


 アホくさいと思いながら若造はしゃがみ込んだ。しかし、無反応だ。


「ってことは、」


 全員が顔を向けてきた。山本刑事は首を引いている。


「は? なんだよ。俺にも隠れろっていうのか?」


「だって、目白署はじまって以来の大事件ですよ。解決できるのは山本さんくらいでしょ?」


 やいのやいの言われて同じようにすると猫たちはまたいっせいに鳴きだした。


「ほら、山本さんがスイッチなのよ。猫スイッチ」


「なによ、猫スイッチって」


 ほんとだよ。そりゃいったいなんなんだ? 山本刑事はすきからのぞきこんでいる。――ん? もしかしてあの先生になにかあったってことか?


「おい、猫ちゃんたち、」


 そこまで言うとほほゆがんだ。馬鹿馬鹿しく思えたのだ。猫はふたたび鳴きやんでいる。


「その、なんだ、俺に用があるっていうのか?」


 年のいってそうな柴トラが「ニャ」と鳴いた。しっはぴんと立っている。


「蓮實の先生がここに行けって言ったのか?」


「ニャ」


「なにかあったんだな?」


「ニャ」


「わかった。でも、どうすりゃいいんだ?」


 そう言った瞬間に猫は走り出した。ぼうっとしていたものの山本刑事もあとを追った。残された者はまぶたを瞬かせている。誰の頭にも戸惑いの他にあるおかしみが残った。――山本さん、「猫ちゃん」って言ってた。

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