第21章-6


 けいだいからはなれても人は多い。さんどうはぎっしりまっていて、しかもじんへ行くものだからぎゃっこうしてるカンナは前へ進めなかった。


「あの、すみません。――あっ、ごめんなさい」


 少し歩いてはそう言い、ぶつかってはあやまりしながらカンナは《辻会計》のわきみちに逃れた。にぎやかな集団が通り過ぎていく。トントントコトンと音がして、「それそれそれぇ!」と声がつづいた。


「あのコート、なにで見たんだっけ?」


 先をうかがいながらカンナはつぶやいた。男も流れに逆らって歩いてる。ときおりかくれるものの背が高いから頭だけは出ていた。――え? カンナは立ちどまり、息をひそめた。どういうこと? なんでうちの店をのぞいてるの?


 わきでタコのようなものが止まった。それは暗くなった空へき上げられている。たいや掛け声もぢかに聞こえた。そういえば大和田のだんさんをこうしたこともあったな。あのときは千春ちゃんに借りたスーツを着て、「こういうのも似合ってる?」って訊いたんだ。あの人は「似合ってるけど、俺はいつもの方が好きだ」って言ってた。カンナはもと来た道を見つめた。――心配してるかな? いや、デレデレしてるかも。ほんと、はっきりしない人なんだから。千春ちゃんだってそうよ。結婚するならさっさとしちゃえばいいのに。


 あれ? どこ行ったんだろ?


 ベビーカステラたいの前でカンナは辺りを見渡した。お姉さんの顔が見える。向こうも気づいたようで手を振ってきた。ただ、同時に男がかいに入った。ふたまたにわかれてるとこで立ちどまっている。カンナは手を振り返し、そこを離れた。





 同じ時間、蓮實淳もさんどうぎゃっこうしていた。焼きそば屋のじいさんが「ん? あのお姉ちゃんはどこ行っちまったんだ?」と言った瞬間にけ出していたのだ。


「ちょっとぉ、私はどうしたらいいの?」


 千春がさけぶと、彼は「そこにいるんだ! 見つけてすぐ戻る!」とわめいた。それからひとみにっ込んでいった。


「とはいっても人が多すぎるな。ほんとどっからいてきたんだよ」


 彼も《辻会計》のわきみちで息を整えた。見まわしてもはっだらけで誰が誰だかわからない。――いや、あんなの着せるんじゃなかった。いつもの格好なら一発なのに。そう考えてるところに「ニャア」と声がした。顔を向けるとへいに小さな猫がいる。


「ああ、ベンジャミンか。カンナを見なかったか?」


「カンナちゃん? ううん、見てないけど」


「そうか」


 ひたいに指をえ、彼は目をつむった。猫はのぞきこむようにしてる。


「どうしたの?」


「ん、はぐれちゃったんだよ」


「えっ、迷子ってこと?」


「まあ、似たようなもんだ。ところで、みんなはどうしてる?」


「キティさんに言われてパトロールしてんの。屋根に乗って、あの男がいないか見てんだよ」


「じゃ、カンナを見たのもいるかもしれないな。ベンジャミン、キティに言ってくれ。カンナも見つけて欲しいって。それと、けいだいにある焼きそば屋に連絡係を置くようにってな。千春がいるからそれが目印だ」


「わかった」


 小さな身体が消えると彼は歩き出した。ただ、うまく進めない。カンナと同じように「すみません」と言いつつ店の前までたどり着いた。


「あら、どうしたの?」


 振り返った顔を見て、ベビーカステラのお姉さんは笑いだした。


「なによ、またけんしたの? すごい顔してるわよ。そういえば奥さんの方も変な感じだったわね。なんか、こう、考えこんでるって感じで、」


「カンナを見たんですか?」


 その声はようひびいた。お姉さんは首を引いている。


「見たわよ、さっき。――えっと、そうね、五分くらい前だったかな。手を振ったんだけど、あっちに気になることがあるみたいで行っちゃったわ」


 二人はしばらく道の先を見つめた。彼は鼻に指をあてている。


「どうしたのよ、考えこんじゃって」


「いえ、すみません。――あの、もしカンナを見かけたら店に戻るよう言ってくれませんか? その、なんだ、だんが探してたからって」


「もちろんいいけど、なにしたの? あっ、他の女に目を向けすぎたりしたとか? ま、お祭りってそうなりがちだけど駄目よ。あんなかわいい奥さんがいるんだから」


 彼は唇をゆがめた。まあ、そういうことでもあったんだろう。しかし、そんなことを考えてる場合じゃない。


「とにかくお願いします。見かけたら絶対に声をかけて下さい」


「わかったわ。絶対そうすりゃいいのね」


 笑ってるお姉さんに頭を下げ、彼はガラス戸の前に立った。――とりあえずはスマホだな。いや、駄目だ。かぎも持ってなかったんだ。俺ってどうしてこうなんだろ? でも、しょうがない。とにかく探さなきゃならないんだ。


 彼はたいき屋のある方へ向かった。そういや、カンナが一人で来たとき、俺は鯛焼き食ってたな。ちょうどあそこで顔をあわせて「こんにちは」って言いあったんだ。それからすべてがはじまった。――いや、こんなかんしょうも後回しだ。ほんと、どこ行っちまったんだよ。





 カンナがたいき屋の前を通ったのは十分ばかり前だった。その道もじん沿っていて、逆側のゆるい坂とみょうけんどうの前でぶつかっている。目当ての男は人をけつつ歩いていった。カンナも追いつかない程度についていく。うーん、誰なんだろ? と思いながらだ。


 確かに見たことあるのよ。それも、けっこう重要な感じのときに。もう、なんで思い出せないの? この辺まで出てるんだけどな。――あっ、そういえば、あの二時間ドラマにそういう台詞せりふがあったな。だいぶ前に千春ちゃんと三人で話したっけ。えっと、なんだっけ? ああ、そう。「ちょっと待って! 今、この辺りまで出てるのよ!」ってやつだ。あの人はおしりを押さえながらやるギャグって言ってた。いや、違った。そんなの思い出そうとしてたんじゃない。あのコートをなにで見たかを――


 あれ? どこ行っちゃったんだろ? さっきまでいたのに。


 カンナは辺りを見渡した。左に折れる道はあるものの、ひらけてるから曲がったらわかるはずだ。右手には鬼子母神の入り口がある。――ま、こっから入ったらもうわからないでしょうね。ほんとすごい人だもの。っていうか、なにやってんだろ。なんか馬鹿らしくなってきたな。心配かけるのもなんだし、もう戻ろう。最後に見失った場所を確認しようとカンナは首を曲げた。そのとき、黒いワゴン車の裏から声がした。


「カンナさん」


「はい?」


 背の高い顔を見あげると息がまるような気がした。コートの男はほほんでいる。


「――え? 北条さん?」


「そうですよ。どうしたんです? そんな顔して」


「いえ、その、ちょっとびっくりしちゃって」


「なんでびっくりするんです? ずっとつけてたというのに」


「つけてたなんて、そんな、」


 まぶたを瞬かせながらカンナは考えた。――いや、まあ、そうだったけど、まさか北条さんだとは思ってなくて、とか言えばいいの?


「まあ、いいでしょう。少しお訊きしたいことがあるんですよ。歩きながら話しませんか?」


「えっと、」


 カンナはでんの方をうかがった。よく見えないものの黒い猫が通り過ぎていく。あれはクロ? そう思ってると肩を強くつかまれた。


「お願いしますよ。ほんのちょっとだけですから」


「はあ」


 北条は顔を寄せている。――やだ、なんか怖い。でも、訊きたいことってなんだろ。「おつきあいしてる方はいるんですか?」とか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る