第21章-4


 あくひまだった。人はいるけど誰も入ってこない。店にはショーソンの『詩曲』が流れてる。


「ね、ほんとにはっなんか着るの?」


「ん?」


 彼はぼうっとした顔をしてる。暇であってもバステト神像で遊ぶ気分にはなれないようだった。


「なんか言ったか?」


「言ったわよ。ほんとに法被なんて着るの? って訊いたの」


「ああ。ま、あの流れじゃそうなっちまうんだろうな。だけど、この格好にればいいだけだろ」


「そうかなぁ。あのオッサン、ガッチガチの用意してきそうな気がする。ほら、あなたのことすごく気に入っちゃったみたいじゃない。自分と同じコーディネートにするかもよ」


 てんじょうを見上げ、彼はしばらく黙った。さすがにあれは嫌だな。そう思ってるところに電話が鳴った。


「はい、こちらなんでもお見通しの占い師、蓮實淳の店。出てるのはその蓮實淳です」


「ああ、悪い。また店にかけちまったな」


「なんだ、あんたか。――って、こっちにかけてきたってことは、またえらいことが起きたってことか?」


「ん、まあ、そうだな。いま千葉にいるんだよ。ばらだ」


「茂原? なんでだ?」


 カンナは耳はそばだてている。この調子じゃ相手は山もっちゃんだろう。だけど、モバラってなに? もしかしてかいじゅうとか? スマホに「もばら」と打つと「もばら 千葉」と出た。『茂原市は、千葉県の東部に位置する市』とも書いてある。ふうん、地名か。


がわしんせきが住んでるんだよ。そこで聴いてきたんだ。あの後、――母親が自殺した後ってことだが、一家はほんとにさんしてる。兄貴の方は山梨の親戚に、弟は千葉に預けられてるんだ。それでな、」


 言葉はれた。溜息のような音が聞こえてくる。


「それでなんだよ。どうした?」


「ん、ほんと嫌な話なんだがおやも自殺してた。子供たちを預けた後でな。この近くの山ん中で見つかったそうだ」


「ふうん。で、しょはあったのか?」


「は? どういうことだ?」


「そのままの意味だよ。遺書はあったかって訊いてるんだ」


 電話の向こうからはアナウンスが聞こえてきた。ベルの音もする。駅にいるのだろう。


「いや、それはわからない。そこまで聴いてないんだよ。――ああ、もう出ちまうな。いったん切るぞ」


「ちょっと待てよ。大切なことを言い忘れてるぜ。その茂原の親戚はなんて名前だ?」


 カンナは背筋を伸ばした。自然とそうなっていたのだ。声はこう聞こえてきた。


「そうか。やっぱりな。ありがとよ、山もっちゃん」


 彼はまた天井を見上げた。かすかないきづかいだけがしてる。カンナは雑誌を手に取った。――ほんとにもうすぐ終わるんだろうな。私はとにかく用心して心配かけないようにしなきゃ。そう思ったたんほほはゆるんでいった。「君がいなくなったら困る」って言ってた。いや、これも半分は言わせたようなものだけど、あれには前段がある。それに北条さんと会ったときも変な感じだった。きっと、あっちの方が間違ってたんだ。


 ニヤつきながらカンナは雑誌をめくった。頭のどこかはモヤモヤしてるものの、それは気にしないようにしてる。とにかくこれが終わったら長いきゅうを取りましょ。そこから始め直すの。頑張っていくってわけよ。


 がらりと戸があいた。顔を上げるとハゲ頭が見える。


「よっ、持ってきたぜ。今日はこいつを着てくれや。ほれ、これがはっな。ま、こいつはお下がりだが、こっちは買ってきたんだ」


 テーブルに広げられたものを見て、二人は目を合わせた。ただ、笑顔はくずさない。接客業のしゅうせいがそうさせたのだ。


「これはこいぐち、で、こいつがももひきだ。だいたいの背格好でそろえたんだが、おれいなお姉ちゃんは一度しか会ってねえし、立ってるとこも見てねえだろ? だけど、こっちのお姉ちゃんとそんなに変わらねえと思ってよ」


「っていうか、こんなにいいんですか? これはさすがに、」


「いや、いいんだって。何度も言うようだが、びのつもりなんだ。それによ、柏木さんのかたきをとってもらわなきゃならねえからな」


 表情は一瞬だけこわった。カンナはそれを見逃さない。なんて言われるかもわかった。


「ああ、そうだ。お茶をお出ししてくれ」


 はいはい、やっぱりね。でも、その方がいい。このオッサン、「お綺麗なお姉ちゃん」と「こっちのお姉ちゃん」って言ってた。まあ、お綺麗じゃないのはわかってるけど、本人を目の前にして言うことじゃないでしょ。


「――でな、こうやって、このひもを前でめるんだ。ほれ、俺の見てみろよ。こういう感じだ。そいでせっきゃ、かんぺきってわけさ」


「はあ、なるほど」


 彼はさも感心したというような声を出してる。お茶をれながらカンナは奥の窓を見た。――そういえば、ペロ吉はどこ行っちゃったんだろ?






 仕事帰りにやって来た千春は戸をあけるなりまゆをひそめた。カンナはすであきらめた表情をしている。


「どうしたのよ、それ。――って、もしかして私のもあるの?」


「あるわよ。この前のおじさまが用意してくれたの。『おれいなお姉ちゃんの分も』って」


 ほほはわずかばかりゆるんだ。カンナは口をとがらせてる。――ふんっ、お綺麗なのはわかってるってんでしょ。


「で、あの人はもう着替えてるってこと?」


「そう。やだとか言ってたけど、その気になったみたい。もう三十分経つわ。なにしてんだか」


「きっと鏡見てニヤニヤしてんのよ。あんな顔の割りにはナルシシストだから」


 コートをぎ、千春は向かいに座った。目は祭りしょうぞくに向かってる。


「こんなの着たことないわ。カンナちゃんはどうするの?」


「ま、着るしかないんじゃない。これもお店のためと思って諦めるしかなさそうだわ」


「そう。だけど、ちょっと本格的に過ぎない?」


「でしょ。ガッチガチに本格的よ。それに、『なんたらこう』がどうのって話してたから毎年着なきゃならなくなるみたい」


「ふうん。私はどうしようかしら」


 千春は腕を組んでいる。カンナは奥へ向かった。とりあえずコーヒーでも出しとくか。そう思ったのだ。


「ま、あの人のことだから、千春ちゃんにも着ろって言うでしょうけど、」


 そこまで言って、カンナは手を止めた。――あっ、そうか。もし千春ちゃんが着ないなら私とあの人だけってことになる。その方がいいかも。


「でも、無理に着なくてもいいんじゃない? 別にお店の人じゃないんだし」


「そうよね」


 表情を整え、カンナはコーヒーを運んだ。千春はそでたけも短いピンクのシャツを手にしてる。――って、着るなら、かわいい方を選ぶんだ。


「あくまでも私はお店のためにと思ってるだけよ。着たいわけじゃないの。こんな格好してんの見られたくないし」


「まあ、そうね。会社の人に会ったりしたら、かなり気まずいわ」


「うんうん、そうでしょ」


 そうなんだって。たま輿こしに乗れちゃうかもしれないんだし、千春ちゃんはこんなの着なくていいの。カンナは身を乗り出してる。自分では気づいてないけど口許はゆるんでいった。


「っていうか、カンナちゃん、私に着させないようにしてる?」


「は?」


 まぶたを瞬かせ、カンナはあごを引いた。そのとき、間の抜けた声が聞こえてきた。


「おい、カンナ、どうだ? けっこう決まってるだろ。――おっ、千春も来てたのか。ほら、見てくれよ。かんぺきな祭り姿だぜ」


「それで行くの?」


 唇はふたたびゆるんでいった。髪はみょうなリーゼントスタイルになってる。これじゃ同じ格好になりたくないかも。そう思わせるちだ。


「もちろん。いや、髪型で悩んでさ。でも、なんとか格好良くできた。まさに完璧だ」


 それが? 笑いだしそうになったけどカンナはタイミングを失った。立ち上がる気配を感じたのだ。


「じゃ、私たちも着替えましょ」


「え?」


 ほほは引きつった。ほんとに着るの? しかも、かわいい方持ってるし。

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