第21章-3


 ふたたび外に出るとさわがしい空間はみにくいものになっていた。カンナはペロ吉を抱きながらひとみを見つめてる。トコトントコトンと音がして、「そりゃさっさぁ!」と声が上がっていた。


「あら、かわいい猫ちゃんじゃない」


 ひたいを押さえながらベビーカステラのお姉さんがやってきた。たいには高校生くらいの女の子が立っている。


「おたくの猫ちゃんなの?」


「いえ、違うんですけど、」


 そう言いかけてカンナは顔をあげた。目許は笑ってる。


「そうだ。――ね、うちに来てもらえばいいんじゃない? そうしましょうよ」


「うちに? ペロ吉を?」


「そう、うちに来てもらうの」


 彼はまゆをひそめた。なんだか「うち」というのをみょうに強調してるように思えたのだ。


「あら、だんさんは猫ちゃん嫌いなの?」


「いえ、もうるいの猫好きっていうか、考えられないくらいたわむれてるんですよ。間に入るのが怖いくらい」


「そうなの? そりゃけちゃうわね。奥さんそっちのけってんじゃねぇ」


「ほんとそうなんですよ。――ねえ、いいでしょう? ペロ吉だってその方がいいはずだもん。そうしましょうよ」


 いつもより目をひらき、カンナは見上げてきた。――なんだこれ。ほんとに夫婦みたいになってんじゃねえか。っつうか、いいかげんていしろよ。


「ま、かわいい奥さんにそこまで言われたらうしかないわね。うちも子供に泣きつかれてトイプードル飼ったのよ。ほら、あの子、うちの長女なの」


「えっ、そうなんですか? あんな大きなお子さんがいるなんてびっくりです」


「そうお? ま、あの子の父親ともいろいろあってね。ほら、この前話したでしょ。にんしんしてるときに浮気されたの。あれはほんと大変だったわ。こっちはお腹が大きくなってるでしょ。そんなときにけんになってられでもしたらおおごとだもん。そりゃ怒りまくってたけど、どう言っていいか悩んだものよ」


 っていうか、どんな人と結婚してたのよ。妊娠中に蹴ってくるかもしれない男ってわけ? カンナはあごを引きかけた。そのとき、「あっ、」という声がした。


「あら、すごく格好いいお巡りさんじゃない」


 北条は頭を下げた。その後ろにも小太りなのが一人いる。


「ああ、あなたはあのときの。そうですよね?」


「――っと、あなたでしたか。その、あのさいは、」


「いえ、終わったことですから気にしないで下さい」


 そでを引きながらカンナは「誰なの?」と訊いた。お姉さんは格好いいお巡りさんを見つめてる。


「ほら、俺が引っ張られたときにさ」


「ふうん、そうなの」


 目を向けると警官は頭を下げた。北条も同じようにしてる。


「ちょっと、ママぁ、早く戻ってきてよぉ。これどうすればいいの?」


「あら、ごめんなさい。すぐ行くわ」


 手を振りながらお姉さんは戻っていった。彼はほほゆがめてる。


「そういえば訊きたいことがあったんですよ。あの日、私たちは六時に待ち合わせてたはずでしたよね? でも、あなた方が来たのは六時過ぎだった。あれはそちらの方が時間を間違えたからと聴きましたが、」


 太った警官はうなずいてる。ただ、話したのは北条だった。


「それは前にもおこたえしましたよね?」


「でも、もう一度お訊きしたくなってね。どうなんです?」


「ええ、確かに私は六時にと言いました。それでこの者に同行を頼んだんです。しかし、こうとうでのことだったのでかんちがいしたんでしょう。交番に来たのが六時だったんです」


「なるほど。時間は合ってたが、待ち合わせ場所を間違えたってことですか」


 トコトントコトンと音がする。笑いあう声やせいに近いものも聞こえていた。カンナは首をすくめた。なんとなく嫌な感じがしたのだ。


「そうなんです。急いで向かったんですが、あの時間になってしまって。本当に申し訳ございませんでした」


 北条は深々と頭を下げた。太った警官は目だけしきりに動かしてる。


「なにかに落ちないことがありますか?」


「いえ、ありませんよ。何度も訊いて済みませんね。もう大丈夫です」


「はあ」


 じんへ向かう背中をながめながら彼は頬をゆるめた。カンナはのぞきこんでいる。


「どうしたの?」


「ん? ああ、嘘について考えてたんだよ」


「嘘?」


「そうだ。カンナ、嘘ってのはどこまでいっても嘘なんだよ。どんなにせいこうに作り込んだものであってもいつかはほころぶ。まして、たり的に出てきたものなんてすぐバレるんだ。ただな、ある種の人間は人生そのものを嘘まみれにする場合がある。きっと真実を見つめつづけるには弱すぎるんだろう」


 制服は人混みにまぎれていった。それでも彼はずっとそちらを向いている。


「いいか? カンナ。これはもうすぐ終わる。もうちょいのしんぼうだ」


 その声はように聞こえた。うなずきながらカンナはまた袖口をつかんでいた。

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