第20章-8


「さて、どうしたもんかな?」


 ガラス戸の先をはっ姿すがたが通り過ぎていく。彼は戸口に立ったままだ。――どうやって話せばいいんだろ? 山もっちゃんにもだけど、カンナにだってそうだ。まったく変なことに関わっちまったもんだな。


「なんだ? なんで暗いままにしてる?」


「ん? ああ、」


 彼は電灯をつけた。刑事のほほゆがんでる。


「どうした? 変な顔して」


「はっ、そりゃ、お互い様ってやつだろ。お前さんもそうとう変な顔してっぞ。――あん? それはどうしたんだ? カンナちゃんに引っ掻かれでもしたか?」


「違うよ。っていうか、カンナはそんなに引っ掻きそうに見えるのか?」


「そうじゃねえけどよ。その、なんだ、お前さん方ならそういうこともあるんじゃねえかって思ってな」


「なんだよ、それ」


 彼はベビーカステラの袋を広げた。刑事はしげしげと見つめてる。


「ああ、こりゃなつかしいな。ガキの頃によく買ってもらってたよ。むちゃくちゃ甘いんだよな。でも、それなりに美味い」


「向かいにたいが出てるだろ? そこのお姉さんにもらったんだ」


「ふうん」


 一つまみ上げると刑事はほおった。目許はゆるんでる。


「で、そうのおばちゃんはどうなった?」


「ん、とりあえず今はけいをつけてるよ。張り込んでるのと変わりないが、向こうもしょうしてるんで問題無いだろう」


「それで、なにが聴けた?」


「いや、そっちが先だ。こっちはまだまとまってないんだよ。混乱してるんだ」


 脚を伸ばし、彼は髪をかき上げた。目には光が入ってる。


「じゃあ、まずはそうだな、俺たちが馬鹿げた間違いをしてたことから言うか。すべてのぜんていくずれる話だ」


「すべての前提が崩れる? なんのことだ、そりゃ」


「いいか? 山もっちゃん、俺たちは柏木伊久男を殺した奴を見つけようとしてた。あいつはきょうはくしゃだった。だから、その被害者の中に犯人がいるんじゃないかって思ってたんだ。でも、ふたを開けたらまた違うようが出てきた」


 刑事は指先についた砂糖をめている。表情は変わらない。


「いや、脅迫してたのは確かだし、俺たちをはいぎょうに追い込もうとしたのも事実だよ。ただ、脅迫については他の者にやらされてたんだ。俺たちの方だって、やり口を指示されてのことだったんだろう」


 外はさわがしくなってきた。ソファにもたれかかり、彼は薄くほほんでいる。


「まったくていしないのはあんたの方にも思い当たることがあるってことだな。そうなんだろ?」


「いいからつづけろよ。まだすべての前提は崩れてないぜ」


「わかった。じゃ、それを言うよ。あのな、柏木伊久男を殺した犯人なんていないんだ。あのじいさんは自殺したんだよ」


「はあ? なんでそうなる?」


「あらゆることがそれを示してる。しかし、その前に十二年前にあったことをおさらいしよう。それが事件のほったんなんだ。山もっちゃん、俺はひるよしから平子のばあさんと長谷川ってりんじんのトラブルについて聴いてきたんだ。そこにもあの男はやっぱりからんでた。ま、平子の婆さんからすりゃ、けいしょ帰りの男を向かわせてビビらせようと思ったのかもしれないな。ただ、長谷川のカミさんってのがひとすじなわでいかない女だった。そんなのは知らないって言い張ったんだ。その上で家族にはなんくせつけられたってことにしたんだろう。脅迫してってきたってな」


「それで?」


「あの男は馬鹿だったんだよ。そのくせ、人がいいんだ。おせっかいなんだな。話にいってもらちがあかないと今度はビラをった。しかし、それは長谷川のカミさんがそういうことをしてるせんでんになる。トラブルを収めようとしてかえってきつけたようなもんだ」


「それはこの前のおやっさんからも聴いたよ。それがどうしたってんだ?」


「いいか? 脅迫とビラだ。十二年前、柏木伊久男とそれが結びついた。いや、結びつけちまった奴がいるんだ。長谷川の子供だよ」


 彼は立てた指を顔の前に持っていった。刑事は目をつむってる。


「なるほどね。そういうことか。――で?」


「平子のってた猫は次々と殺されていった。あのオッサンはビラが張り出された前後のことだと言ってたよな? それも長谷川のカミさんのわざと思われたんだ。ただな、ちょっと引っかかるんだよ。ウンコを放ってたのは知らぬぞんぜぬで押し通したんだぜ。自分がやったにもかかわらずだ。だったら猫が死んだのだって知らん振りしときゃいいだろ? でも、結果的には自殺してる。おかしいと思わないか?」


「なにが言いたいんだよ」


「もし長谷川のカミさんが殺してたらうわさが持ち上がっても知らん顔でやり過ごしたはずだ。だって、ウンコのときはそうしてたんだぜ。なあ、山もっちゃん、さっきは自分でやったにもかかわらずって言ったが、自分でやったことだから嘘もつけるんだよ。嘘をつきつづけるにはじょうきょうがわかってないと無理なんだ。だから、自殺したのは自己発信じゃないのを示してる」


「そりゃ、やっぱりやくに思えるな。お前さんの想像に過ぎない」


「いや、違うね。人間はそう動くもんなんだ。まあ、行動パターンってのは何万通りもあるんだろう。とっぴょうなく思える行動ってのもありはするよ。しかし、それでもある程度の型はある。長谷川のカミさんは自殺した。そのタイミングが問題なんだ。話にいったときは追い返してる。ビラが貼られても意にかいさなかったんだろう。ただ、猫が殺されていくと自殺した。それには意味があるはずなんだ。たとえば自分の子供がやってるのを知ったとかのな」


 彼は指先を向けている。刑事は薄目をあけた。


「かもしれないが、それだって想像だよ。にわかには信じられんね」


「いいだろう。じゃあ、それでどうなったか想像で話すよ。これは最近のことだ。柏木伊久男は五年前に戻ってきた。その頃にはあいつのぜんれきを知ってるのほとんどいなくなってた。古川祐次を殺したのは越してきて程なくだったし、長谷川のことがあってすぐ板橋へ行っちまったんだ、そうであってもおかしくないんだろう。だから、評判のいい爺さんってことで通ってたんだ。しかし、それに腹を立てた奴がいたんだな。母親を自殺に追い込んだのに人気者気取りかよとでも思ったんだろうさ」


 刑事はひざをつかんだ。まぶたはひくついている。


「ま、想像にしちゃ、できた話なんだろうな。ただ、しょうがない。それだけじゃ警察は動けないね」


「はっ! 証拠っていうなら俺を捕まえたときだってなかったはずだぜ。あんとき俺は『証拠があるなら見せてみろ』って言った。それで、わかぞうに胸ぐらをつかまれたんだ。あんたはこう言った。『そんなのは探そうと思えば幾らだって出てくる。だから、いちまえ』ってな」


「ふんっ! よくそんなの憶えてたな。もう忘れちまえよ」


「嫌だね。これは死ぬまで憶えてるよ。いいか? 山もっちゃん、ああいうストレスはずっと残りつづけるんだ。それは長谷川の子供にも残ってたはずだ。しかも、自分にごうのいいようにひん曲げてな」


 時計に目を落とすと彼は髪をき回した。刑事は浅く息を吐きつづけてる。

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