第20章-7


 薄暗いがりがまちで振り向くと、よしふすまの方を見た。


「ああ、すみません。袋が置いてあるんですが。その、ビニール袋が」


「取ってまいりましょうか?」


「いえ、置いていくつもりだったんで大丈夫です。ま、私が出ていったら見て下さい。すぐにどういうことかわかるでしょう」


「はあ」


 くつき、彼は深々と頭を下げた。嘉江も同じようにしてる。たいの音は大きくなった。


「はじまりましたね。今年は私も参加することになって、カンナと一緒に行くんですよ」


「まあ、それは。カンナさんは大喜びしてるでしょう」


「どうですかね」


 こうの前でもう一度頭を下げ、彼はしきいしんだ。しかし、そのまま動かない。


「ああ、最後にもう一つだけ。あのアパートの家賃は八万円で合ってますか?」


「はい? ええ、そうですが?」


「それと、もう一つ。あなたはビラを見て、あの男に意見して下さったんですよね? それでもまたビラはられた。そのときも同じように?」


「はい。もうやめて欲しいと言いました。それが?」


「いえ、確認したかっただけです。ありがとうございます」


 戸が閉まると嘉江は細く息をいた。それから襖をあけ、しばらくそこにたたずんだ。三つならんだはいは黒ずんでみえる。その中で白いものだけがにぶく光を放ってるようだった。――たぶん、あの人はこれが誰のものかわかったんだろう。それについてはなにも言わなかったけど間違いには気づいたはずだ。


「ふう」


 溜息をついた瞬間によろけるようになった。目にはぞうに置かれたビニール袋が映る。腰をかがめ、それを手にしたときには口許がゆるんだ。ほんと、なんでもお見通しなのね――そう思ったのだ。






 門を出た彼は笑いだした。細い枝にクロがぶら下がっている。


「って、クロ、どうした?」


「どうしたもこうしたもねえよ。先生、助けてくれ」


 手を伸ばしても届かない。クロは爪を引っかけるようにしてなんとかえてるようだ。


「こりゃ、どうしたもんかな。――ああ、そのまま落ちてこいよ。俺が受け止めっから、ここに落ちるんだ」


「落ちる?」


 下を見た瞬間にしっちぢんだ。――駄目だ。顔をあげるとオチョがのぞきこんでいる。


「あいつ、とことんこんじょうわるだな。なにがくろひょうだよ。この枝だって全然弱っちいじゃねえか」


「なにごにょごにょ言ってんだ。ほら、大丈夫だから落ちてこいって」


「オチョみたいなこと言ってるな。ああいうの信用ならないんだよ。――でも、しゃあねえか。いずれにしたって落ちるしかねえんだ」


 腹を決めたクロは身体を振った。もじゃもじゃの頭まではきょがある。はずみをつけないとあそこまでいけないだろう。


「おっ、いいぞ。そうやって飛べ」


 クロはあしはなした。しかし、もくそくあやまったのだろう、だいぶ高いところを飛んでくる。


「おい、落ちるとこが違うぞ! ――あっ、痛え!」


「っていうか、先生も動きゃいいだけだろ? どんだけ運動神経悪いんだよ。――駄目だ、先生。動くなって。落ちちまうだろ?」


「だったら、爪をしまえよ。むちゃくちゃ痛いんだ」


 がしてもクロはじたばたしてる。屋根の上からは「ニャー!」と聞こえてきた。


「どうした? オチョはなに言ってんだ?」


「ありゃけいこくだな。誰か出てくんのかもしれねえぜ」


 いたべいをまわり、彼はものかげひそんだ。よしが前を通り過ぎていく。


「クロ、あとを追うんだ。大丈夫か?」


「まあ、なんとかな。――じゃ、行ってくるぜ」


 黒い身体が走り出すと彼はこめかみに指をあてた。血が出てる。それをしばらく見てから電話をかけた。だいたいはつながりつつある。後は確認するだけだ。


「ああ、山もっちゃん、いまどこにいる?」


「ん、えっとな、けっこう近くだ。明治通り沿いにあるコンビニだよ。防犯カメラを見せてもらってたんだ」


「じゃ、こっちに来てくれないか? 顔を見て話したいことがあるんだよ」


「これからか?」


「可能であればすぐがいい。ひるよしから話を聴いてきた。たぶんこれですべてが繋がるはずなんだ。そのためにも調べて欲しいことがある」


 声はれた。じんわきみちはごった返してる。


「わかったよ。すぐ向かう」


「そうしてくれ。時間があまりないんだ。もう少しでカンナが来ることになってる。その前に終わらしたいんだ」


「カンナちゃん? カンナちゃんになにかあるのか?」


「それはいいから早く来てくれ。――ああ、ちょっと待った。そうのおばちゃんはどうなった?」


「ん、吉田和恵のことか。それについては会ってから話すよ。俺もこいつは顔を見て言った方がいいように思えるんでな」


「わかった。じゃ、頼むぜ」


 彼はふたたびこめかみに指をあてた。瞳には様々な色が映る。それを払うように歩き出したところに声が掛けられた。ベビーカステラのお姉さんだ。


「あら、どうしたの? 顔に傷なんかつくっちゃって。奥さんとけんでもしたの? それでかれたとか?」


「いや、違いますよ。そんなんじゃないんで」


「ほんと? ――ま、いいわ。はい、これあげる。奥さんと食べて。喧嘩したときはね、甘い物あげるといいわよ。食べてるときって幸せでしょ? 怒ってるのが馬鹿馬鹿しくなるから」


 だから、違うんだって。そう思いながらもめんどうになってきた。お姉さんは紙袋を差し出してる。


「ああ、ありがとうございます。でも、いいんですか?」


「いいのよ。三日だけとはいってもご近所さんになるんだし、こんなにうるさいと店にも影響あるでしょ。そのおびもねてよ」


 頭を下げてるあいだにお姉さんは戻っていった。

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