第19章-6


「さて、」


 振り返った顔にはためいのようなものが見てとれた。カンナは不思議そうに見つめてる。


「ようやく様々なようつながってきたな。全体が見えるようになってきた。しかし、まずは山もっちゃんの話を最後まで聴こう。考えるのはそれからだ」


 刑事はけんしわを寄せている。外は暗くなり、店の中もぼんやりしていた。戻るときに彼は電灯をつけた。


「たしか、かしわが線路向こうに越してきたってとこまでだったな。それからのことを教えてくれ」


「ああ、だが、平子のばあさんが気になるな」


「そうだろうが、ここはじゅんじょだって話した方がいい。これまでそうやってとっちらかっていたんだ。まずは柏木伊久男について知ることだ」


 しばらくだまっていたものの刑事は手帳をひらいた。眉間の皺は深くなっている。


「ええとな、二十七のときにあのじいさんは線路向こうに越してきた。今から四十年以上も前のことだ。そこで平子の婆さんと知り合ったのかもな。ただ、その二年後にしょうがいたいされちまったんだ。これについちゃに落ちないとこがあるし、お前さんも違うふうに考えてるようだが、当の本人はめんしきの無い人間をなぐり殺したって認めてるんだよ。ありゃ、三年以上二十年以下のちょうえきだ。柏木伊久男も八年くらってる。出てきたのは六年後――つまり、三十五のときだな」


 踏切の音が聞こえた。けやきにとまってるのだろう、仲間を呼ぶようにからすが鳴いている。カンナはごこわるそうに身体をすった。


「それからいったん地元に戻ってんだ。ただ、あまりかんげいされなかったんだろうな、ほどなくして姿を消してる。長野の方に仕事があると言ってたようだが、本当かどうかわからない。調べるとなりゃ、それなりに時間がかかるんだよ。――で、またこの辺に戻ったのは十二年前だな」


「なるほど。十二年前ね」


 溜息まじりにつぶやくと彼は腕を組んだ。脚は投げ出すようにしてる。


「十二年前ってのに思いあたることがあるのか?」


「まあね。ひるだんくなったのがその頃なんだ。柏木伊久男はそれを知ってここに来たのかもしれない。ま、逆にいや、生きてる間は近寄りたくなかったんだろ」


「どういう意味だ?」


 首を振り、彼は目をつむった。蛭子嘉江から受け取った映像を思い出そうとしてる。ただ、上手くいかなかった。


「それも後回しだ。つづけてくれ。その後も柏木伊久男は引っ越していったはずだ。あのアパートに落ち着くのは五年前なんだからな」


「その通りだよ。あの爺さんはなぜかまた引っ越してる。でも、どこにいたかわかってる。板橋だよ。六十過ぎて、そこの鍍金メッキ工場で手伝いみたいのしてたんだ。もしかしたらどこにいたかわからねえ間にそういう仕事してたのかもな。あのアパートのりんじんもそんな感じのこと聴いたって言ってる。そっちの爺さんもずっと工場勤めでな、そういう話をよくしてたようだ。――っと、これで終わりだ。とりあえず調べられたことは全部話したぜ」


 目をあけると彼は鼻に指をあてた。唇はみょうねじれてる。


「また幾つかのことが繋がったな。いや、ほんと初めからこうしときゃよかったんだ。山もっちゃん、俺たちはそうとうえんな道を通ってたんだよ。柏木伊久男の行動にだいたいすべてが示されてたんだからな」


 手帳をしまい、刑事はあごき出させた。


「じゃ、そっちの番だ。思わせぶりなのはやめてその示されてたってのを教えてくれ」


「いいだろう。後の方からはじめるぜ。柏木伊久男は鍍金工場で働いてたんだよな? 鍍金工場っていや、なにがある?」


「ん? ――ああ、そうか」


 長く伸びた顔を見て、カンナは手を挙げた。


「え? なに? なにがあるの?」


せいさんカリだよ。鍍金工場にはあるもんなんだ。たまにニュースになるだろ? 二千人のりょうになる青酸ごうぶつふんしつしたとかな」


「ってことは――、ん? どういうこと?」


「山もっちゃん、柏木伊久男が飲んだのは青酸だったのか? いや、その顔を見りゃ、そういうことだよな?」


「ああ、そうだ。けっこうな量だったようだ。ありゃにおいでわかるし、口に入れてもすぐき出したくなるもんなんだ。――しかし、そうか。殺された方だったもんで気にもしてなかったよ」


 唇はさらに捩れた。そのままの表情でデスクへ向かっていく。戻るときには小さな紙を持っていた。


「次は十二年前に一度ここに来たことだな。いいか? 山もっちゃん、あんたはこの写真を見せながらこう言った。『見ただけでわかる。こいつは好きな女を写したもんだ』って。それはその通りなんだろう。そして、あの男とってはそれが全てだったのかもしれないな」


 テーブルに放られた写真は笑いあう三人のものだった。それをのぞく三人はしんこくそうに顔をしかめてる。


「柏木伊久男は蛭子嘉江のことが好きだったんだろう。いや、深く愛してたんだ。もしかしたら、少々深すぎるくらいにね。しかし、結婚したのはおさなみの方だった。そういう場合、人間はどう動く? 心の底からしゅくふくできるか? 俺はそう思えない。くやしかっただろうな。しかも、愛する女のために殺人までしてたとしたら悔しいだけじゃ済まないだろう」


 二人は顔をあげた。彼は真顔で見返している。


「どういうこと? あの爺さんは蛭子の奥さんのために人殺しをしたっていうの?」


「可能性はある。いや、ずっと『悪霊』って言葉がつきまとってたのを考えるとそうでなきゃおかしいくらいだ。それに、柏木伊久男の過去にそれは示されてる。二十七のときにあの爺さんはこの近くに越してきた。蛭子家と知りあいだった幼馴染みが世話してくれたってわけだ。三人の関係もそこから始まったんだろう。ただ、柏木伊久男は殺人でぶち込まれちまったんだ。その間に二人は結婚した。そんなとこにのこのこ顔を出せるか?」


「まあ、気持ちはわからないでもないけど」


「だろ? 柏木伊久男は長野かどっかで新しい生活を始めた。ずっと独り者だったかわからないが、後のことを考えればその可能性はある。そして、憎たらしい幼馴染みが亡くなったのを知って、ふたたびこの近くにあらわれたんだ。そこで平子の婆さんが抱えたトラブルにも関わってたはずだ」


「はあ?」


 刑事は首を引いた。口はのうしていないかのようにひらいてる。


「なんでそうなる?」


「さっきのオッサンはこう言ってたぜ。『誰かが間に立って話に行った』、『でも、聞く耳持たねえって感じだったんでビラをった』――な? ビラだ。ここでやっと出てきたんだよ。俺はずっともんに思ってたんだ。俺たちを追い込むのになんでビラなんか貼ったんだろうってな。ま、これについちゃまだ考えるべきことがあるが、繋がりはした」


「かもしれねえが、ちょいとやくし過ぎてんじゃねえかな」


「違うね。俺はやっと柏木伊久男のことがわかりかけてきたんだ。まあ、間違ったことばかりしてた男に違いないが、その根っこはれいんでたんだろう。俺たちに向けられた悪意だって奴なりの正義があってしたことなんだ。それと同じものが十年くらい前にもはっされちまったのさ。それで平子の隣人は自殺するになり、あの爺さんは逃げ出したんだ。ただ、蛭子嘉江の近くにはいたかったんだろう。だから、板橋なんだ」


 彼は立てた指を目の前に持っていった。瞳には強い光がたたえられている。


「そのことをもっと知る必要があるな。しかし、ヒントはある。平子の婆さんが食ってかかってたっていう若い男だ。そいつが婆さんを殺した。――ん? 山もっちゃん、そうのおばちゃんはどうなった?」


「吉田和恵か? 住んでるとこはわかったがそれきりだ。っていうか、いつ行っても出てこねえし、しばらく前から仕事にも行ってねえみたいなんだよ。ま、こいつもおどされてんだ、俺たちにぎ回られたくないのかもしれねえがな。そういや、なんで脅されてたかもわかってねえよな」


「それはもういい。でも、すぐ話を聴いた方がいいな。それにすべきかもしれない。犯人が知ったら危ないだろ?」


 下唇をき出し、刑事は腕を組んだ。納得いかない表情をしている。


「さっきも言ったが、飛躍しすぎてるように思えるよ。話が出来過ぎなんだ。それに、さっきのおやっさんの話をそこまで信用していいかもわからねえ」


「話が出来過ぎってのはそうなんだろう。でもな、山もっちゃん、せいごうのとれた話ってのはそういうもんなんだ。それにな、まだあるぞ」


 ばらくように写真を取り出し、彼はそのうちの幾枚かを手にした。


「あった、これだ。『HM20Y』だな。まだ名前もわかってないが、『M』だからこれは男なわけだ。よく見てみろ、若い男にも見えるだろ?」


「こいつが平子の婆さんを殺したって言う気か?」


「かもしれない。それにな、思ったんだが、ここに写ってる小学校ではウサギが殺されてる。こいつはそれを示してるのかもしれない」


 山本刑事は薄い毛をき回した。ほほは深刻にゆがんでる。


「ああ、もうわけがわからねえな。頭がパンクしそうだよ。もしこいつがウサギを殺してたとして、それでどうなるってんだ? 柏木伊久男はそれをネタに脅してたっていうのか? でも、お前さんは違うようにも言ってたろ? どういうことなんだよ」


「繋げるんだよ。ひとつひとつの事実を繋ぎあわせるんだ。そうすりゃ、まとまっていく。それにな、思ったんだけど、この『HM20Y』と『HF80Y』――つまり、蛭子嘉江だけは他と違ってる。蛭子嘉江のリストには写真を示す番号がなかったし、これも他のと明らかに違ってる」


「違ってるってのは? ――ああ、ブレてねえってことか?」


「そうだ。この写真だけ他と違うだろ? まるでさんきゃくを使ったみたいにな」


「でも、脅迫のネタを撮るのにそんなの使わねえって言ったのはお前さんだぜ」


 カンナは写真をじっと見つめてる。ぼんやりしてるけど濃いブルーのコートを着てるのはわかった。


「これを撮ったのが柏木伊久男だったら変だよな。でも、この男が撮ったとしたらどうだ? いや、これは思いつきみたいなもんだが、もしそうなら三脚を使うしかないってことになる」


「は? こいつは脅迫されてたんだぞ。自分でそのネタをつくったとでも言うのか?」


「そうかもしれない。でも、とにかく他とこの二つが違ってるのは確かだ。その違いがどこから来てるか探るんだ」


 そう言いながら彼はカンナに目を向けた。表情にはやはりためいがあるようだ。


「え? なに? どうかした?」


「いや、」


 鼻先をたたきつつ彼は姿せいを正した。刑事は首を振っている。


「まだ納得いかないか? いいだろう。じゃあ、最後にもう一つだ。柏木伊久男が殺した相手だけどな、古川って名前じゃないか? そうだろ?」


「なんでわかった?」


 手帳をり、刑事は細めた目を向けてきた。


「そうだ。古川祐次だ。どうしてそんなの知ってんだ?」


 彼は無理につくったのがわかる笑顔を浮かべてる。そのままだるそうに指を突き出した。


「何回言わせるんだ? 俺はなんでもお見通しなんだよ」

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