第19章-4


 ソファに座ると彼は投げ出すように脚を伸ばした。しんこくそうな表情でしきりに溜息をらしてる。刑事はカップを置いた。


「なあ、『ふう』だの『はあ』っていったいなんなんだ? さっきも言ったが俺はひまじゃねえんだよ。なにかあるなら言ってくれ」


「ああ、悪い。ちょっと嘘について考えてたんだ」


「嘘?」


「そう、嘘だ。いいか? 山もっちゃん、俺は嘘が苦手なんだよ。つき通すことができないんだ。それはどうしてかって考えてたんだ」


 時計に目を落とし、刑事は腕を組んだ。ほほは引きつっている。


「それは長え話か? 俺の方でもちょいと長いのがあるんだがな」


「いや、そこまで長くないよ。ほんの思いつきみたいなもんだから。――でな、山もっちゃん、嘘が苦手な人間にはすくなくとも二通りのタイプがある。一つは馬鹿でせいごうせいを持たせられない奴だ。もう一つはしょうしんものだからちゅうたんしちゃう奴だな。ただ、嘘がとくな、あるいはそういうのが普通になってる奴もどこかで破綻するもんなんだ」


 鼻先をたたきながら彼は話した。ずっと前を見てるものの瞳は動いてる。刑事の視線もそこへ向かった。


「ま、いずれにしたって嘘つきは周囲の者の言動にびんかんになる。それに合わせて自分の言動を変えなきゃならないんだ、そうなって当然なんだよ。だから、いっかんせいがあるように思えてもそれがとぼしい場合、そいつは嘘をついてることになる」


「そりゃ、いったいなんの話なんだ? だからなんだっていうんだよ」


 刑事は目を細めた。さっきからカンナちゃんをちらちら見てっけどなんなんだ? そう思っているのだ。


「だからなんだってことはないよ。思いつきって言ったろ? でもな、これはかしわにもいえることだ。あのじいさんには一貫性がない。話に整合性がないんだよ。それで思ったこともあるんだ。言っていいか?」


「いいぞ」とこたえ、刑事はソファに沈みこんだ。


「これは占いにも当てまることなんだ。俺は人の経験を見ることができる。しかし、なにを考えていたかわからない。るいすいしてつなぎあわせてるだけだ。一つの経験と次の経験を結ぶにはこういう動機があったはずだと考えるんだよ。たとえば、あんたを見たときにはこう思った。母親の事故、しゃりの雨、そこへあんたは飛び出した。警察はさまいつづけたあんたをし、飲酒事故を起こした奴も捕まえてくれた。だから、――そう、だから、あんたは刑事になった。つまり、結果があり、その結果をもたらしたであろう原因がある。それを繋いでるんだ。しかし、柏木伊久男にはそういう連続した動機がないんだ。場当たり的に動いてるとしか思えない。これはどこかに嘘がふくまれてるからだ。そうでなかったら一人の人間の意思でなく、他のようが含まれてるんだろう」


 最後の部分を聴いたとき、片方のまゆがあがった。


「一人の人間の意思でない? そりゃ、どういう意味だ?」


「俺は何度も言ってるぜ。あの爺さんはだって。その理由はわかってなかったが、なんとなく見えてきたことがある。――そう、前にはこうも言った。あれだけのきょうはく相手を一人で探せたんだろうか、ってな。それも誰かにやらされてたなら理解できるかもしれない」


「あの爺さんはそそのかされてたっていうのか?」


「そう考えると理解しやすくなるんだよ。脅迫されてた者たちとの関係だってそうだ。しぎぬまはこう言ってたぜ。『おどしにきていたが、まるで誰かの使いみたいだった』」


「ふむ、なるほどね。ようやく実際的な話になってきたな」


「違うよ。全部が実際的なんだ。あんたたちは表面しか見ていない。人間がどう動くかってのを深く考えず、目に見えてるものだけを追ってんだ。それじゃ嘘を見抜くことはできない」


 外はさわがしくなってきた。たけ竿ざおらしい物を持った者たちが通り過ぎていく。蓮實淳は脚を組み、髪をかき上げた。


「ってとこで、あんたの番だ。柏木伊久男について教えてくれるんだろ?」


「ん、ああ、」


 不満げな表情でうなずくと刑事は写真をならべ直した。


「その前に『ひさ江』の女将おかみがなにしてたか言っとくよ。いや、ほんと馬鹿げたことなんだが、さっきお前さんが言ってたのを考えると理解できる部分はあるのかもな」


「どういうことだ?」


「あのばあさんはな、酒を入れ替えてたんだよ。この写真、――っと、どれだ? ああ、こいつだ」


 店の裏手の写真が差し出された。黄色いプラスチックケースにっ込まれたさかびんが写ってるものだ。


「この安酒は店で出してるのと違ってる。ま、高え酒の空き瓶にこいつをんで売ってたってことだろうさ。あの爺さんはそれをネタに脅してたようだが、前にも言ったようにデキてるんじゃねえかってくらい仲が良かった。脅迫者との関係とは思えないってのはその通りなんだろうよ」


 カンナは写真を取った。彼はひたいに指をえている。


「柏木伊久男は人当たりがよく、評判もいい男だった。俺はそれを本来の姿じゃないって思いこんでたんだ。しかし、違ってたのかもしれないな。もちろん脅迫はしてたんだろう。ただ、そのやり方というか、付け入り方は想像と違ってる。それには別に理由があったんだよ。それを理解するためにもあの男がどういう人間だったか知る必要がある。山もっちゃん、教えてくれ」


「わかった。――ええとな、」


 手帳を取り出すと刑事はつばをつけ、めくっていった。


「まず、生まれは川崎だ。けっこうゆうふくな家の三男で、実家はもう無くなってるが、今でも年寄りに訊きゃ、『ああ、あの柏木さん』って言うくらいの家だったそうだ。高校まで地元にいて、『悪霊』ってれんたいにもその頃に入ったようだな」


「ちょっと待ってくれ」


「あん? なんだ?」


ひるよしくなっただんのことも調べてくれたんだろ?」


 下唇を突き出したものの刑事は手帳をっていった。目はせわしなく動いてる。


「ああ、ここだな。そう、蛭子はるあききゅうせいは山本だ。やはり川崎生まれで、中学まで柏木伊久男と同じだった。こっちは優等生で高校も有名な進学校に行ってる。それでえんになったが、二人とも大学が東京だったからだろう、そっからまたつきあいがはじまったんだな」


「ってことは、『悪霊』から抜けるようせっとくしたのも大学生になってからってわけか」


「ま、そういうことになるんじゃねえかな」


 蓮實淳は鼻に指をあてた。目は半分閉じられている。


「柏木伊久男についてつづけるぞ。――えっと、ここだ。ふむ、まあ、あの爺さんも馬鹿じゃなかったようだな。あの時代で大学まで行ってるんだ、優秀ではあったんだろ。ただな、こうは悪かったようだ。大きな会社につとめたはいいが、すぐめてる。その後も勤めちゃ辞めを繰り返してんだな、ひっきりなしにてんきょしてるよ。だもんで、この辺のことは調べ切れてねえんだ。ただ、ここでまた蛭子の旦那が登場する。この頃には高校の教員になってたんだよ。後に結婚する嘉江と同じ私立高だ。そので柏木にしゅうしょくさきしょうかいしたようだ。二十七のときだな」


「つまり、その三人の関係はそこから始まったってわけだ。そんとき、柏木伊久男はどこに住んでた?」


「ん、この近くだよ。線路向こうだ。提灯ちょうちんがあるだろ? そのすぐ近くだな」


「線路向こう? なるほど。平子の婆さんと知りあいになったのはその頃なのか」


「平子の婆さん? おい、どうしてここであの婆さんが出てくるんだ?」


「柏木伊久男はその婆さんともつきあいがあった。そうしきまであげてやってるんだ、相当の関わりだったはずだ。それに、別の話も持ち上がってるんだよ」


 カンナはげんそうな表情をしてる。指を立て、彼はそのことについて話した。


「じゃ、そのお婆さんも殺されたってこと? それをそうのおばちゃんが見てて、あの爺さんに教えたの? なんだか複雑っていうか、出てくるのが全員年寄りでわけがわからなくなるわ」


 手帳を持ったまま刑事は固まってしまった。瞳だけが動きまわっている。蓮實淳はソファに沈みこんだ。そのとき、はっ姿すがたの男がガラス戸を開けた。

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