第19章-3


 蓮實淳はキティの話を聴いていた。表情は変わらず、鼻に指をあてている。ただ、りっきょうから落ちて死んだばあさんのくだりになると指を止めた。


「陸橋から落ちて死んだ? なんか聞いたことがあるな。――ああ、かしわそうしきをあげてやった婆さんのことか?」


「葬式を? あの爺さんがかい? そりゃ初耳だね。でも、泣いてたのを考えるとそれは平子の婆さんなんだろうさ」


「泣いてたっていうのは?」


 あしさきめながらキティは話した。彼は低くうなってる。


「ふうむ。吉田和恵ってのはビルそうのおばちゃんだよな? 柏木伊久男はそのおばちゃんから転落のしんそうを聴いたってことか」


「たぶんね。ただ、そうなるとみょうなことになっちまわないかい?」


「ああ、ペロ吉んとこの子供と似たような死に方をしてるってんだろ?」


「そうさ。あのじいさんに関係ある二人が同じようにくなってるんだ、なにかあるって考えた方がよさそうだろ」


 彼は目を細めた。思考はからみ合い、もつれてる。しかし、なんとかひねり出した。


「つまり、柏木伊久男はその婆さんが死んだ原因を知ってたわけだ。それで殺されたのかもしれないってことだよな? その現場を今度はゆうくんが見てた。いや、直接は見てないはずだが、その前後に出入りしてた犯人を見たのかもしれないな」


「そう考えるとすっきりはするね。でも――」


「うん、そうだ。でも、俺たちをはいぎょうに追い込もうとした理由がわからない。きょうはくじゃされたからか? どうもそうは思えなくなってきてんだよな」


 弱く風が入りこんできた。外はすこしばかりさわがしい。祭りの準備がつづいてるのだ。


「そのことなんだけどね、アタシはもう手を引いてもいいように思ってるんだ。あんたも言ってたじゃないか。あの爺さんは脅迫相手と上手くやってたって。大和田もしぎぬまもそんなふうに言ってたんだろ?」


「ああ、そうだ。だけど、そうなるとさっきの問題に戻るんだよ。なんであの男は俺たちを廃業させようとしたんだ? いつもそこで考えが止まっちまうんだ」


 しっれた。ヒゲはぴんと張っている。


「それも言ってたじゃないか。あの爺さんにはなとこがあるって。それに、大和田のカミさんを見たときはこう言ってたよ。――もやもやしたガスみたいな存在って」


 彼は目をつむった。脳の奥底にはまだその映像がとどまっている。


「うん、そうだ。あの爺さんにはなとこがある。いや、それ以上だ。脅迫状から読み取った人物像からもはなれすぎていた。ちょうめんさはないし、金へのしゅうちゃくも感じられない。――ううん、違うな。所々にあるんだ。ただ、一人の人間が持ってるようには持ってない。そう思えるんだよ」


「それをもう少し進めてみるんだね。それはどういうことだと思う?」


 くらやみに声だけが聞こえてくる。彼はけんに指をあてた。


「それは、――そうだ。徹はこう言ってたな。『誰かの使いで来たみてえだった』って。それに、脅迫してた数の多さ、そして、その内容もだ。そこに二件の転落死をつけ足すと、――いや、ひるよしもだ。『悪霊』という名のれんたい、新宿の飲み屋で殺された男、自殺した生徒、それらもつなぎあわせて考えると、」


「どうなるんだい?」


 蓮實淳は目をあけた。しばらくぼうっとしていたものの、じきに唇はゆがんでいく。キティは「ニャア」と鳴いた。


「あんた、前よりは見えてきたんだろ。そういう顔してるよ。なんとなく誰が犯人かわかってきたんじゃないかい?」


 ほほはゆるんでいった。ただ、それを消し去らせると階下をかすように見つめた。




 その床の下ではカンナが雑誌を読んでいた。たまに顔をあげ、外をながめてる。――あんな大きな板、なにに使うんだろ? かんばん? ううん、違う気がする。だけど、すごいことになってるな。いつもは静かすぎるくらいだってのに。目を閉じると、違う物体も思い浮かんできた。そういえば帰り道にもビニールにおおわれた変なのがあらわれたな。


 それを見たとき、カンナはクロ同様の感想を持った。――って、これなに? タコ? しかし、今はなにかわかってる。ポスターが何枚もられていったからだ。うん、あれはまといみたいなものなのね。でも、すごい人。こんなに大勢来るの? もうめちゃめちゃになってるじゃない。


 雑誌を放り、カンナはてんじょうを見つめた。猫しょうのご登場は久しぶりな気がする。ま、なにがどうなってるかわからないけど、なんらかの動きはあるってことでしょう。そう考えながら右の手首をつかんだ。そこにはピンクの首輪がめられている。


「よっ、カンナちゃん、先生様はいるかい?」


 唇はゆがんだ。この声は逆に最近よく聴くな。っていうか、ほぼ毎日来てるけどひまなの?


「あ、うん。いるけど、ちょっといそがしいみたい」


「忙しい?」


 ずかずか入ってきた刑事は肩をすくめた。


「って、いねえじゃねえか。どこで忙しがってんだ?」


「上。猫師匠が来てんの。そうなるとひとばらいするのよ。上がってったら怒られるわよ」


「猫師匠? 誰だそりゃ」


 もう、いちいちうるさいなぁ。会ったことあるでしょ。そんとき変な顔してたじゃない。あの茶トラの、でっかい、あいな猫よ。そう言おうとしてると階段を降り来る音が聞こえてきた。


「ん? ああ、いいとこに来たな。っていうか、ほぼ毎日来てっけど暇なのか?」


「あのな、暇なわけないだろ。身体が幾つあっても足りねえくらいなんだ」


 キティは出て行った。刑事は目で追っている。なるほど、これが猫師匠ってわけか――そう思ってるのだ。


「どうした?」


「いや、なんでもねえよ」


 彼は目を細めてる。しかし、首を振りつつ奥へ向かった。


「ま、座っててくれ。いまコーヒーれるわ」

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