第19章-2


 公園にはたくさんの猫が集まっていた。丸い時計は一時二分を指している。


「すまねえ、あね。ちょっと遅れた」


「ふんっ! また遅刻だね。そんなんじゃ示しがつかないよ」


「いや、姐御、オチョはペロの居所について考えてたんだよ。それでちょっとだけ遅れちまったんだ。ゆるしてやってくれ」


「ペロの居所だって? で、なにかわかったんかい?」


 オチョはヒゲをらしてる。顎も落ち気味になっていた。


「わからないんだけどさ、首輪が切れるくらい放られたら遠くに飛ばされてるはずだろ? ってことはしたかもしれねえわけだ。そうなると、あそこから遠くへ行ってないはずだ。そのようにオチョはすいしたんだよ」


「へえ。オチョがそう考えたのかい?」


 クロはくばせした。他の猫たちは気づいてないようだ。


「えっと、そう、――うん、そうなんだよ。首輪はがきに引っかかってたって言ってたろ。ってことは、ペロはその奥へ放られたはずなんだ。だから、」


「そう、そうなんだよ。だからな、姐御、ペロは遠くに行ってないはずだ。それに、――な? オチョ、ほら、チビ助だからって言ってたろ?」


 深くうなずき、オチョは胸を張った。クロは口許をゆがめてる。ほんと単純なオッサンだな――そう思ってるのだ。


「うん、あいつはチビ助だから姐御のなわりから出られないだろ? それに、そんなことがあったら、こっちの耳に入るはずだしな」


「なるほどね」


 そう言って、キティは鼻を鳴らした。


「ま、確かにそうだろうね。ということはじんからほうみょうまでのどこかにいるってことになる。違うかい?」


「ああ、そうなるな。――ん? ってなると、」


ひるの家があやしいね。いいかい? これまでアタシたちは迷い犬だの猫を見つけてきた。そのほとんどはどっかの家に入りこんでたろ? ってことは、ペロもその可能性が高い。そうなると蛭子のばあさんがやったことかもしれないよ」


「でも、」と声がした。ゴンザレスのだみごえだ。


「どうしてペロは出てこないんだい? それに、鳴きもしてないんだろ? あの辺はくまなく探したじゃないか。そんときだって誰も鳴き声すら聞いてないんだ。これはどういうわけなんだい?」


 キティはまえあしを折りたたむようにした。月あかりが顔を半分照らしてる。


「それはわからないね。ただ、オチョの考えじゃ怪我してるかもしれないってことになる。そういうことで引きもってるのかもね」


「あそこのお婆ちゃんもずっとお部屋に入りっぱなしだもんね」


 小さい方のベンジャミンが口をはさんだ。いつも一緒だったペロ吉がいないからか声は弱くふるえてる。


「だからわからねえのかもな。――うん、姐御、こりゃ、蛭子の家を見張るしかないな」


 これはクロだ。キティは深くうなずいてみせた。


「そうだね。これはあの人にも言っとくよ。――ま、ペロについてはこれでいいだろ。次はあのじいさんの件だ。なにかわかったことがあったら教えておくれ」


 猫たちは順にこたえた。キティは目をつむって聴いている。しかし、これといった情報はなかった。


「ふうん。やっぱりよくわからないね。なんできょうはくされてたかわからないのもいるし、一人だけ名前もわからないのがいるからね。だけど、これはもう調べなくてもいいように思えてきたよ」


「どういうわけだい?」


 オチョが訊いた。他の猫は顔を見合わせてる。


「あの人も言ってたけど、あの爺さんには変なとこがあるように思えるんだ。なんていうのかね、しんが通ってるように思えて、その実、通ってないような感じだよ。それこそなんだ。いや、脅迫してたのは確かだし、あの人を追い込もうとしたのも事実だよ。だけど、その裏っていうか、奥には違うがあるように思えるんだ」


 そこでキティは目をあけた。ならぶ顔はげんそうにゆがんでる。


「わからないだろね。でも、アタシは思うんだ。あの爺さんについちゃ、表面だけ見てても理解できないとこがある。だから、これまでだってわからないことばかりだったんだよ。奥を見るんだね。目に見えにくいとこを探っていくんだ。それにはペロんとこの子供が殺されたのがかぎになる。そう思うんだよ」


 目を向けるとオルフェは固まったようになっている。キティは顔を寄せた。


「どうしたんだい? なにかあるのかい?」


「ううん、キティさん、――その、ちょっと変っていうか、今のを聴いて思い出したことがあるんだ。ほら、ペロんとこの子は階段からき落とされたんじゃないかって話でしょ?」


「ああ、あの人はそうじゃないかって言ってたね。――で?」


 オルフェはしんちょうそうにうなずいた。


「ほら、あの爺さんがよく会いに行ってた吉田って婆さんがいるだろ? ビルそうしてる婆さんさ。その二人がりっきょうから落ちて死んだ人の話してたんだよ。ひそひそ声だったんで良くは聞こえなかったんだけど、ヒラコとかなんとか言ってたね。で、そんときに爺さんが泣いてたっていうか、目許を押さえててさ。あんときは脅迫されてる相手だって知らなかったから、あまり深く考えてなかったんだけど、」


「ヒラコ? その二人はヒラコって言ってたのかい?」


 オルフェはさらに固まってしまった。目は左上に向いている。


「うん、キティさん、確かに言ってた。ヒラコがどうとかって」


「ヒラコって言えば、――オチョ、あんたならわかるだろ? ほら、平子の婆さんさ」


「ああ、平子の婆さんか。そういや、去年の四月くらいだったな、あの婆さんが死んだのは。――ん? 待てよ。ねえさん、吉田和恵の行ってるビルはあの陸橋のわきだ。ってことは、」


 のぞきこまれるとクロはしっを振った。――いや、そんなふうに見られたってわからねえよ。だいいち俺はその婆さん自体知らねえんだ。


「ま、そうなると平子の婆さんも誰かに突き落とされたのかもね。それを吉田和恵は見てたのかもしれない」


「そういや、あの日もしゃりの雨だった。平子の婆さんは階段をはずしたんだろうってことになって、」


 オチョはきざみに震えてる。背中の毛は逆立っていた。


「それも似てるね。あの人が言わなきゃ、ペロんとこの子も事故ってことになってたんだろうから」


「あのう、」


 クロがえんりょがちな声をあげた。他の猫は首をかしげてる。


「その平子の婆さんってのはいったいどういう、」


「ああ、あんたたちはわからなかったね。平子の婆さんってのは線路向こうに住んでた、この辺じゃちょっとした有名人だったんだよ。沢山の猫をっててね、もちょくちょくその家に行ってたようなんだ。それが、ええと、十年くらい前だったかね、そこの猫が次々と死んでいって、それでおかしくなっちまったんだ。アタシもオチョも直接は知らないんだけど話だけは聴いたことがある。猫しきの平子婆さんってね」


 言葉がれると虫の声しかしなくなった。月もかくれ、辺りはやみおおわれていく。キティは立ち上がった。


「こりゃ、問題を整理しなきゃならないね。とっちらかったのを片づけるんだ。いいかい? オチョとクロは蛭子の家を見張る。ゴンザレスとオルフェは吉田和恵について調べるんだ。ビル掃除の人間は他にもいるだろ? その話をよく聴くんだ。平子の婆さんが死んだ日のことを知ってるのが他にもいるかもしれないからね」


 猫たちは闇の中へ消えていった。ベンジャミンだけが残ってる。キティは身体をり合わせた。


「ベン、あんたは連絡係だよ。ここにいて、みんなが言ってきたのを報告するんだ。わかったかい?」


「うん。でも、キティさんはどうするの?」


「アタシかい?」


 キティは暗がりに目を向けた。まるでそこになにかがただよってるかのようにだ。


「アタシは他にやることがあるんだよ。――ま、夜中には戻るから、あんたはここで待ってるんだ。わかったね?」

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