第18章-3


 風はさらに強まった。雨も降り出したようだ。ただ、奥からは鼻歌が聞こえてる。――ふむ。かしわは『悪霊』というグループのメンバーだった。しかし、地元の友達にせっとくされてやめたって言ってたな。それはひるくなっただんのことなんだろう。それを話したときみょうだったってのはなんとなく想像できる。あの写真にもそれはあらわれてたんだ。でも、そこにどんなストーリーがあったというんだ?


「うん、こんなもんでしょう。つくるのは初めてだから美味しいかわからないけど」


 カンナはおぼんを持ってきた。なべからは湯気が立っている。


あいはどう? 一人で起きられる?」


「大丈夫だ。ほんとたいしたことじゃないんだよ」


 薄く顔をしかめ、彼は起き上がった。まだあの馬鹿っぽいトレーナーとジーンズのままだ。


「でも、しばらく様子をみてた方がいいわ。ってことで、明日は休みにしたの。予約があったけど、お客さんも連絡するつもりだったみたい。だって、こんな台風じゃね」


「ああ、ほんとひどい風だよな。下手するとここはつぶれちまうぞ」


 ちゃわんかゆを盛り、カンナはまじまじと見つめてきた。


「さ、食べてみて」


「ん、どれ。――おっ、こりゃ美味いな。病気じゃなくても食べたいくらいだ」


「やだ、私と同じこと言ってる。でも、そうでしょ? 見た目はアレだけど美味しいのよ」


「うん。確かに見た目はアレだけどヤバいくらい美味いな。今度、俺もつくろう。お粥に卵入れて、しょうで味付けてって感じだろ?」


 ほおづえをつきながらカンナはうなずいた。彼は二杯目をすくってる。


「これね、子供の頃につくってもらってたの。私って、こう見えて病気がちだったから、よく寝込んだのよ。そんときの定番メニューってわけ。うちの母親はまったく料理しない人だったけど、これだけは美味しかったな」


「ふうん。ま、そういうのってあるよな。俺の母親もいそがしい人でさ、あまり自分で料理しなかったんだわ。ただ、あじなんばんけだけはなぜか美味くってね。あれはまた食べたいって思うな」


 風はうなるように吹いてる。雨も強くなったようだ。しかし、二人はしばらくそれを忘れた。温かい料理とテーブルを照らす明かりがそうさせたのかもしれない。カンナは満足そうな表情をしてる。ただ、瞳からは光が失われていった。


「どうした?」


「え? ちょっと気になっちゃって。ほら、ペロ吉んとこの子。あの子はどうなったんだろうって」


「ああ。でも、そうがどうのとか言ってたろ。それに、母親もいるんだし」


「そうだけど、父親がたいされたのよ。どっちにしたってわいそうだわ」


「ま、そうだよな。でも、子供であるってのはそれだけで可哀想な部分があるんだよ。大人になれば変わるさ。逃げ出しゃいいだけのことだからな」


 茶碗を置くと彼は腹をさすった。んではいるものの幾分すっきりした顔をしてる。カンナは水を持ってきた。


「じゃ、薬飲んで寝ちゃいなさい。――あ、でも、その前に着替えた方がいいわね」


「そうだな。ま、シャワー浴びて着替えるよ」


「そんなの駄目だって。また熱出ちゃうかもよ」


「ほんとに大丈夫だよ。俺にはこいつもあるからな」


 彼は『スーパーぜつりんこうてい』を手にした。ベッドわきにはその箱が二つ置いてある。


「ん? 今度はどうしたんだ? ぼうっとこっち見てっけど」


「そうだった?」


 カンナは視線を散らしてる。いてあげた方がいいのかな? でも、ビンビンになってるの見せられたらどうしよう? そう考えてるとスマホがふるえた。


「もしもし? どうかした?」


「どうかしたじゃないでしょ。家に帰ったら、もうげんかんでびっくりしたのよ。くつがあっちこっち散らばってるし、電気はつけっ放しなのに誰もいないしで。なんかまた事件でも起きたんじゃないかって思ったわ」


「ああ、ごめんなさい。あのね、それには理由があって――」


 理由を言った瞬間に電話は切れた。なるほど、こういうことになるのか。カンナはうなれてる。


「どうしたんだよ。ほんと忙しい奴だな」


「どうしたかって? ま、きっとすぐにわかるわ」


 そして、言った通りになった。十五分もしないうちに千春がけ込んできたのだ。


「大丈夫? 倒れたってどういうこと? なんか変なものとか食べたりした? あなたってすぐお腹こわすでしょ。前にもあったじゃない。ハマグリ食べすぎて倒れちゃったの」


「いや、そんなんじゃないって。っていうか、それはいつの話だよ」


「十年くらい前よ。ほら、千葉に行ったとき、焼きハマグリの食べ放題があって、あなたは馬鹿みたいに食べまくって、熱出しちゃって、ホテルでずっと寝てたでしょ。あれはほんと最悪だったわ。私ずっとかんびょうしてて旅行どころじゃ――」


 はいはい、仲のおよろしいことで。カンナは項垂れながら降りていった。ま、そりゃこうなるわ。そんなの知ってた。目は嫌でもてんじょうへ向かっていく。――着替えさせてもらってりゃいいのよ。それで、ビンビンになってるとこ見せてりゃいいんだわ。だって、そんなの関係無いもの。





 ただ、それで終わりではなかった。寝るぎわになっても千春は旅行のてんまつまくしたてていた。


「でね、私は何度もその辺で終わりにしときなさいって言ったの。だけど、あの馬鹿は聞かないのよ。で、ラストオーダーになったら、ほんと頭がおかしいんじゃないかってくらいハマグリ持ってきたの。あれ、どれくらいあったんだろ? 十個以上はあったはずよ。それ全部焼いて――」


 カンナはベッドわきとんいてる。風が強く、窓はれていた。――っていうか、これって私が考えた長いきゅうのつづきみたい。海があって、山があって、川が流れてる。まあ、あの馬鹿はそうなるんだろうけど、私ならずっと看病してあげるな。


「ま、そんだけ食べたら当然だけど、ひどいになっちゃったの。しかも、着いてすぐに。向こうはずっとトイレの中で、それだけでもいらいらしたのに出てきたら『なんだか熱っぽい』ですって。もうほんとかんべんしてよって感じでしょ。だけど、顔も赤いし、実際にも熱っぽくて、――って、ちょっと、カンナちゃん」


「え?」


「どうしたの? なんだかぼうっとしてるけど」


「ううん、なんでもない。――あっ、ほら、今日は休みだったのに呼び出されちゃったでしょ。それで疲れたのかも」


「ふうん。ま、そうもなるでしょうけど」


 雨の音はつづいてる。しばらく間を置いてから千春はこう言ってきた。


「ね、カンナちゃん、北条さんとはなにか進展あったの?」


「進展?」


「だって、好きなんでしょ? あんないい人はいないって言ってたじゃない。顔も良けりゃ、性格も最高って」


「別に進展ってほどのことはないけど。だいいち会ってもないし」


「そうなの? でも、ほんとに好きなら早くなんとかした方がいいわ。あんだけいい男なんだから、他に取られちゃうわよ」


 カンナは弱く息をいた。――めんくさいなぁ。言いたいことは別にあるんでしょ? はっきり言えばいいのに。


「私ね、ああいう人なら安心してカンナちゃんをまかせられるって思ってるの。それに、叔母さんが聴いたら喜ぶんじゃない?」


「なんでよ」


「だって、家出した娘が自分と同じ仕事の人と付き合うようになったなんて喜ぶはずじゃない」


 だったら、やめとくわ。そう思いながらカンナは目を細めた。――だけど、北条さんか。確かに好きだけど、なんか違う気もする。どうしてだろう? 私じゃなきゃ駄目って感じがしないからかな?


「まあ、叔母さんのことは抜きにしても、ほんといい人だってのはその通りでしょ」


「うん、そうね」


 雨音はに聞こえた。気づかぬうちに辺りが水におおわれ、すべてを流してしまってるかもしれない。そう思えるほどだ。ただ、怖くはなかった。もじゃもじゃの頭が思い浮かんできたからだ。――私もあの人じゃなきゃ駄目なんだろうな。不安になると真っ先に思い浮かぶのはあの顔だもの。


「カンナちゃん、寝たの?」


「ううん。でも、寝ちゃいそう。疲れてるのよ」


「そう。そうよね。さっき言ってたものね」


「千春ちゃん」


「なに?」


 カンナは天井を見つめた。そうしてると不意に涙が出てきた。しかし、そのままにしておいた。ぬぐってるのを見られたくなかったのだ。


「ありがとう。そうね、早いとこなんとかするわ」

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