第16章-4
日の暮れかかった中を彼は足早に歩いた。頭の中は
「ええ。あの男はこう言ったんです。『ご主人、私は昔から「あくりょう」と呼ばれてるんですよ。下手すると取り殺されるってわけです』」
低く
「いえ、違います。いまも愛してるんです。あの人はいつも私を
門はかたく閉ざされてる。それを見つめながら彼は深く息を
「あの、すみません、蓮實淳です。ちょっとよろしいですか?」
黒い箱に話しかけると
「あら、先生。どうかされました?」
「いえ、大奥さんにすこしお訊きしたいことができまして」
「はあ、そうでしたか。とにかく、そちらへ参りますね」
彼は
「ほんとすみません。お
「それはいいんですけど、お
ひそめた
「お
「いえ、そんなにではないんですけどね。でも、ずっと
「それはいつぐらいからです?」
「そうですねぇ。ええと、なんて言ったらいいんでしょう。――ああ、その、ちょっと言いづらいんですが、先生が警察から出て来られて程なくだったような」
目は自然と細まった。どういうことだ? なぜそうなった? しかし、これじゃどうしようもないな。――ふむ、こうしてみるか。
「あの、ゆかりさんは柏木伊久男という人物をどの程度ご存じですか?」
「え?」
「お
「いえ、私はあんまり。いつも裏から入って、離れに行ってましたから」
「ああ、そのようですね。でも、裏の戸は普段閉めてるわけでしょう? 前に
「はあ」
「そうなると、誰かが戸を開けていたことになる。それはお義母さんが?」
「はい。たぶんですけど」
「そうですか。ところで、お義母さんと柏木さんは仲が良かったそうですね。ほぼ毎日
「そうなんですか? それは初めて聴きました。仲良くされてましたけど、そんな昔からお知りあいだったとは」
風が吹き、松が
「お
「十二年です。今年、
「あなたはここに
「はあ、そうですね。そろそろ六年目になります」
「柏木さんがあそこに住むようになったのはいつ頃です?」
アパートの方へ指を向けると、ゆかりは身を
「どうしてそんなに柏木さんのことを訊くんです?」
「必要だからです。ゆかりさん、いいですか? この近くにはまだ悪霊が
「――悪霊、ですか」
「そうです。もしかしたら、お義母さんの具合がよくないのはそのせいかもしれない」
目つきは
「やめて下さい。そんなの
「すみません。しかし、いるのは確かなんです。前にも言いましたよね? このお宅には二体の悪霊がいたと。私は
「まあ、そんなことを」
「ええ、
ふたたび身を竦めるとゆかりは固まってしまった。彼はうなずいている。
「私の言ってることがわかりますか?」
「ええ、なんとなくですけど」
「なんとなくでいいですよ。真に理解しようとするのは危険だ。そこでもう一度訊きます。柏木さんはいつからあそこに住むようになったんです?」
「あの、私が嫁いで間もなくだったかと」
「五年ほど前ってことですね?」
「はい、そうなるはずです」
「ありがとうございます。とりあえずはこれでいいでしょう。しかし、ゆかりさん、このままにしておくのはいけない。せっかく収まった家族の問題が
「どういうことでしょう?」
「どうもこうもそのままの意味ですよ。放っておいたら
「私はどうすれば――」
わからない程度に唇を
「腹を立てて下さい」
「はあ? 腹を立てる? 誰にです?」
「私にですよ。あの占い師がまだ悪霊がいると言ってきたと怒るんです。取り乱したようにね。まずはご主人に、そして可能であればお義母さんにも。
「そんなこと私にできるでしょうか?」
「できますよ。あなたならできる」
腕を軽く
「というか、これはあなたにしかできないことです。ほら、思い出して下さい。私のとこへ来たときのことを。あなたはわざと怒ってみせ、私を
うつむきかけたものの、ゆかりは顔をあげた。
「いいですか? ゆかりさん、あなたがそうであったようにお義母さんも過去に
「は、はい。そうです」
「であるなら、お義母さんもそうなれるはずだ。いや、そうしなきゃならない。ゆかりさん、あなたは本来的には強い方だ。この前のときだって、あなたはお義母さんを救おうとした。だったら、今度もできるはずです。違いますか?」
深くうなずくのを見て、彼は笑顔を強くした。
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