第16章-3


「それでだな、」


 ひとしきり笑うとカンナは二杯目のコーヒーをつくりに立った。千春も奥へ行き、なにかしてる。


「さっきの話じゃ、これはイニシャルってことだよな。俺にもわかったよ。――いや、数字や三つ目のアルファベットにまどわされてたんだな、気づかなかったのがずかしいくらいだ。つまり、この『IM30S』ってのは泉川せんしゅうで、『OM10Y』が大和田義雄、『SM10T』はしぎぬまとおるってわけだ」


「ああ、そうなんだろう。『M』と『F』は置き字だ。『Male』と『Female』だな。すぐにはわからないようにしたんだろうが、こんなのはちょっと考えりゃ、簡単なことだ」


 若造は腕を組み、うつむいていた。様々なことに疲れ果てていたのだ。


「じゃ、この間にはさまれてる数字は――」


「きっとおどし取る金なんだろう。大和田義雄は月に一万だったと言ってた。それもごうする」


「ふむ」


 カンナがコーヒーを運んできた。千春は二つに切った鹿を差し出している。


「いや、すみません。ほら、谷村、お前も言えよ」


「あっ、すみません。ありがとうございます」


 二人は薄くだけほほんだ。笑いすぎたのを反省してるのだろう。


「山もっちゃん、ってことは、これは誰だと思う?」


「ん? ああ、それか」


 指された部分には『HF80Y』と書いてある。刑事は目だけあげてきた。


ひるよしってことになるか」


「たぶんな。しかも、月に八万だ。この中で一番払ってる。ところで、この四人についちゃ調べたんだろ? あの日なにしてたか」


「まあな。でも、まだ途中だよ。俺と谷村だけでやってんだ、すぐかたのつくことじゃない。まあ、大和田義雄はずっと会社にいたみたいだがな」


「ふむ。そう聴いたばかりで悪いが、大和田の奥さんや鴫沼の父親がなにしてたかも調べて欲しいな。ま、俺の方でも調べるが、あんたたちにもやって欲しい。それに――」


 そう言って、彼は紙を指した。目は細められている。


「こいつはなんかのリストなんだろう。他のはちょう簿なわけだが、これは違うようだ。――ああ、そうか。写真のありを示してるのかもな。きょうはくに使った写真だよ」


「この『0222K』とかではじまってる部分か?」


「そうだ。それはパソコンのフォルダじゃないかな。そうも思えるだろ?」


「ふむ。でも、『HF80Y』――つまり蛭子嘉江か、それだけ最後に数字が入ってないな。こりゃ、どういう意味だ?」


「それはわからないよ。そっちの四桁がなんなのかもわからない。だから、調べるんだ。写真は一枚一枚見てるって言ってたろ? これはそのヒントになるんじゃないか?」


「かもしれねえな」


 紙をまとめると山本刑事は大きくうなずいた。顔はこうふんに輝いてる。


「うん、いいぞ。なんかいろいろわかってきた。あのじいさんが脅迫者だったってのも確定だろう。こりゃ、ものりの犯行なんかじゃない。――っていうか、物盗りが毒殺なんかするわきゃねえんだよ。ていぎん事件じゃねえんだからな」


「もう行くのか?」


「ああ、いまわかったことで調べ直してみるよ。ま、アリバイに関しちゃ時間がかかるが、写真の方はそれほどでもねえだろ。これでようしゃが固まるってことになる。うん、なんだかいける気がしてきた。ありがとよ」






 刑事たちが帰ると、ほどなくして千春も出ていった。蓮實淳はソファにもたれかかり、にぶく光るガラスを見つめてる。


「ねえ、」


「ん?」


 声をかけたものの、カンナはどうつづけたらいいかわからなくなった。彼の首は動かない。


「どうした?」


「ううん。なんだか今日はみょういそがしかったなって思って。まあ、一円にもならなかったけど、人だけは来たでしょ?」


「そうだな。しかも、オマワリばっかりな」


 カンナはハーブティをれはじめた。レモンバーム、セントジョンズワート、ローズマリー、それにローズペタル。日はかたむき、表はうすももいろになっている。


「あのね、なんて言ったらいいかわからないんだけど、あなたはひるの奥さんや、大和田の奥さんもうたがってるの?」


「なんでそう思った?」


「だって、さっきの聴いたらそう思っちゃうでしょ」


 彼はカップを取った。しかし、色を見てるだけだ。


「違うよ。俺は疑いたくないんだ」


「でも、前にも言ってたじゃない。きょうはくされてた人の中に犯人がいるって」


「まあな。だけど、疑いたくないから知りたいんだ。信じたいから知らなきゃならないんだよ」


 目だけ向け、彼は薄く微笑んだ。ほほも陽にまってる。


「前に少しだけ言ったよな? 俺の家族はバラバラになってかいたいしたって。蛭子の家で悪霊さわぎがあったときだ。憶えてるか?」


「――うん。悪霊は関係の中にいるとか、この家は俺の育ったとこに似てるって」


 カンナは胸が苦しくなってきた。どうしちゃったんだろう? なんでこんなに悲しそうな顔してんの?


「そうだ。あそこは俺の家と似てた。空気っていうか、ふんがな。あのままにしてたらきっとバラバラになったんだろう。だから、そうなって欲しくなかったんだ」


「うん」


「俺は逃げ出したんだよ。見たくないものから逃げたんだ。家族とは十年以上会ってないし、連絡もしてない。はじめのうちは色んな理由をつくってた。忙しいだの、向こうが悪いんだってな」


 カンナは頬に手をあてた。に泣いてしまっていたのだ。


「君もそうだろ? まあ、そのままにしてたら俺と同じようになるはずだ。――いや、それがどうだとか言いたいんじゃない。ただ、可能であれば家族ってのは信頼しあったり、助けあった方がいい。にくしみからはなにも生まれないからな」


 ハーブティに口をつけ、彼はまたガラス戸を見つめた。


「蛭子の家には悪霊がいた。二体の悪霊だ。あれはみょうな偶然だった。同じ言葉でしゅうとめよめさんがつながってたんだからな。でも、意味あいは違う」


「どういうこと?」


 涙をぬぐいながらカンナは顔をあげた。踏切はカンカンと鳴っている。


「嫁さんはいじめられてた。机に『悪霊』と書いた紙をりつけられたりしてな。それが、悪霊の意味だ。奥さんの方は自殺した生徒が残した紙、しょのようなものに書いてあった。誰を指して書かれたのかはわからないが――」


 話してるうちに目は大きく広がっていった。瞳は一点を見つめてる。


「そうか。かしわか。そういや、こう言ってたな。あのじいさんはだんおさなみだったって」


「えっ、なに? どういうこと?」


「あそこのくなった旦那は柏木伊久男と幼馴染みだったんだよ。それに、奥さんとは同じ高校の教員だった。ってことは、生徒が自殺したとき、柏木伊久男とその二人にはある程度の関わりがあったわけだ」


 彼は鼻に指をあてた。頭の中には受け取った映像が浮かんでる。――そうだ。あの人はこう言っていた。


「柏木さんは古くからの友人なんです。私のというだけでなく、主人の幼馴染みなんですよ。私を占ったとき、それも見たんじゃないですか?」


 俺が見えなかったとこたえると、はいを指しながらこう訊いたんだ。


「でも、あの子、古川おりのことは見えたんですよね?」


 俺は自殺した生徒と柏木伊久男に関わりがあったかと訊いた。そしたら、あの人はこう言った。


「いいえ。関係などありません。あるわけがないでしょう?」


 腕をつかまれ、彼は頭を激しく振った。


「どうしたの? 大丈夫?」


「――ん? いや、大丈夫だ。カンナ、俺はちょっと出てくる。なにかあったら電話してくれ」


「いいけど、どこ行くの?」


「蛭子のとこに行ってくる。訊きたいことができたんだ」


 勢いよく立ち上がると、彼は戸口で振り返った。


「ああ、そうだ。さっき、ほら、北条って警官が来たとき、あの子のこと相談してくれたろ? ありがとな」


「ううん」


「これも前に言ったけど、俺たちは似てる。それに、あの子にも似た部分があるように思えるんだ。家の中に居場所がないってとこがな。ただ、あの子は俺たちと違って逃げ出したりできない。なんとかしなきゃならないな」


「そうね。なにができるかわからないけど、なんとかしましょ」


 カンナは口をおおいながらそう言った。大きくうなずき、彼は出ていった。

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