第16章-1
【 16 】
「『人の
カンナは不要なメールを
「ま、噂の方が多すぎるんだろ。それに、どんなもんでもサイクルは短くなってる。最近じゃ十日くらいが
「その割にはダメージだけが残ってるみたいよ。今日はゼロでしょ? 明日もゼロ。明後日に一件、その次が二件。これじゃ赤字になっちゃうわ」
デスクを見ると彼はバステト神像で遊んでる。カンナは頭を振った。
「ね、こうなったら、あの話に乗るのもありだと思うんだけど」
「あの話って、あれのことか?」
「そう、あれ」
あれ――というのはテレビ出演の話だ。以前占ったゲイのディレクターから
「ひとまずは深夜番組の一コーナーになると思うんですがね、『顔さえ見れば、たちまちわかる
その電話は刑事と話した日にあった。戻ってすぐ聴かされたのだ。
「すごくない? 『驚異の占い師』でテレビ出演よ。そうなったら前のように、ううん、前よりもっと
彼は肩をすくめてる。表情も
「そんなのやだよ。俺は出ない。なんでテレビなんかに出なきゃならないんだ」
「だって、目立つの好きでしょ? それに
「やだね。ちょっと前まで殺人犯じゃないかって言ってた奴の手のひら返しに乗るつもりはない。それに、あいつはガッチガチのゲイなんだ。本当の
それを聴くなりカンナは唇を
「ね、あのディレクターさんは、その、なに? あなたのお
「そうだろうけど嫌なもんは嫌なんだよ。だいたいな、俺はコツコツ
はあ? 誰のこと言ってるのよ。そんなとこ
「ん? ありゃ、あの警官か? 制服じゃないとわからないな。でも、ちょうどいいときにちょうどいいのが来たってわけだ」
その言い様はさらにムカつかせたけど、カンナはとびきりの笑顔で
「あっ、北条さん! 来て下さったんですね!」
「ああ、はい。――その、蓮實さん、ちょっとよろしいでしょうか?」
「よろしいもなにも、いいときに来ていただけて
「はあ」
警官は暗い顔をしてる。
「さ、座ってください。いまお茶を
「いえ、今日は本当に大丈夫です。――あの、蓮實さん、この度は本当に申し訳ございませんでした。その、ああいうことになってしまって、お
背筋を伸ばし、彼はどう言おうか考えていた。しかし、その必要はなかったようだ。
「いえいえ、そんな。北条さんが
のこのこ? そりゃちょっと言い過ぎじゃないか? そう思ったものの彼はニヤつきはじめた。カンナはいい男を見つめてる。
「この人はいつだって言動が軽いんです。ま、そのぶん根に持ったりしないから、もう謝ったりしなくていいんですよ」
「ありがとうございます。――その、前にもそう言っていただいたんですけど、やはり一度はお詫びしておきたくて」
「ほら、あなたもなにか言って。こうやって謝りに来て下さったのよ、なんでニヤニヤしてんの」
そりゃ、お前がずっとしゃべってっからだろ? うんざりしながらも彼は表情を整えた。
「ま、カンナの言った通りですよ。私は根に持つタイプじゃないし、悪いとこもあったんでしょう。――ほら、もうやめて下さい。これ以上そうされてるとこっちが怒られますから」
「はあ」
カンナは奥へ向かってる。警官がなにか言おうとしたとき、ガラス戸がひらいた。
「あら、お取り込み中だった? ――って、もしかして、あなた、北条さん?」
「え、あ、はい。そうですが、」
「やっぱりね。ふうん、ほんといい男ね。カンナちゃんに聴いてたけど、それ以上だわ」
ビニール袋を振りながら千春は顔をあげている。なんだよ、これ持ってげってことか? そう思いつつ彼は溜息をついた。まったく、どいつもこいつもいい男に弱いよな。
「さ、食べて。《
テーブルには
「では、いただきます」
「北条さんはね、わざわざ謝りに来てくれたのよ」
「謝りにって、この人が
「そう。私は別にいいって言ったんだけど、どうしてもお
「そんなのいいのに。――ね、北条さん、この人はたまに逮捕してあげた方がいいの。それくらいしなきゃ、人間がもっと曲がっちゃうわ。そうでしょ?」
「しかし、私があんなことをお願いしなければ、ああはならなかったわけですし。――ところで、蓮實さん、あの方とは本当にトラブルがあったそうですね。しかも、向こうから一方的に
「ああ、ま、そうなんですがね」
「そうなら
「そうよ。なんで
彼はフォークを
「わからないことに口出しすんなよ」
「わからないから訊いてるんじゃない。ね、なんで言わなかったの? あのお
千春もフォークを突き出した。――またこうなるの? この二人にフォーク渡すとこうなっちゃうわけ? カンナは首を引いている。だけど、この話はよくないかも。違う話題にしなきゃ。えっと、なにがいいんだろ?
「あの、北条さん、
「はい、憶えてますよ」
「あの子のことで相談っていうか、聴いていただきたいことがあるんです」
「はあ、どういうことでしょう?」
「あの子は
「そうだ。小林悠太、確か小学四年だったはずだ」
フォークを置き、蓮實淳はうなずいた。千春はきょとんとした表情をしてる。
「ね、今度はなんの話?」
「あのね、もしかしたらなんだけど、その子、親に
「ああ、その可能性はあるな。この前は
警官は
「締め出されてるんですか?」
「ええ、そうらしいんですよ。痣があったのを見たときもそうでした。いつもあるはずの
「なるほど。それはなんとかしなくちゃなりませんね。わかりました。虐待の
カンナは深く息を
「北条じゃねえか。どうしたんだ?」
すっくと立ち、警官は頭を下げた。指もぴんと伸びている。
「北条? ほんとだ。お前、どうしてこんなとこにいるんだ?」
「いえ、その――」
「山もっちゃん、それに
カンナと千春は
「ん? ああ、どうもそういう感じだな。だけど、どうしたってんだ?」
「ちょっとした相談をしてたとこなんだ。北条さん、そうでしたよね?」
「あの、いえ、」
「カンナ、そうだったろ? 俺たちには相談事があった。それで寄ってもらってたんだ。そういうことだよな?」
「そうよ。ただそれだけ」
「ふうん、そうか」
山本刑事は
「じゃ、そういうことなんだろう。――北条、上のもんには言ってあるのか?」
「いえ、自分の
「だろうな。ま、その相談事ってのは報告しとけよ。他は言わんでいいから」
「はっ! ありがとうございます!」
戸口に立ち、警官は深々と頭を下げた。蓮實淳は腰を浮かしかけている。
「ああ、ひとつだけいいですか?」
「なんでしょうか」
「あの日、約束してたのは六時でしたよね? そのはずだったけど、あなたは来なかった。どうしてです?」
「はい、それも大変申し訳ないことなんですが、一緒に行くはずの
頭を下げたまま警官はこたえた。そして、ガラス戸を閉めた。
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