第14章-1
【 14 】
「まずはシャワーだな。そして、ビールだ。腹がたぷんたぷんになるまで飲んでやる」
股間を
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
頭を下げ、彼は歩き出した。通りには人が多い。それを
「ねえ、奥さんに『ありがとうございました』は? どんだけのことしてもらったと思ってるの?」
「ん、わかってるよ。――あの、すみませんでした。ご
「お礼なんて
「でも、どうしてです?」
「どうしてですって?」
「そんなの心配だったからに決まってるでしょ。千春ちゃんなんて具合悪くなっちゃったのよ。会社まで休んだくらいなんだから」
「会社を休んだ? あの千春がか? どうして?」
「もう! どうしてどうしてって、さっきからうるさいわ!」
カンナは
「でもね、先生」
今度は
「カンナさんが一番心配してたのよ。わかるでしょ?」
肩をすくめ、彼は首まわりを掻いた。街灯が照らす道を猫が横切っていく。クロだろう、その姿は暗がりに紛れていった。
「ところで、さっきのつづきですが、なぜ助けてくれたんです? しかも、嘘を言われてまで」
「それはこの前も言ったでしょう? 先生は恩人ですから。それにカンナさんを見てたら
あれで? 彼はぐんぐん進む背中を
「すみません。
「あのな、俺はつらい
唇を
「あの、さっき言ってた千春ちゃんってのは私の
そう言って、カンナは見つめてきた。踏切は降りきり、三人は横並びになっている。
「そうなんですか。でも、それじゃ、あなたは困りますね。そうでしょ?」
「え? どういうことです?」
「だって、」
笑いながら嘉江は口を押さえた。電車はゆっくり進んでいく。カンナは腕を組んだ。――なにか違う話題にしなきゃ。えっと、なにがいいんだろ? 当たり
「っていうか、さっきから変なとこ
「ん? ――ああ、悪い。気づいてなかった。だけど、あちこち
「でも、人前で掻くようなとこじゃないでしょ」
カンナは
「ね?」
「ん?」
「さっきはああ言ったけど、私も気になってたの。どうして
「恩人だからと言ってたな」
「まあ、そうなんでしょうけど、ちょっと異常じゃない?」
「うん、ああまでされるとそう思える。でも、とりあえずはシャワーだ。全身が
「え?」
暗い道に立ち、カンナは首を引いた。どうするって、どういうこと? 私もシャワーを浴びるの? ――で? やだ、そんな、いきなり?
「どうするんだよ。もう帰るか?」
「は?」
ああ、そういうこと。――まったく、話の順番考えてよ。
「いや、いろいろありがとうな。
「って、勝手に
「そうなのか?」
「そうなの。お店のこれからも話さなきゃならないし、今のだって
「でも、シャワー。それに、ビールも」
「じゃあ、シャワー使いなさいよ。で、ビールも飲みなさい。それでも話すの。いい?」
カンナは
シャワーの音が聞こえてきた。カンナは
「いやぁ、マジで気持ちいい! シャワー最高! 世界中でこの瞬間にシャワーに感謝してるのは俺が一番だろうな!」
髪を
「って、なんで裸なのよ」
「あ? まだ髪が
「はっ! するわけもないわ。馬鹿なんじゃないの?」
「じゃ、
「その前に、お願いだからそれ着てよ」
「でも、俺は上半身裸でビール飲むの好きなんだよ。こう、冷たいのが落ちてくのがわかるっていうかさ」
「知らないわよ、そんなの」
そこまで言ってから、あっ、と思った。そうだ、甘やかしてあげようって思ってたんだっけ。――もう、しょうがないなぁ。
「じゃ、最初の一口飲んだら着てよ。わかった?」
「うん、わかった。ほら、カンナ、乾杯しようぜ」
プシュッと音がしたと思う間もなく「プハァ!」と声がした。CMかよ――ツッコミを入れたくなるような飲みっぷりだ。
「いや、マジで美味い。俺はビールを愛してる。これも俺が一番だろうな。世界中でこの瞬間にビール愛に満ちてる人物ナンバーワンだ」
いろいろ
「どうした? 変な顔して」
「変な顔はしてないでしょ。ね、ところで、さっきの話。蛭子の奥さんのことよ」
「ああ――」
彼は濡れた髪をかき上げた。目は細まり、
「なんでだって思う?」
「うーん、考えられることはあるけど、まだよくわからないな。っていうか、そもそものところどうしてああなったんだ?」
「私、蛭子さん家で倒れちゃったのよ。どうしてって訊くのはやめてね。でも、とにかくびっくりして倒れちゃったの。で、気づいたときには
「ふうむ」
彼は鼻に指をあてた。そのとき、「ナア!」と声がした。
「キティか?」
ガラス戸を開けるなり
「ニャ、ニャ!」
「ンニャ、ニャア!」
「フンニャア! ニャ!」
「おっ、みんな来てくれたのか。ああ、クロ、さっき道を横切っただろ。お前が
カンナはソファに沈みこんだ。当たり前の日常ってこういうものなの? そう思いながらだ。
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