第12章-4


 ブザーが鳴りひびいた。


 あてがわれた数字でのてんがあり(蓮實淳は九十九番だった)、七時半からははくはんに焼きざけしる、ひじきのものといった朝食だった。それから、八時になると強制的に運動させられた。その後に呼び出され、とり調しらべしつへ向かった。


「よお、お早うさん。りゅうじょうはどうだった?」


 そう言ってきたのは昨夜も顔を合わせていたエビ茶のスーツを着た男だ。はしのデスクにはこれまた一緒だった若いのがひかえてる。


めしにもっとバリエーションを持たせた方がいいな。昨日食ったのと同じもんが出てきた。これじゃらないぞ」


 エビ茶はひたいいた。それからめんどうそうに腰掛け、向かいのを指した。


「これ以上流行らなくていいんだよ。こうしょもパンパンだし、留置場だってそうなんだ。ところで、一人になりゃ大人しくなるかと思ってたが、そうでもないみたいだな」


「はっ! 一人ぼっちにさせときゃさびしくなって、あんたみたいなこわもてにも甘えるようになると思ったんだろ。そんなふうになるわけもない。俺を誰だと思ってんだ?」


「なんでもお見通しの蓮實先生だってんだろ? わかったって。それは何度も聴いた。もう言わなくていい」


 ざつな椅子に座ると、彼は脚を大きくひらいた。ここのところ鳴りをひそめていた本来の自分を取り戻していたのだ。


「で、昨日のつづきだ。なんであのじいさんを殺した?」


「だから、やってないって言ってるだろ。どうして俺が殺さなきゃならないんだよ」


「お前さん方にはトラブルがあった。その二人が会ってるときに片方が死んでる。その上、被害者は評判のいい人物で、うらみをかってるような情報もない。そうなりゃ、犯人は一人だ。違うか?」


「あんたたちはちゃんと調べたのか?」


「どういう意味だ?」


「そのままの意味だよ。あの爺さんについてちゃんと調べたのかって意味さ」


 刑事はあごき出してきた。目は細められている。


「ふうん、なるほどね。――いや、現場で話したのがいるだろ? そいつによるとお前さんは全部話してなさそうだとのことだった。俺もそう思えてきたよ」


「ああ、あのオネエか?」


 そう言うと、「うっ」と声がした。若いのは口を押さえてる。


「はっ、オネエ刑事か。まあ、別にそう呼んでもいい。で、どうなんだ?」


「どうってのは? もっと具体的に訊いてくれよ」


「だから、あの爺さんのことでなにか知ってることがあるのかって訊いてるんだよ」


 突き出た顎先を見つめながら彼は考えた。しかし、こうとだけこたえた。


「いや、よくは知らないね。かんちがいでトラブルになったんだ、それも当然だろ?」


 腕を組み、エビ茶はまゆをひそめてる。肩は盛り上がっていた。


「ふんっ、まあ、いいだろう。じゃ、質問を変えるぞ。なんであの部屋に入ったりしたんだ? かぎがかかってなかったにせよ、中に人がいたんだ、それもあり得ることだ。ほら、これは単純な質問だぜ。なんであの部屋に入った?」


「開いてたんだよ。風が強くてドアはバタバタいってた。だから、気になって見にいったんだ。なあ、これも三十回くらい訊かれてることだぜ。何回同じこと言わす気だ?」


「何度でも」


 そう言ってエビ茶はほほんだ。あまり気持ちのいい表情ではなかった。


「何度だって訊くよ。俺たちが納得するまでね。――じゃあ、そうだったとしよう。確かに風が強かったし、雨もひどかったよな。だから、お前さんは雨宿りしてたってわけだ」


「そうだよ。六時前に警官と待ち合わせてたんだ。でも、なかなか来ない。そのうちにしゃりになった。あの辺には雨をしのげるとこがないんだ。で、仕方なくあのアパートまで行った」


「そしたら、ドアが風にあおられてた。気になったお前さんはわざわざ見にいった。そういうことか?」


「ああ、そうだけど?」


 その声はすこししりつぼみになった。目つきが気になったのだ。


「ドアが開いてて、お前さんは中をのぞきこんだ。そうだよな? そしたら、爺さんが倒れてたってわけだ。ここまではいいか?」


「ま、いいだろう。その通りだよ」


「なるほど。いや、よくできた話だ。ところで、これは一般的なことだが、さまの部屋に初めて行った人間がいるとする。声をかけても出てこない。ただ、ドアが開いてるからしんに思う。ここまではいいだろう。その場合どうする? 中に入ったりするか? 俺の理解じゃ、そうはしない。ドアを閉めて、そこをはなれるね」


「だから?」


「だから、不思議なんだよ。お前さんの話は信用ならないってことになる。いいか? お前さんは開いてるドアから覗きこんだんだよな? まあ、それだってあり得る話だ。ただ、戸口に立ってたら、倒れてる爺さんは見えなかったはずなんだ。しゃがんだりしない限りはな。お前さんはしゃがんだのか?」


「ああ、しゃがんだんだ。で、倒れてるのを見た」


「どうして? なぜ、しゃがんだ? それじゃ、まるで倒れてるのを知ってたみたいじゃないか」


「それは――」


 蓮實淳は顔をあげた。エビ茶はにらむように見つめてる。


「なんでもお見通しの先生様だからわかったなんて言うなよ。普通に考えて、お前さんの行動はおかしい。ドアの前に立ったとこまでなら理解できる。でも、その後はみょうだ。初めて行った家、声をかけても誰も出てこない。そこで、お前さんはしゃがみこみまでして住人を探してる。知りあいでもありゃ説明はつくんだろう。しかし、あの部屋はお前さんにとってトラブル相手のものだ」


「だからなんだよ」


「俺たちはこう思うってわけさ。お前さんの言ってるのは全部嘘か、ちゅうから嘘が混じってるんだろうなってね。それに、こうも考えられる。もし、本当にしゃがんだってなら、それは爺さんが倒れてるのを知ってたってことだ。じゃあ、それはどうして? こたえは簡単。お前さんが殺したんだ。それを確認しに行ったんだよ」


 彼は腕を組んだ。目はかんそうなテーブルに向かってる。


「猫に教えてもらった」なんて言っても信用されないだろうな。まあ、そうなったところでしょうげんしてもらうわけにはいかない。俺がつうやくするしかないんだし、だったら一人でしゃべってるのと変わらないもんな。


「ほら、どうした? さっきまでの元気はどこにいっちまったんだ?」


 意地の悪そうな顔でエビ茶は覗きこんできた。


いちまえよ。楽になるぜ。いま認めりゃ、俺がいいように言っといてやる。にんしてたってロクなこたねえぞ。しんしょうが悪くなる一方だ。ほら、言っちまえって」


 ふたたび脚をひらき、彼は首を振った。


「よく聞くよな、そういうの。警察のじょうとう手段ってやつだろ? テレビでよく見るやつだ。おどしたりなだめたりして、嘘でもいいからきょうさせるんだ。だったら、カツどん食わせて、『お母さん』のうたを歌ってくれよ。夕焼けがれいな時間がいいね。窓の外をながめながら、あんたが歌うんだ。そしたら泣きながら自供してやるよ。このクソみたいなテーブルに突っして、適当な嘘をならべ立ててやる。どうする? 今日の六時過ぎにでもそうしてみるか?」


 デカいつらはみるみるうちに赤くなっていった。


「てめえ! 俺たちをめきってんな!」


「そうだよ。舐めてかかってる。なあ、もっと話のわかる奴を連れて来てくれないか? あんたの顔はきたんでね」


 これには若いのも飛び上がるようにして立った。首まで赤黒くなっている。


「山本さん、コイツ、痛い目にあった方がいいんじゃないですか?」


「ふんっ!」


 エビ茶はいまいましそうに睨みつけてきた。ただ、あごの辺りをくと肩をすくめた。


「やめろ、谷村。そんなこと言ってもこの男にはかないよ。――うん、そうだな、ちょっときゅうけいしようや。俺は頭が痛くなってきた」


 蓮實淳は椅子に背をつけた。――ふうん、山本と谷村っていうのか。そう思いながらながめてる。警察の人間は簡単に名乗ったりしない。そういうとこが気にくわないんだよ。ま、気に入るとこなんてじんもないけどな。


「すぐ戻る。お前さんはちょっと頭を冷やしとけ」


 出て行こうとしてるところへ彼は声をかけた。


「なあ、あんたたちは気にもしてないようだが、俺と約束した警官はなんで六時に来なかったんだ? それは調べたのか?」


「あん?」


 エビ茶はまぶたを瞬かせた。ただ、こめかみに指をあてると、そのまま出ていった。

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