第11章-3


 このように彼らにはそれぞれがいたわけだ。そして、ともにの状態だった。カンナは外をぼうっとながめ、自転車が通るたび首を伸ばしていた。自分の気持ちすらきちんとそくできていなかったものの、いや、それだから会いたかったのだ。もう一度顔を合わせて、そっち方面の感情がき起こるようだったら恋といえるかもしれない。たまにデスクをうかがい、ドキドキしないのを確認しながらそう考えていた。


 その日もカンナは外を見ていた。テーブルの上ではペロ吉が寝そべり、彼もしきりにくびらしてる。こんなんじゃドキドキするすきもないわ――そう思うほどにだ。すると、自転車の前輪があらわれた。腰を浮かしかけたカンナはそのままソファへ落ち込んだ。あれはオマワリさんじゃない。いや、たぶんお客さんでもないのだろう。え? っていうか、ヤクザ?


「ちょっといいかい?」


 ガラス戸を開けたのはどう見てもかたの人間でないらしいふうていの男だった。上下ともに黒いスウェットを着て、あしにサンダルをいている。とがった頭はみごとなハゲっぷりだった。


「蓮實淳ってのはお前さんかい?」


「ええ、私ですが」


 彼は胸を張るようにした。経験上、こういうタイプには弱みを見せるべきじゃないとわかっていたのだ。カンナは雑誌で顔を隠(かく)してる。


「そうかい、お前さんか。で、かしわさんになんくせつけたってのは本当か?」


「なんのことですか?」


「しらばっくれる気か? いいか? 柏木さんはなぁ、俺たちの仲間なんだ。お前さんがけん売るってならだまってねえぞ」


 首を引き、彼はソファを見た。カンナはペロ吉を抱き寄せている。――やだ、私のせいにする気? いや、まあ、そうなんだけど、「それをしたのはコイツです」とか言われたらどうしよう? しかし、彼はこう言ってきた。


「カンナ、お茶をお出ししてくれ」


「はっ! そんなの要らねえよ。言いたいこと言ったら、すぐ出ていくさ。いいか? 兄ちゃん、それに、そこのお姉ちゃんもよく聴けよ。柏木さんってお方はなぁ、すっごくいい人なんだよ。そんなのはこの辺の連中に聴きゃ、すぐわかることだ。お前さんがどういうつもりか知らねえが、これ以上やってみろ、ただじゃ済まねえぞ」


 ドスのきいた声を出しながら男はにらみつけてきた。ただ、じっと見つめ返すと目をそらした。こういうタイプの人間にありがちなことだ。クレーマーによくいるよな、みょうに強く出て言うこと聞かそうってのが。そういうのに限ってほんとは気が弱いんだ。


「ああ、あのことですか。そうですか、あの方は柏木さんっていうんですね?」


「ん? ああ、そうだよ。なんだい、お前さん方は名前も知らねえで難癖つけたってことか?」


「ええ、実はそうなんですよ。いえ、こういうと言い訳がましくなりますが、あれはかんちがいだったんです」


「勘違い?」


「はい。柏木さんはそうおっしゃってなかったですか?」


 腕をらし、男はうたぐり深そうに目を細めた。あやしげな占い師なんかに言いくるめられないぞ――といった顔つきだ。


「ん、まあ、ここんとこちゃんと話せてないんだよ。でもな、それだってお前さんのせいだぞ。あの人はおびえてんだ。なんか若い連中に取り囲まれて、ひどいこと言われたってんでな」


「そうでしたか。ほんとうに申し訳ございません。そんなに気にされてたんですね」


「そうよ。あんまり柏木さんが顔出さねえんで、気になって家まで行ったんだ。――ところで、お前さんは《ひさ江》って店、知ってっかい?」


「いえ、すみません。なにしろしんざんものなんで存じ上げてないですね」


「そうかい。俺たちゃ、よくその《ひさ江》で飲んでたんだ。でも、ここしばらく柏木さんが来ねえ。そしたら、さっきみてえな話だろ?」


 そこまで言うと男はソファを見た。――は? なに? なぐられたりするの? カンナは急いで立ち、デスクへ向かった。


「どうぞお掛けになって下さい。ひざが痛むんでしょう?」


「あ? ああ、よくわかったな。若い頃にしてね。そっからはこのザマだ。これでも昔は腕のいいだいで通ってたんだがな」


 どっかと座り、男は右膝をむようにした。向かいに掛けた蓮實淳はほほんでいる。


「で、なんだっけな? ――ああ、そうだ。俺は家まで行ったんだ。だけど、あの人はドアも開けずにこう言うんだ。『怖い思いをしたから外にも出られない。今じゃ髪もボサボサだし、とても会えるような姿じゃない』ってな。そんなの気にしねえから顔見せてくれって言っても出てこねえ。で、聴きゃ、さっきの話だろ? 俺は腹が立ってね。そんときゃ、となりに住んでる寺尾さんってのも出てきてよ、その、なんだ? せっとくってのをしたんだ。俺がそいつら捕まえてきてび入れさせるからってよ」


「はあ、そうでしたか。ほんとうにすみません」


 申し訳ない気持ちでいっぱい――といった表情で蓮實淳は頭を下げた。男はまだ疑り深そうに見つめてる。


「それで気が収まるなら、もちろんお詫びいたしますよ」


「それがな、あの人はそんなことしなくていいって言うんだよ。詫びられたとこで怖いのに変わりはないってさ。だけど、それじゃ、こっちが困るんだ。俺はあの人が好きでよ。こう、同じ酒でも、柏木さんがいるといないのとじゃ違うんだよ」


「そうですよね。気の合う方と飲むのはいいものですからね」


「あ? ――うん、そうさ。俺はあぶれ者でよ、ここに流れてきた頃にゃ、誰も相手にしてくれなかったんだ。それが柏木さんが来てからというもの、なんだか上手くいくようになってよ。あの人にはそういうとこがあるんだ。こう、みんなをいい気分にしてくれるとこがな。ただな、それだけじゃねえぞ。あのお人はな、ちょっと頭のイカレちまったばあさんのめんどうまでみてたし、その婆さんがくなったらそうしきまであげてやったんだ。そんなの普通じゃできないだろ?」


 カンナは肩をすくめてる。――っていうか、なんの話してんの? このオッサンも楽しそうにしてるじゃない。もん言いに来たんじゃなかったの?


「そうなんですね。ほんと申し訳ないなぁ。そんな方を怖がらすようなことしてしまって」


「ん、まあ、あの人はちょっと気の弱いとこがあっからな。でもよ、勘違いといったとこで、お前さん方がしたのは悪いことだ。年寄りをよってたかっていじめるなんざ、められたことじゃねえ。そこんとこはわかってんのか?」


「はい、もちろんです。できればお詫びに行きたいところなんですが、」


「いやいや、それはしなくっていいんだって。――うん、わかった。俺の方から言っとくよ。兄ちゃんも反省してるようだからってな。それで出てきてくれりゃ文句はねえんだ。いや、《ひさ江》に来てる連中がよ、兄ちゃんのこと悪く言うもんだから、俺もどんなあくとうなんかと思ってな。ま、あいつらは口だけだから、俺が代表して来たと思ってくれよ。ただ、反省もしてるようだし、もう言うこたねえな」


 膝を押さえて男は立ち上がった。蓮實淳は「ほんとうに申し訳ございませんでした」と言いつつ頭を下げた。一瞬迷ったものの、カンナも同じようにした。


「もうよせって。俺は納得したんだからよ」


 そう言って男は出ていった。スウェットの背中には舌をらした犬のしゅうしがある。しろものだ。


「なんなの?」


 自転車が消え去った後でカンナは顔を出した。蓮實淳はまだ頭を下げている。


「はっ! とんだちゃばんだな。今のオッサンはあのジジイにだまされてるんだよ。きっと酒でもおごってもらってんだろうさ」


「で?」


「いや、とくに新しい情報はないな。あのジジイはこの辺の連中に好かれてる。そうなるよう行動してんだ。それで、この前のことを使って俺たちを追い込もうとしてるんだよ」


 ソファに座ると彼は鼻に指をあてた。脚はだらしなく伸ばしてる。


「――ふむ、だからか。詫びなんて要らないってのもそのためだな。あやまられちゃ困るんだよ。ずっとおびえた振りして、立場を悪くしようとしてんだ。それこそ、こっから立ち退かなきゃならないくらいにな」


 カンナも横に座った。顔には西陽があたってる。ペロ吉はテーブルに飛び乗った。


「どうするの?」


「ああ、どうしたらいいんだろうな」


「ニャア」


 ペロ吉がひたいこすりつけてきた。薄く笑いながら彼はやわらかい体毛をでた。


「大丈夫だ、ペロ吉。ありがとう。俺は大丈夫だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る