第2章-4


「ね、あの人、いくら払ってったと思う?」


 カーテンを開け放つと、カンナは顔を寄せてきた。『ツィゴイネルワイゼン』が流れはじめ、それはもの悲しさと、どういうわけかじゃっかん小馬鹿にされてるような気分をもたらした。


「ねえ、気にならないの?」


「ん、いくらもらったんだ?」


「五万円よ。五万え~ん。すごくない? お一人様で通常の二倍から三倍払っていくなんて」


 彼はこめかみを押さえてる。出来るかわからないことを引き受けたのも気にかかるけど、それだけではなかった。目の奥にはまだ映像が残っている。浮気をうたがう相談者から似た絵を見たことはあったけど、あれは初めてだ。もやもやしたガスのような存在。


「あなたがゴネたおかげで成功ほうしゅうもけっこう取れそうだしね」


 げ金庫をしまい、カンナはきゃく情報の書かれた紙をデスクへ置いた。『氏名:大和田紀子 年齢:三十九歳 住所:豊島区ぞう一丁目――』そこに彼は相談内容を書き込んでいった。


「ゴネたんじゃないよ。本当に出来るかわからないんだ」


「だって、あの人も言ってたけど指輪を見つけたことだってあったし、迷い犬も、猫なんて何匹も見つけてるでしょ。――そうだ!」


 手をパシンっとたたき、カンナはのぞきこんできた。


「なんだよ」


「料金表をかいていしましょうよ。今度のが解決できたら仕事のはばが広がるわ。細かい相談はなしで、もの、迷子のペットさがしで二万円。浮気相手の特定は三万。時間は一時間ってのはどう?」


 ソファに座り、彼は首を後ろへ倒した。


「あのな、俺は占い師で、たんていじゃないの。浮気相手も捜しますなんて絶対に書くなよ」


「でも、お金にはなるわ。あなた、なによりお金が大好きでしょ」


 カンナも向かいにかけ、両手を脚の下にはさんだ。黒いタイツは表面が輝いている。


「金は好きだけど、出来そうにないことを引き受けるのは心が痛む」


「そんなの、ぱっぱって占っちゃえばいいでしょ。なんでもお見通しの蓮實先生なんだから」


「毎度のことだけど、ほんと簡単に言ってくれるよな」


 雪は弱いながらも降りつづいてる。風にかけがガラス越しにちらちら見えた。


「ま、その辺のことはこれが解決出来たら考えてみましょ。ゆっくり話し合って決めればいいことだわ。ところで、あの人の浮気夫がどこで働いてるとかは必要な情報なの? その、あなたが相手の女を知るのに」


「テリトリーがあるんだよ」


 彼はものげにこたえた。


「テリトリー?」


 そう言ったのと同時に「ナア!」という声が聞こえてきた。戸を開けると、茶トラの猫がいる。


「おお、キティ。ちょうどいいときに来てくれたな」


 蓮實淳は立ちあがり、両手を大きく広げた。


「ちょうどいいとき?」


 カンナは足許を見つめてる。初めて来たときにもあらわれた猫だ。まあ、どういうわけかここにはたくさんの猫がやって来るし、そのうちの何匹かは顔と名前がいっするようになっていた。ペロ吉、オルフェ、クロ、それに、ベンジャミン等々(ただし、ベンジャミンは二匹いた。カンナが知ってるのはその小さい方だ)。ただ、この茶トラはいつも無視してくる。かわいくない奴というのがカンナの印象で、もしかしたら相手も自分を同じように見てるんじゃないかと思ったりもする。


 しかし、彼にとっては特別な存在のようだった。なにがどうとは言えないけど、他とはたいぐうが違うのだ。この猫も彼には甘ったるしい声で鳴いた。ふん、なにがキティよ、とカンナは思ってる。まったくキティ的ようなんてないじゃないとだ。ごくまれにではあるけど、自分の感情はしっに近いものなのかもとも思う。でも、そんなの馬鹿げてる。どうして嫉妬なんかしなきゃいけないの? それも、この男を間にはさんでなんて。ましてや、相手は猫なんだし。


 蓮實淳は小さな頭をでている。猫はたまに目を向け、じゃものがいてめいわくしてるといった顔をした。いや、細かい表情なんてわかりようもないのだから、これも勝手に思ってることだけど。ただ、彼は実際にこう言ってきた。


「ちょっと上へ行くわ。用があったら携帯鳴らしてくれ。――ああ、それに立ち聞きとかするなよ」


「立ち聞きって、誰と話すのよ」


 そう訊いてる間にも彼は奥へ向かっていった。二階は住居兼倉庫のようになっていて、カンナも出入りすることがある。店を開けなきゃならないのに降りてこないときは起こしにいくことだってあった。


「ん? ああ、ちょっと相談しなきゃならないんだよ」


「相談? その猫と?」


「いや、なんだ。――うん、間違えた。考え事だよ。一人になってさっきのを考えたいんだ。ほれ、俺って独り言が多いだろ? それを聞かれたくないんだ。そういうわけだから、上には来ないでくれ」


 なんだか歯切れが悪い。そう思いながら見ていると、猫がしっをぶるんと振りまわした。

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